長年鉄道ファンに愛され昨年5月7日廃止となった札沼線(愛称学園都市線)新十津川駅。

 

 

 駅舎解体の報道がありました。

 跡地を整備して記念公園にするとか。鉄道があったことを伝える記念公園なら駅舎を解体する意味がわからない。

 まぁ、そこは役所仕事なので、色々あるのでしょう。補助金のからみとか、補助金のからみとか、補助金のからみとか、色々と。

 

 新十津川駅のあった新十津川町は、奈良県十津川村を襲った水害から新しい耕作地を求めて北海道空知管内のトック原野に集団入植した2489人が興した町です。

 今でも奈良県十津川村を母村として連携協約を結び交流が続いています。

 

  --歴史--

 新十津川駅は1931年10月10日に札沼北線石狩沼田ー新十津川の終着駅として開業。当時の駅名は中徳富駅でした。

 廃駅となった際は札幌市桑園駅ー新十津川駅の路線の終着駅でしたが、既に廃線となっていた北側の路線の終着駅でした。

 34年10月10日、札沼北線が浦臼駅に延伸。新十津川駅は途中駅になりました。

 35年10月3日、札沼南線(桑園ー石狩当別)と札沼北線がつながり、線名が札沼線に変更。

 43年10月1日、戦争激化で石狩月形ー石狩追分区間が不要不急区間として営業休止。

 53年11月3日、浦臼駅ー雨竜の営業再開に伴い新十津川駅も営業再開。新十津川(しんとつわ)駅と改名。

 72年6月19日、新十津川以北を廃線。札沼線の終着駅となり、最終日まで続きました。

 97年4月1日、「しんとつかわ」に呼称変更。

 2020年5月7日 北海道医療大学以北廃線。

 

 紆余曲折ありました。

 羽幌町、沼田町の石炭輸送を目論みながら、留萌港から積み出した為に貨物輸送はアテがハズレ、並行する函館本線に優等列車が集中した為札沼線の利用が伸びず、バス路線の拡充で札沼線各駅から函館本線の駅に通勤通学客が奪われ……。色々苦労した路線でした。

 でも、個人的に好きな路線でした。

 

 古くは6往復あった時代、沿線の友人宅に泊まった際札沼線乗り鉄。新十津川駅前で折り返し列車を見送って3時間ほどフリスビーやって遊んでました。

 その後札幌まで戻って、当時住んでいた大麻に帰宅した思い出があります。

 駅前は適度に開けて適度にのどかだった印象でした。

 

 廃止前しばらく3往復、直前は1往復だけで、日本一早い最終列車が午前10時前後に駅を出ると、あとは翌日まで列車が来ない駅でした。

 不便というより利用を拒むようなダイヤ。あまりに意図的なものでした。

 

 

 

 廃線、廃駅はJRが決めるもの。

 そこに至るまで反対意見を伝えていても、廃止と決定しちゃえば個人の力じゃどうしようもない。

 それはしかたない。(本音はものすごい悔しいけど)

 

 でも、その跡地利用は各自治体の知恵の出しどころ。

 だから、この場所をどうするのか注目していました。

 結局取り壊すという決断が腹立たしい限りです。

 

 廃校や廃線・廃駅って、記憶の博物館だと思います。

 最後の形を残して置いてるから、人々の思いが詰まっていると思います。

 記念碑だけ置いて公園にしても、思い出は甦ってきません。

 

 「長く愛された」と鉄道ファンが語り継いでいくしか駅があったということは伝えていけないのか?

 なんか寂しい。

 

 

 最後まで時を刻んでいた柱時計も泣いてるかも。