転轍器

古き良き時代の鉄道情景

豊後竹田駐泊と豊後荻折返し運用について

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  昭和39年3月に豊肥本線はDC化が実施され、以後客車列車は熊本~宮地間に1往復、大分~豊後竹田間2往復が残るだけとなっていた。大分口朝夕2往復の客車列車は時刻表を見ると豊後荻の運用もあって豊後竹田~豊後荻間はC58が逆行運転となる場面があったと思われる。大分運転所で撮ったC58224はランボードに沿ってフロントデッキに伸びる蒸気暖房管が装備されていて、冬期は豊後荻始発列車を豊後竹田から回送する際に暖房管をつないで客車を温めるのだろうと思っていた。 大分運転所 S45(1970)/6

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 昭和42年9月号の時刻表では上り豊後竹田終着、下りは1本が豊後荻始発となり、豊後竹田列車番号が変わっていた。平日は豊後竹田構内で2台のC58(一時内1台は9600の時期あり)と2本の6輌編成が滞泊していた。厳密に言うとこれに始発の気動車列車も滞泊する(時刻表は客車列車だけを抜粋している)。

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 昭和36年に遡るとこの時は蒸機オンリーの時代で豊後竹田は大分向けに3台の機関車が駐泊することがわかる。豊後荻折返しは1往復設定され、朝の下りもう1本は列車番号からして貨物列車に客車をつないだ準混合列車と推測する。早朝の豊後竹田から宮地への筋も列車番号から同様の列車と思われる。鉄道全盛のこの時代、県境をまたぐ宮地~豊後竹田間の客貨の往来はどうであったのであろうか。列車本数は普通列車では熊本~宮地8.5、宮地~豊後竹田6、豊後竹田~大分8往復であった。

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 機関車運用の疑問を抱いていた時、縁あって北九州市の大塚孝さんから「車種別年度順資料バインダー」の中から「九州線SL運用表」を見せていただいた。年度別、形式別、配置区別にまとめられ、機関車の出区から帰区までの運用順が克明に記されている。氏曰く『まとめ方は人により狙いにより一通りではないが、因果関係の理解度が重要、一度作成すれば完成ではなく、新しい“気づき”がある毎に訂正を繰り返す』とのこと、緻密な作業の賜物を拝見したと感謝している。
 因果関係の理解度とは、たとえば上位線区にC60が投入されるとそれに伴ってC57→C55→C51→8620と下位線区へ波及する形式変更であったり、各地の電化・DL・DC化による需給関係であったりと思われる。私も分鉄局や熊鉄局の機関車を調べてきたがその後の発見で訂正補正を追加する作業が必要であると教えられた。
 大塚孝さん作「昭和33年10月1日改正/豊後森甲組8620/大分乙組C58/宮地甲組9600/運用表」から上記時刻表の機関車運用が判明した。上り730レは翌711レ折返し(青色)。別府発の732レは8620牽引で豊後荻から単機で豊後竹田に戻るのにあぜんとする。何と客車は豊後荻で夜を明かすということであった。翌日は715レで折返し(黄色)。そして豊後荻に残された客車を迎えに来るのは前日734レで豊後竹田に来たC58で、単機でやって来る(緑色)。豊後荻行は上り8620、下りC58受持ちの片道ずつのおもしろい運用であったことがわかった。

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 大塚さんの一覧から表題の関連箇所を抜粋して表にしてみた。豊後竹田駐泊と豊後荻折返しの様子がよくわかる。豊後竹田ではC58-2輌、8620-1輌、9600-1輌が駐泊している。客車は豊後荻で1本、豊後竹田で3本が夜を明かす。また宮地~豊後竹田間の客車をつないだ貨物列車は大分継走で帰路の間合いに三重町往復の仕業をこなしていた。新たな疑問としては外輪山越え急勾配区間の宮地~豊後竹田間につなぐ客車ははて?何輌であっただろうか。この時豊肥本線の貨物列車は豊後森の8620が豊後竹田まで来ていたことも大塚さんのまとめから発掘できた。
 線区の実情は時刻表から見える部分と貨物や機関車運用など見えない箇所があり、わからない事柄は想像を膨らませるしかなかったが、このような具体的資料があると、楽しい趣味の作業は想像から史実となり、豊後森ハチロクのことなどは伝説として語り継いでいければ鉄道趣味の醍醐味といえるだろう。

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 最後に夢のような鉄道情景を思い浮かべる。昭和29年10月1日改正を見ると豊後荻で滞泊した客車を迎えに来るのは単機回送ではなくて、宮地行準混合列車の後部に付いて豊後竹田から豊後荻まで回送されたようである。まるで逆行後部補機のスタイルで趣味的にとても興味を惹かれる。当時の豊後荻駅は旅客に荷物扱いと貨物、信号通票や車輌の連結開放など業務は多く、管理局の境に位置した重要な駅であったと思われる。