489系 特急「白山」号 ~ゆたかな未来を運ぶ国鉄~

古くから 上野と金沢 を 長野経由で結んだ歴史ある<白山>
という名の列車は、長い期間、機関車 に牽引される 客車列
車でしたが、1972(昭和47)年にようやく電車化されると
共に、晴れて特急列車 に 格上げされ、有効時間帯に首都圏
と北陸地方を乗換えなしで結ぶ 代表的な列車になりました。

▼特急「白山」号 新設記念 入場券(金沢駅)
キップ_白山新設記念_金沢
▲入場券本体 が 券面左側に配置された珍しデザインです

▼裏面は 運転時刻 と 白山国立公園 のことが書かれています
キップ_白山新設記念_金沢2
▲▼"ゆたかな未来を運ぶ国鉄の姿を象徴する"と讃えてます
ORC_白山
▲5000円の販売額で 5300円まで利用できた時代のオレカ

489系化 された 特急 <白山> は、上野 - 金沢間 を 信越線
経由で約6時間半で結び、それまでの 急行列車時代 よりも、
2時間以上も短縮されました。

▼489系前期型の制御車 は ボンネットスタイル でした
489_白山_王子
▲下り方の クハ489 0 番台車 

▼上り方の 前期型制御車 は 自連むき出しの 横軽用の容姿
489_白山_上野
▲クハ489 500 番台車 
(またピンボケの記録ですみません・・) 

運転開始当初から 碓氷峠では EF63 との 協調運転が可能と
なったことから、食堂車も連結された 12両編成で運転され、
まだ 181系8両編成で運転されていた<あさま>より、輸送
力面では 早速威力を発揮することになりました。

▼原型大目玉ライトの 115系 と 並んだ ボンネット<白山>
489_白山_上野&115_76
▲115系の横に留め置かれた 荷物用台車 が なつかしいです

  (これも ピンボケ ・・)

1往復でスタートした 特急<白山> 号は、わずか8か月後に
急行 <妙高>号 を 特急に格上げする形で 2往復体制となり、
翌年の 1973(昭和48)年10月 には、更に 1往復増発され、
重複区間を走る<あさま>を サポートする形にもなりました。

▼計3往復に増発されたことを祝う 記念入場券(富山駅)
キップ_白山増発記念_富山
▲ここでも 白山国立公園 の情景が 大きく券面を飾りました

▼裏面は 運転時刻 と 白山号 の おいたち が 書かれています
キップ_白山増発記念_富山2
▲この時代は まだ 上り下り列車 とも 同じ号数呼称 でした

増発用に増備された 489系 は、マイナーチェンジ車 が 誕生
することになりました。

▼489系中期型の制御車 は 貫通型スタイル となりました
489_白山_上野&115_77
▲上り方の制御車 クハ489 600 番台車 と 新しい 115系 

EF63と連結する 運転台側の連結器は 自連形 から 密着形 と
なりました。

▼中期型下り方の制御車 クハ489 200 番台車 
489_白山_王子2
▲クーラーも キノコ形 から 分散型&集中型 になりましたね

1978年10月のダイヤ改正から、M車比率を増やすため食堂車
が外されましたが 1982年11月のダイヤ改正で 再度、食堂車
の連結が復活しました。

▼489系後期型の制御車 は 非貫通型スタイル となりました
489_白山_王子3
▲後期型上り方の制御車 クハ489 700 番台車 

後期型下り方の制御車も、同じく非貫通型スタイルの 300
番台車となりました。

▼イラスト入りのトレインマークとなった頃の <白山> 号
489_白山_上野_7810
▲3往復ながら<あさま>と肩を組む体系から<エル特急>の
 仲間入りを果たしました

ボンネット車のトレインマークには、多くの目撃情報による
と通常の「赤紫色の花」の他に「茶系色の花」のマークがあ
ったと言われています。

▼上段の左が通常の「赤紫色の花」、右が「茶系色の花」
白山_TM
▲200,300,600,700番台車 は 通常の「赤紫色の花」のみ

(画像元:愛称別トレインマーク事典

「茶系色」のトレインマークを記録された方はおられますで
しょうか。単なる「色褪せ」だったのかも知れませんが・・。

▼拡大すると「茶系色の花」に見える 唯一の オレンジカード
ORC_489_白山5
▲「目の錯覚」であることも 否めませんが・・

上越新幹線が上野まで乗り入れるようになった1985年3月の
ダイヤ改正で、1往復が削減され 2往復となり、同時にまた
食堂車の連結が廃止されてしまいました。


▼新たな装いの クハ489 500番台車 を先頭にした <白山>
ORC_489_白山3
1989年3月のダイヤ改正で、489系 は いわゆる「白山色」
へ リニューアル され、ラウンジ & コンビニエンスカー も
加わり、活躍を続けました。

▼軽井沢駅 に 到着した 上野行 <白山>  
489_白山_軽井沢2
▲駅名板 と キノコ形クーラー を 載せた姿を パチリ

▼EF63 を 先頭に、これから 碓氷峠 を 下る <白山>
489_白山_軽井沢1
▲まだ 静かに撮影できた時代・・

▼EF63 と 協調して 碓氷峠 を 下ってきた <白山>
489_白山_横川1
▲パワフル な ブロアー音 を 響かせながら 横川駅 に入線

▼63+489 の方向幕「上野」を掲示した記録欲しさの構図
489_白山_横川2
▲やさしい陽ざしが いい具合 に 車体を照らしてくれました

▼サロ489 の姿も 追加で記録するも・・
489_白山_横川3
▲ラウンジ&コンビニエンスカー の 記録が 皆無でした・・

首都圏 対 北陸地方 の流動が、次第に上越新幹線利用へシフ
トしたことを受けて、1992年3月のダイヤ改正では、更に1
往復が削減され、誕生当時の1往復に戻ってしまいました。

その後、長野
新幹線が開業する前日の1997年9月30日まで
運転され、通い慣れた「碓氷峠の廃止」と共に、その歴史に
終止符を打ちました。


--(もけい鉄 雑談)--------------------------------------------------------
宮沢模型さんから、Tomixさんのモデルをメークアップする、こんな商品が
販売されていましたね。

▼489系L白山とEF63パーツセット
ORC_489_白山99
▲「エル特急」を「L白山」と抜け目なく表記しているところがさすがです

横軽フィーバーの時代に 多数の便乗商品 が 鉄道模型市場を賑わしました。
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■上越線を経由した 特急 <白山> 号
 1978(昭和53)年に、信越本線 の 妙高高原~関山間 で
 大規模な地滑りが発生し、同区間が長期不通となりました。
 そのため<白山>は、 5月21日~9月5日の間3復中1往復
 が、上越線経由で運転されました。

▼上越線 岩原スキー場前 の大カーブ区間を行く <白山>
489_白山_上越線
▲運転席の窓 と 乗務員扉 の 窓 は 全開でした

残り2往復のうち、1往復は 長野発着、もう1往復は 運休
となりました。

走行距離は長野経由より 約50km 余分に走行する訳ですが、
この当時上野 - 金沢間に運転された信越線経由の <白山> 号
と、上越線経由の <はくたか> 号 との所要時間の差はわずか
10分程度で、碓氷峠と信越線の単線区間が、いかにネックに
なっていたのかが、わかりますね。


489系 特急「白山」号 ~ゆたかな未来を運ぶ国鉄~
おわり