過去と現代の石碑が物語るもの さんてつリアス旅10 | 駅が大好き!misakitty

駅が大好き!misakitty

日本中の駅と空港を旅するmisakittyの空鉄の記録です。
国内の鉄道はほぼ完乗済み、航空は、JGC・SFC取得済み2024年はJGCプレミア資格。

この時間は,私鉄乗り潰し旅をお送りします。

今回は、JR山田線を加え南北リアス線が繋がった三陸鉄道を旅します。

ただ、訪問したときは災害運休中、レンタカーでの訪問なのはお許しください。

当ブログをご利用される際は、必ずこちらの記事「免責事項について」をお読みの上、ご覧くださいね。

では,ごゆっくり!

 

**********

 
今日は、こちらの駅にやってきました。

浪板海岸駅です。
元々は浪板駅という名称でしたが、国鉄がJRになってから駅名が改称されました。
開業は昭和36年です。
 
駅はやや高台にあって、駅からは太平洋を望むことができます。
駅と海岸との間には国道45号線が走っていますが、震災後に国道の築堤が嵩上げされた可能性があるので、もしかしたら、以前は、もっときれいに海が見えていたのかもしれません。
 
では駅舎に入ってみましょう。
駅があるのは大槌町、手作り感満載のマップが温かみを感じます。
ん?「きりきりこく」なんか昔聞いたことがあるような…
 
駅舎に入ってみましょう。
待合室だけです。
床がフローリングみたいな板になっていて、これも温かみを感じますね。
 
外観を見たときからデザインとしては面白い駅舎だと思いましたが、奥の部分は傾斜屋根が低くなっていて、背の高い人にはちょっと危なそうです。
 
ホームに入ってみましょう。
まずは駅名標。
あっ!吉里吉里(きりきり)!思い出した、そんなフィクション小説があったっけ?
次の駅なら寄ってみよっかなあ?
 
その吉里吉里駅がある、釜石方面です。
ホームはカーブしている棒線駅です。
震災前から同じ構造でした。
 
駅前はちょっとしたロータリーがある程度です。
海岸線の高さからすると、ここは津波の被害に遭わなかったのかなと思いましたが…
 
ここまで到達してんですね、いかに巨大津波だったか分かります。
 
こうやって震災の歴史を後世に伝えることは同じ災害を繰り返さないためには良いことだと思いますが、震災のことを忘れたい、無かったことにしたいと思う人もいらっしゃるはずで複雑です。
私は、なかったことにしたいし、できれば同じ場所に住みたいとは思わないです(あくまで私個人として思うだけのことですからお許しいただければと思います)。
 
ところで、この碑の近くに、古いもう一つの石碑があります。
 
昭和8年と記載されたこの石碑は…
 
これもまた、津波の碑でした。
昭和初期の起こった津波、そして地震が発生したら津波を避けるための教訓が書かれていました。
この地が、今まで幾度となく、津波の被害を受けてきたことを物語る石碑です。
 
こうやって過去と現代の石碑が残っているということは、幾度かの津波でこの町が消えても、再びこの地に町を作り人々が生活していることなのです。
大槌に暮らす人々の力強さ、再生へのたゆまない努力の結果は、きっと大槌に輝く未来をもたらしてくれると信じています。
 
 
 
(令和元年10月撮影)
 
 
既乗区間なので乗り潰し率に変化はありません
75.700%

75.700%

 

 

 

 

いわて・ふるさと市場OPEN!