最近えちごトキめき鉄道様で奇跡の復活を果たした
国鉄交直両用色にあやかりまして苦し紛れの投稿で
ございます…。
EF57撮影の帰りに利用した黒磯発普通724M
S52,1,30 宝積寺にて(クハ455-46他6連)
宇都宮から急行なすの2号になりました。
宇都宮で白河発の7両が後ろにくっつき、
急行「なすの2号」上野行13両編成となりました。
編成をメモしておりましたのでご紹介します。
1. クハ455-46 ↑
2. モハ454-28 上野
3. クモハ455-25
4. サロ455-32
5. モハ454-32
6. クモハ455-32
7. クハ455-50
8. サハシ451-3
9. モハ452-21
10. クモハ453-21
11. サロ455-3
12. モハ456-13
13. クモハ457-13
同じネガの片隅に写っていた一コマ
東大宮操車場にて。(S52,1月頃)
幅を利かせるのは「ゆうづる」用の24系24形
客車の入れ替えに従事するEF58
少し前まではEF57も使用されていました。
季節とマッチしない写真でございますが
今回はこの辺で。
ご覧頂き有難うございました。
国鉄交直両用色にあやかりまして苦し紛れの投稿で
ございます…。
EF57撮影の帰りに利用した黒磯発普通724M
S52,1,30 宝積寺にて(クハ455-46他6連)
宇都宮から急行なすの2号になりました。
宇都宮で白河発の7両が後ろにくっつき、
急行「なすの2号」上野行13両編成となりました。
編成をメモしておりましたのでご紹介します。
1. クハ455-46 ↑
2. モハ454-28 上野
3. クモハ455-25
4. サロ455-32
5. モハ454-32
6. クモハ455-32
7. クハ455-50
8. サハシ451-3
9. モハ452-21
10. クモハ453-21
11. サロ455-3
12. モハ456-13
13. クモハ457-13
同じネガの片隅に写っていた一コマ
東大宮操車場にて。(S52,1月頃)
幅を利かせるのは「ゆうづる」用の24系24形
客車の入れ替えに従事するEF58
少し前まではEF57も使用されていました。
季節とマッチしない写真でございますが
今回はこの辺で。
ご覧頂き有難うございました。
コメント
コメント一覧 (10)
「なすの2号」、生まれ育った地とは別の管理局なので初めて知りましたが、
こうした列車があったんですね。この時いまだサハシが健在だった、、、
びっくり!です。ちょうど50年前北海道に渡る途中小牛田あたりで一度
だけそばを食べた記憶があります。どこの駅かと思ったら宝積寺駅ですか。
こっから分かれる烏山線も今はわけのわからない車両が走っているし駅
構内の様子もこの時代からだいぶ変わったんでしょうね。
EF58、133号機とナンバーが読み取れますが、ひさし、雪かきに汽笛
のカバーなど上越線を走っていた? そうだと高二の。。。
taka
がしました
コメント有難うございます。
トキ鉄の交直流急行色はかなりの人気のようで、先頭車のクハ455は貸し切りの日も多いとか。ワクチン2回接種が終わったらぜひ見に行こうと目論んでおります。
ビュッフェのそば屋で食事をされた経験がお有りとは!どんなメニューがあったのか興味津々です。
烏山線はキハ40系の頃によく足を運びましたが、蓄電池車になってから足が遠退いてしまいました。写真のゴハチはスタイルから高二でしょうね。
taka
がしました
記録された、なすの編成の車番を見ると50Hlz版の全形式が網羅された編成ですね。
サハシ451は、451系、453系との共用付随車ですが、451系〜当時新鋭の457系迄が揃う編成。451系は、常磐線の運用、勝田区所属でしたので、東北本線の運用は、登場初期を除き無かったと思いましたが果たして…。
えちときの旧国鉄交直流型急行色の復刻、鳥塚さんらしい企画でした。
一方で、古巣のいすみ鉄道のキハの老朽化が心配されます。
車齢50年以上にもなる国鉄型車両の動態保存は難しい事は承知してはいるものの、一両でも多く、まだ姿を留める車両達の末永い保存に期待したいです。敢え無く解体されてしまった貴重な車両達の為にも。
画像の上越型ゴハチは、高崎区の機ですね。長岡区のゴハチは、35号機を含め若番機が多く、高崎区のゴハチより早くに淘汰されてしまいました。
