7/8~10 三陸鉄道乗り鉄・撮り鉄旅① | なつかしの鉄道写真館

なつかしの鉄道写真館

昭和40年代の全国の蒸気機関車・路面電車・トロリーバスから最近の復活蒸機まで、「懐かしさ」をテーマに鉄道写真をUPしています。

桜のSLばんえつ物語を撮って以来3ケ月ほど休鉄していたglockです。長男の所に二人目が誕生したので、とりあえず二歳半のお兄ちゃんの世話はジィジのお仕事。保育園への送り迎えや日曜日のお遊び、そしてお風呂でこちらも存分に楽しませてもらいました(笑)。

 

さて、6月中に新型コロナワクチンの2回目も打ち終わり孫の世話も長男夫婦に戻ったので、自分へのご褒美として緊急事態宣言の再々々発令の前に一人で鉄旅にお出かけです。

 

行き先は梅雨のさなかで色々と迷ったのですが、あの三陸の津波惨事から10年が経ち三陸鉄道も旧JR山田線区間をも含めて南北全通しているので、全線乗り鉄と撮り鉄旅にしました。美味しい海の幸が食べられるし温泉も入れるぞ♡♡♡。

 

なお、三陸には3.11の翌年の2012年8月7~9日にも家内と訪れており、その時の写真をモノクロにして今回とMIXしております。

 

<7月8日>

 

①JR八戸線 八戸駅 新幹線を降りたら、キハ130系500番台がお迎え。そういえば、今春の五能線や津軽線よりも早く2018年3月にキハ40系が消えているのですよね。

 

②八戸線 鮫-陸奥白浜 岬の突端にある蕪嶋神社 岩場も浜もウミネコだらけ。

 

③梅雨の最中なもので、3日間共に曇り時々小雨。霧が多く出ていて視界が悪く、撮影は苦労しそう。八戸線や沿線の町も3.11で大きな被害を被ったが、線路は結構海から入った所や高台を走っており、意外と海は車窓から見えない。


④八戸を発車した時は大半の座席が埋まっていたが、本八戸や鮫・種市で殆ど下車して終着駅の久慈駅 に着く頃は車内はガラガラ。

 

⑤1時間40分で三陸鉄道の始発駅である久慈に到着。

 

⑥久慈駅を降りると目の前には、NHK「あまちゃん」で劇中の北三陸鉄道が入っているビルが。

 

⑦こちらは三陸鉄道の久慈駅。劇中では北三陸駅でした。

                                                                           

⑧駅舎内にはキョンキョンがやっていたスナックは当然無く、立ち食いソバ屋さんが。もうお昼近くなので、名物のうに弁当を食します。本日はクルマは運転しないので、既にビールでプハ~。

 

⑨9時ではなく12時(笑)発の久慈発盛行きの列車で出発。

 

⑩車両は2両で通しなのですが、宮古と釜石で運転士の交代があり、何故かしら列車番号も変わるのです。北リアス線~JR山田線~南リアス線時代の名残でしょうか。そういえば、旧山田線区間だけ車内放送が英語ありの多分JRからの引継ぎ物でした。車内はトイレ付きのセミクロス・シート。窓が広くテー ブルも付いていて観光に最適。但し窓固定で、湿気の多い日にトンネルに入ると窓の外が曇るのにはまいった。

 

⑪魚の形をした面白い吊り皮。

 

⑫2両でも前乗り・前降りのワンマン運転です。

 

⑬有名な堀内-白井海岸の大沢橋梁では徐行運転。

 

⓮2012.8.9 田野畑駅以南の橋梁や路盤が流失したため、トンネル手前で折り返し運転をしていた。

 

⑮トンネル内から田野畑駅を望む。

 

⓰2012.8.9 トンネルの反対側。

 

⓱2012.8.9 橋脚の一部と途中までの階段しか残らなかった島越駅。

 

⑱地上の駅舎と高架橋ごとホームが津波で流された島越駅。コンクリ堤防に乗る形で復旧しました。

 

⑲にゃんこ神社がホームにある宮古駅。咥えているのは特産のサンマ。

 

⑳磯鶏駅 駅そばの公園に9625の保存機が見えました。そういえば、この山の向こうにC108の故郷、ラサ工業があるんだっけ。確かKさんが現役時代に訪れていたよね。

 

㉑ここは旧JR山田線区間。

 

㉒堤防と水門により守られる平地。

 

㉓釜石到着 ここの駅名表示板はJRの様式で。

 

㉔一気に飛ばしてまもなく終点盛駅。久慈~盛が4時間35分、3,780円。お尻が痛くなってきた。

 

㉕左側のJR大船渡線はBRTになりました。右のホームと奥は貨物専用線の岩手開発鉄道。以前は旅客も扱っていたとか。

 

㉖盛駅の跨線橋から到着ホームを。

 

㉗結構利用客多いです。

 

㉘乗ってきた列車に再び乗って、今夜のお泊り釜石へ。

 

次回は、7/9からの三陸鉄道撮り鉄旅です。