いすみ鉄道の急行に乗ってきた!①(大原→上総中野)~2021年6月~ | 山陰人のボヤ紀行

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わかしお号で外房線・大原駅になってきました。ここからいすみ鉄道の国鉄車に乗車しようと思います。

 

 

 

大原駅の駅舎です。こじんまりとしています。元々人口2万人程の自治体ですから、身の丈に合った大きさというべきでしょうか。

 

 

駅前も「町の駅」といったローカルな雰囲気。

 

 

 

いすみ鉄道の乗り場へはこちらから。外側からだと少々分かりづらいですね。(笑)

自販機がキハ52仕様にカラーリングされていました。

 

 

駅舎内にはグッズ販売があります。

 

 

 

乗る列車の発車時刻が入線するようなのでホームへ。

いすみ鉄道は旧国鉄木原線を引き継いだ全長30㌔弱の三セクです。もちろん、元々赤字路線を引き継いでいますから経営は厳しいのでしょうが、鉄道好きの社長さんのアイディアで全国的に有名になりましたね。(だからこそ、私もここに足を運んでいるわけで・・・)

 

 

 

自体がレトロな看板です。温かみがあってほっこりします。

 

 

入線してきたのはキハ28+キハ52で運転される急行列車。かつてこの地を走っていた「うち房」のヘッドマークを掲げています。

この車両、私にとっては非常に思い出深い車両です。鳥取~岡山間で運行されていた「急行砂丘」や「快速とっとりライナー」で充当されており、子供の頃よく乗った車両なんですよね。(あれはキハ58だったと思いますが、エンジンの数の違いなので、同じということで扱わせてください・・・)

 

方向幕に赤字の「急行」マーク、これだけで涙が出てきそうです。(笑)

 

 

サボも専用のものが用意されています。

 

 

 

キハ52も正面から撮ろうとしたのですが・・・ホームに納まりきってませんでした。(笑)

 

18メートル車ののいすみ300なら2両納まりそうですが、20メートル級の国鉄車では難しいようです。

 

 

 

現役で動いているとはいえ、このキハ28は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39)製造。

塗装をいくら上塗りしても限界があるようでして、ところどころこういう状態でした。(ちなみに、最初に配属されたのは米子機関区だそうで、実は鳥取県にゆかりのある車両といえますね。)

 

 

一方で、所属先はちゃんと大多喜に書き直されています。芸が細かい!(笑)

 

 

 

キハ52の銘板もパシャリ。こちらキハ28より1コ下の1965年(昭和40)製造。大糸線のJR西区間で走っていた車両です。

 

 

 

キハ28の内部に入っていきます。この水色が国鉄車の雰囲気そのままでグッときます。

最後は富山にいたようなので、扉は半自動化されています。手で開けるの、めっちゃ重そう・・・

 

 

使用できませんが洗面所、ではなく便所です。たしか昔は垂れ流しだった気がします。母親に「駅に停まっとる時は、トイレに行ったらいけんで!」と言われた記憶があるので・・・(笑)

 

まあ、さすがに晩年は汚物タンクが設置されていたとは思いますが。

 

 

 

車内です。本来はボックスシートですが、「レストランキハ」仕様になっており、片側の座席を潰してテーブルが設置されています。なので、実質2名掛けの席ですね。

 

 

 

このレトロな車両にfreeWi-Fiの違和感。(笑)

 

 

 

ここは・・・どうやって入ればいいのでしょう・・・

 

 

 

入り口にはしっかりとアルコールボトルが設置されていました。

 

 

 

運賃表は高山本線のままです。あ、ちゃんと別の場所にいすみ鉄道の運賃表はあるので、ご安心を。

 

 

 

このワンマン仕様の運賃表もそのまま。

 

 

 

除菌グッズと並んで拡声器がありました。本体には「糸魚川」の文字が!そんなもんまで貰ったんかよ!(笑)

 

 

1階で紹介しようかと思いましたが、かなり長くなりそうなので一度切らせてください。次回はキハ52の方の車内と、走行中の様子をお届けしようと思います。