taka
がしました
こちらへもコメント頂き有難うございます。
確かに50Hlz版の全形式が網羅された編成ですね。一両一両車番を控えていくと、時にはトップナンバーなど貴重な車両も含まれていたりして、結構面白かった思い出があります。夷隅のキハ200も車齢50年を目前にして動向が気になりますね…。以前は桜の季節によく撮影に行ったのですが、コロナ禍ですっかり足が遠退いてしまいました。長岡の35号機、ありましたねー。確か側窓が1個多いやつですよね。
taka
がしました
急行なすの、覚えています。
最近、昔を思い出しネットで色々検索してたどり着きました。
当時、白河〜黒磯間の唯一の急行なすの停車駅の町に住んでいました。
鉄オタでもないですし、記憶が定かではないのですが、キハ58もしくは、当時の似たようなカラーリングの電車でも運行していた記憶がかすかにあります。間違いだったら申し訳ありませんが、もし詳しい方がいればコメントいただけると有り難いです。モヤモヤが少し解消されると思います。
taka
がしました
白河~黒磯間で唯一の急行停車駅といいますと、黒田原でしょうか。
交通公社1976年12月時刻表によると、黒田原に停車する急行(定期列車)は以下の通りでございました。
【上り】計4本
08:11 なすの2号(白河発 上野行)※455系
10:39 まつしま1号(仙台発 上野行)※455系
19:00 おが1号(秋田発 上野行)※キハ58系
19:55 いわて2号(盛岡発 上野行)※455系
【下り】計3本
11:42 いいで・ざおう1号(新潟/山形行)※キハ58系
21:15 あずま1号(福島行)※455系
22:13 津軽1号(青森行)※客車列車
今ですと、東京へ出るには一旦新白河まで戻って新幹線利用でしょうか。
だとすると、当時の急行の方が便利だったかもしれませんね!
taka
がしました
返信ありがとうございます。
流石に当時の住んでいた街の事はバレてしまいますね。
急行名は間違っていましたが、確かにキハ58系は停車していたと確認出きて、自分の記憶が確かだった事がわかりました。ありがとうございます。
子供頃に鼻が悪く、母親と一緒に白河の病院に通っていた時期もあり、当時、子供ながらに白河駅で客車の数を減らす機関車での入れ替え作業を食い入って見たり、白河駅のホームにあった駅そば(結構美味しかった)を食べた事などを思い出します。自分が高校に入った頃はまだ、機関車が客車を引っ張るタイプと電車が混ざっていました。たまにその頃の動画や画像などを見て思い出にふけっています。 https://www.youtube.com/watch?v=_-NpX34mwbQ&ab_channel=railwayroomsKI この中に確かにキハ58系が走っています。 今でも新幹線よりも鈍行でのんびりのほうが好きなタイプです。
taka
がしました
地名を出してしまい大変失礼致しました。
白河まで通院されていたのですね。今でもホーム脇には機関車全盛時代を偲ばせる側線が残っていますね。当時とあまり変わらない駅舎にも癒されます。新白河は当時、磐城西郷という駅名だったかと思います。白坂を過ぎると列車は左にカーブしながら長い坂を下り、右手に三菱ガス化学白河工場の煙突が見えてくると間もなく白河でした。
在りし日の東北線の画像を集めたyoutubeご紹介ありがとうございます。懐かしい写真の数々に思わず見入ってしまいました!
taka
がしました
ご存知かとは思いますが、東北本線の開業当時、黒田原(余笹川鉄橋)〜白坂間は現在のルートとは違うルートを走っていました。地元では今でも鉄道が通っていたその道を旧線と呼んでいます。今はもう無くなってしまいましたが、小学校の横には当時の駅舎が資料館の一部として保存されていました。その頃は全く興味もなかったので、もっとよく見ておけばと後悔しています。
taka
がしました
黒田原(余笹川鉄橋)~白坂間の旧線の存在は初めて知りました。
さっそく調べてみると、今とは反対側の黒川の東岸を通っていたのですね。道路に転用されたその道を、地元では今も旧線と呼んでいるとのこと、しっかり歴史を今に伝えていると思います。今度白河方面へ行く機会があれば、ぜひ昔のルートを探索してみたいと思います。
貴重な情報を頂き有難うございました!
taka
がしました