旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 民営化で自由度が増した車両設計・811系【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 国鉄時代は車両の設計をするにあたって、いくつかの制約がありました。全国あまねく鉄道網を築いている国鉄は、地域ごとの事情はあまり考慮されず、とにかく全国どこでも使うことができることを前提としていました。その傾向は特に近郊形電車に色濃く現れていて、例えば115系などは勾配線区で使えるように抑速ブレーキを装備し、最小で3両編成から組成できるような車種を設定していました。

 もちろん、使用する線区、特に115系は勾配線区用なので山間部など冬季は寒く積雪が多い地域もあるので、基本設計は変えずに耐寒耐雪仕様を施した車両も存在しましたが、基本仕様や性能が適合するのであれば、遠方に配置転換(いわゆる広域配転)されても大きな改造などを受けることなく運用することができました。

 ところが、1987年の国鉄分割民営化では、国鉄時代の設計思想の呪縛が解き放たれ、設立された会社ごとの事情に合った車両をつくることができるようになりました。例えば、首都圏という旅客会社の中で最大のドル箱を抱えるJR東日本は、国鉄から大量の車両を継承しました。しかし、抵抗制御発電ブレーキを装備し、重量の嵩む普通鋼製の車両は経済的にも芳しいものではありません。既にこの頃の私鉄は、ステンレス鋼などの軽量車体に、チョッパ制御やVVVFインバータ制御で回生ブレーキも使える経済的に優れた車両を多く運用していました。

 そこで、試作車901系を始祖とする軽量車体をもち、かつ製造コストも運用コストも在来車の半分、さらには運用寿命までも適正化させた車両を開発しました。その後、209系から始まりE217系、さらには一般型と分類されるE231系E233系、E255系などと今日に至っています。

 大量の国鉄型車両を早期に置換え、さらに運転頻度の高い路線を数多く有し、それ故、大量の車両を保有しなければならないため、製造・運用コストも可能な限り抑えなければならないJR東日本の経営環境ならではの設計思想ともいえます。

 一方、今回のお話の主役となる811系は、JR九州が民営化後に初めて製造した近郊型電車でした。ご存知の通り、九州島内は国鉄時代に電化されましたが、その電気方式は交流20,000V60Hzで行われました。これは、直流電化に比べて建設コストが抑えられることと、列車の運転頻度が少なく直流電化よりも交流電化の方が適していると判断されたためでした。

 交流電化された九州島内では、415系や475系、485系など交直流電車が運用されました。

 

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国鉄が開発・製造した交直流電車は、基本的には直流電車の電気機器を踏襲していた。言い換えれば、直流電車に交流電源に対応する変圧器と変換器を載せ、そこから供給される直流電流を使って抵抗制御を行っている。これは、交流区間だけでなく直流区間を走行するために避けられないことであり、VVVFインバータ制御が実用化されるまではこの方式以外はなかった。JR九州415系は、交直流両用という特長を活かし、主に本州-九州間を直通する列車に充てられている。しかし、民営化直後は新岩国などまで乗り入れる運用もあったが、ダイヤ改正の度に本州乗り入れ区間は短縮され、今日では下関以東に入ることはない。(415系Fo110編成 下関駅 2007年10月9日 筆者撮影)

 

 交直流電車は直流電車や交流電車と比べると、製造コストが高価になります。これは、それぞれの電気方式に合わせた電気機器を装備しなければならないためです。直流電車であれば、主電動機とそれを制御する抵抗制御器などを装備しています。一方、交流電車は電圧を降下させる変圧器、交流電流を直流電流に変換する変換器、さらには交流電化は20,000Vの高圧電気なので、万一に備えた高速度遮断器なども備えています。さらには直流電車の電気機器も装備しているので、概ね2両分の機器を装備しその製造コストも高くなってしまうのです。

 しかし、国鉄は製造コストが高くなるのを承知で、九州島内でも交直流電車を運用しました。これは、本州との間を直通する列車が優等列車はもちろん、普通列車にまで及んでいて、本州ー九州間は一体的な運転系統を構成していたからでした。

 ところが、山陽新幹線が延伸開業をしていくに従って、こうした列車の運用形態は徐々に変化していきます。本州ー九州間を結んでいた長距離列車はそのたびに運転区間を短くしていき、九州島内だけでの活躍が増えるようになりました。そして、博多全線開業で長距離列車は淘汰され、いよいよこれら交直流電車は九州島内にほぼ封じ込められる形になりました。

 この時点で交流専用の車両の開発も考えられるでしょう。しかし、すでにこの頃の国鉄の台所事情は火の車、新型車の開発はもちろん製造もままならない状態になっていたので、すでに大量の交直流電車をそのまま活用するほかなかったのでした。

 1987年の国鉄分割民営化では、そうした状況が一変していきます。

 製造から相当な年月が経ち、老朽化と陳腐化が進んでいた国鉄形車両を運用し続けるのは、利用者から見れば「看板だけ変わって中身は変わってない」ともとられかねません。ただでさえ、国民の国鉄に対する印象は悪かったので、旅客会社としては民営化した効果を出したいところでした。また、経営的にも国鉄形車両はコストがかかってしまいます。421・423・415系は直流区間だけでなく、交流区間でも抵抗制御で走行するので、VVVFインバーター制御はもちろん、交流専用車のサイリスタ位相制御よりも消費電力が高く、経済性にも難点があったのです。

 そこで、民営化と福岡県で開催されるアジア太平洋博覧会を機に、JR九州も新型車両を開発しました。

 

 

《次回へつづく》

 

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