えちごトキめき鉄道JR西日本から譲渡された北陸地区で活躍していた455系+413系交直両用近郊型電車。

 クハ455-701はもともと急行型455系の中間付随車だったサハ455-1を国鉄時代に413系と編成を組んで北陸本線のローカル列車向けに昭和61年(1986年)に国鉄松任工場で先頭車化改造されたものです。
 車内は413系に合わせて中央付近のみボックスタイプのクロスシートを残し、前後の車端部寄りはロングシートに取り替えられてデッキとの仕切りも撤去されていますが、現在でも現役で残る唯一の元国鉄急行型電車。
 種車のサハ455-1は昭和46年(1971年)に製造されて国鉄金沢運転所に長く配置され、一時勝田電車区に転属した時期があったものの、再び金沢に戻って近郊型に合わせた先頭車化改造を受けて413系の編成に組み込まれて北陸本線の米原~直江津間の広範囲に渡ってローカル列車として活躍、晩年は七尾線で働いていました。

 引退したら廃車になるものと思っていたら、まさかのえちごトキめき鉄道への譲渡が発表され、松任で国鉄交直両用急行型電車の復刻塗装を纏って金沢から直江津へとやってきました。

 国鉄時代、金沢に所属する交直両用急行型電車を使用した電車急行は大阪や名古屋と北陸地方を北陸本線で結ぶ列車として活躍、急行「立山」「ゆのくに」「兼六」「くずりゅう」などが走り回っていましたが、国鉄の増収策の一環として全国的に行われた急行列車の廃止(→特急格上げ化)に伴って余剰となった急行型車両を機関車が牽引していたローカル列車を置き換えてスピードアップと合理化を図るためにローカル列車へと転用されました。

 急行列車で活躍していた頃の北陸本線の急行型電車は一番遠くても糸魚川までしか来ずに、直江津まで来ることはありませんでしたが、ローカル列車用に転用されてからは直江津までやってくるようになっていました。但し、413系と編成を組むようになって国鉄急行色から地域のローカル塗装に変更されてしまっていました。

 413系は国鉄急行型塗装を纏ったことはないので厳密には復刻塗装と言えるのはクハ455-701だけなのですが、かつて東京から東北方面や関西や中京から北陸方面、あるいは九州方面への急行列車としてグリーン車やビュッフェを組み込んだ長編成で活躍していた時代を知る者とすればやはり懐かしいし、嬉しいものです。

 えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン・関山にて。
 画像は直江津から妙高高原へ向かう妙高はねうまラインの快速列車ですが、先頭のクハ455-701には「妙高」のヘッドサイン、おでこに復刻した種別窓にはなぜか「急行」表示となっています。ちなみにこの種別窓は北陸本線で急行運用から撤退後は冬期におけるトンネル出入口などでの氷柱による破損防止のために塞がれていたものが復刻されたもの…。

 妙高はねうまライン国鉄~JR東日本信越本線だった路線。私が知る限りでは413系はおろか455系などの急行型電車が乗り入れてきた記憶はなく、電車急行としての「妙高」は上野~妙高高原・直江津間を169系直流急行型電車でしたから、165系同様の橙色と深緑のツートンカラーでした。つまり、妙高はねうまラインとなっている区間ではこの塗装も車両も見ること自体が実は予想もつかなかったことなのです。
 そしてクハ455-701の方にだけヘッドサインが貫通扉に取り付けられていますが、これも国鉄金沢運転所独自のタイプ。つまり、現役時代の信越本線の急行列車には見られなかったものですから、古い車両ながら新鮮ささえ感じます。
 残念ながら音を記録していないのですが、列車の姿が見える前に遠くからタイフォンの音が2回ほど聞こえてきて、山あいに響くその音に懐かしさと旅情を覚えました。
 妙高高原から折り返してきた直江津行が白田切川の鉄橋を渡ります。
 この鉄橋は昭和53年5月に発生した大規模な土石流により信越本線の橋梁が流失、早期復旧させるために岩手県の大船渡線の橋梁架け替え用として既に現地で工事直前だったものが、ちょうど長さなどが合うために急遽転用されたものです。
 
 妙高山の山頂部が雲に隠れてしまったのが残念ですが、こればかりは運次第…1時間ほど前までは全容を見せてくれていたのですが…。


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