ついに全車廃回完了!孤高のオール二階建て215系の記録と記憶【2000年代編②】 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

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『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

251系の時もそうだったが、日常エリアにはほとんどいない車両、しかも走っている時間が極めて

限定されてしまう車両の記録というのは、こんなにも大変なものだったのだろうか。

あとは、昨年からのコロナ禍ですっかりペースが乱れてしまったのもある。

それが、乗って名残を惜しむタイミングを完全に逸し、やる気を削いでしまった。

出たばかりの頃はわざわざ小淵沢まで行っていたりしたのだが…

それは、歳のせいだという風に言い訳にはしたくないのだけども。

もっとも、その反省は185系とレッドアロークラシックにはなかなか活かされていたのだが。


 断片的な記録と記憶の端くれ。


そして、最後の5年間について、また断片的な記録と微かな記憶が最後まで散らばる。

それを纏めるのには、少しばかり時間が必要だったことも言い訳にはならぬが。


2016年9月24日土曜日、高尾駅にて

高尾天狗と215系の出会い。

 

この日は土曜日で既に基本土休日定休化して久しいが、祝日とのバランスを考えて出勤した帰り。

この時は半ば狙って高尾駅で待っていたようで、相も変わらず立川まで15分程度の短い旅だったが

あちこち撮ったりして、今後の行方を気にする記録(つぶやき)がFacebookには残されていた。


…気にしているにも拘らず、小淵沢まで乗る気概は、残念ながらこの時期は無かったようだが。

その前年の115系の一連のラストランで、あらかた燃え尽きてしまっていたのだろうか。

その時は松本、さらには回送を姨捨まで追っているというのにね。

(さらに言えば、この年の初めに阪堺電気鉄道部分廃止前に電撃来阪してもいるし)

 

八王子駅にて

ただこの時は、一回八王子駅で降りて撮っていたりする。

9月の割には?ずいぶん日が暮れているのが早い気もするが。

 

立川駅にて

こんな側面も撮っていたりして。

結局、中央線の2階建てグリーン車導入に肩を並べることはなかった。

 

だが、この辺になると、機会が少なくてもマンネリを感じるようになり…

しまいには、撮影対象の片隅からもひっそりと姿を消してしまった。

 

そして、実際最後に乗れたのはこの時で。

それからは、さまざまな記録を重ねる傍らで、こそっと。

かなり断片的に、しかもあっさりと残されているのみ。

 

2019年7月4日曜日、東京駅にて

大雨の伊豆からの帰りに、東京駅で。

そもそも東京駅で湘南ライナーの姿を撮ること自体が、この時が初めてだったらしい。

それでも、夜遅い時間にまた小田原から帰ってくるのを考えてみると、乗っていこうという考えは

ふっと頭に浮かんでも即座に打ち消す繰り返しで、そのまま乗ることは一度も無かった。

 

2019年7月10日水曜日、茅ヶ崎駅付近にて

3月ダイヤ改正までは基本毎日見れたこの光景も、遠い過去に。

これは箱根登山鉄道の吊り掛け車両を最後に乗りに行く途中のカット。


2019年12月25日水曜日、大崎駅にて

この時が湘南新宿ライナー改め、おはようライナー新宿としての初撮影。24号。


2020年2月17日月曜日、武蔵小杉駅にて


2020年2月18日火曜日、武蔵小杉駅にて

東海道線記録強化期(主に251系)の間隙に、少し早めに出て武蔵小杉再履修もしたり。


同、原宿駅にて

原宿で初めて撮影したのもこの時。

山手線などの被りリスクも多く、また251系がちょうど来るタイミングのおまけだったような。


同、保土ヶ谷駅にて

そしてこの時、偶然に保土ヶ谷駅に降りたら215系が電留線にいて思わず撮影。

251系の撮影目当てで下車したら、いたので本当にびっくりした。

夜に251系も入線する時間があることを知ったが、それはタイミングが合わずに撮影できず。

実はその時に通過していく215系湘南ライナーを撮ってもいたが、夜ゆえブレブレで未公開。


2020年8月17日月曜日、大宮駅にて


大宮総合車両センターを検査出場する直前のNL-1編成。

東京以北で遭遇したのはこれが最初であり、きっと最後の記録。

この時は、まだ2〜3年は安泰なんだろうなぁと思ってホッとしながら撮っていたのだが…


そして、いつの間にか中央線での運転もひっそりと終わり…

定期運用終了も察知し、俄かに記録ペースが上がっていく。


そして、訪れた終わりの日。

2021年3月12日金曜日、東京駅。

この時が、最後の営業の見送りに。

本当は乗っていこうと思っていたが、私用が飛び込み結局帰宅したのは最後まで惜しかった。


そして、さらに最後の記録は疎開中だった平塚駅での様子を捉えたもの。

10月1日にはE4系Maxも引退するし、オール二階建てという特異なジャンルはこれで過去になる。

1編成でより多くの乗客を運ぶという、ある側面は時代に要請された産物であったかもしれないが

その実際の運行にはさまざまな難題課題があり、結局発展しなかった悲運のジャンルだった。

ただ、その問題点をしっかり炙り出したという意味ではもっと評価されていいのかもしれないが。


また、車内の居住性についても。

着席定員の増加を目論み過ぎたばかりに、普通車がボックスシートになったのはデビュー当時から疑問があって、リニューアルする前の185系転換クロスシートと比べても難があるかなと感じたし

実際、乗ってみても特に1階・2階席は天井の低さも相まって実に窮屈に感じたものだった。

185系リニューアル後は、更に差が開いたと感じてしまったのもまた残念なことではあった。

それもあったのだろうか、晩年の湘南ライナーの利用率は185系に比して低かったと聞く。


でも、その走りのインパクトは大きかったのも事実で、よく29年持ったなと今は労っておきたい。

そして、その経験はこれからも二階建てグリーン車として生き続けるだろう。

すでに青森に疎開回送された編成は解体が始まっているが、長野の編成はまだ手付かずの様子。

また気が向いて帰ってこないかなと思ったりもするがwひとまずお別れとして締めよう。


29年間お疲れ様、そしてありがとう!