こんにちは。
今回も、JR四国ツアー「なつかしの多度津のまち歩きと、JR多度津工場内有形文化財 特別公開」の、後編です。
前編は、下記をご覧ください。
今回は、このツアーのメイン「多度津工場」の散策です。
昼食後、私たち一行は「多度津工場」に向かいます。
「JR四国 多度津工場」
多度津工場は、1889年(明治22年)、5月23日、讃岐鐡道会社設立により、多度津を起点とした「参宮鐡道」の車両修繕を行う目的で、讃岐鐡道車両修繕の機械場として、職員6名でスタートしました。
現在は、気動車や電車等、鉄道車両の検査・修繕ならびに改造工事等の業務を担っています。
JR各社の所管する鉄道工場としては、全国で2番目に古い工場です。
工場内には多数の工場建築がみられるが、そのうち7件(7棟)が、国の「登録有形文化財」になっています。これら昭和初期の大規模工場建築が「群」をなして現存し、今なお稼働している点で価値が高いと云えます。
「家中舎」から、工場までは、徒歩数分ですね。
↑一旦、工場線の出入口横を通り、正門に向かいます。
↑正門より中に進みます。
一旦「会食場1号」で、オリエンテーションがあります。
ここからは、二班に分かれて見ていきます。
講師は各班に一人づつ付いて頂きました。
左の方が、2班担当の「川島智雄」教授です。
京都華頂大学現代家政学部研究所教授、神戸女子学院大学元講師です。
そして、右の方が、私が参加する1班の、「市原猛志」講師です。
熊本学園大学商学部講師/北九州門司麦酒煉瓦館館長です。
挨拶や、今回同行するマスコミの方の紹介があり、出発です。二班は、コースを変えて廻ります。最終的に、この「会食場1号」に戻ってくるようになっています。
まず、私たちは「職場15号」に向かうのですが、向かう途中にあるのが、
トラバーサー(遷車台(せんしゃだい))です。通常は、列車を水平方向に平行移動させるための装置です。今回、特別に乗せて頂き、先の方まで移動して頂きました。
↑工場線から、遷車台に繋がっている線路です。
❶職場15号
建築年代 1888年(明治21年)施工、昭和前期移築。
木機作業場として建築され、現在は倉庫として使用されています。
次に「職場17号」に向かいますが、「車体修繕場」には、
↑なんか、笑顔が見えます。
↑8000系アンパンマン車両(6~8号車)が入院中でした。もう、退院したみたいですね。
また、反対側には、
↑解体中の、2000系気動車や、
↑2000系TSEの姿も拝めました。
❷職場17号
建築年代 1931年(昭和9年)建築。
貨客車の修繕を行う施設で、内部には、線路が引き込まれています。
工場内の戦前の建物としては、最大規模の大きさです。
❸倉庫4号
建築年代 1941年(昭和16年)建築
❹倉庫7号
建築年代 1936年(昭和11年)建築
「倉庫4号」の西側に、「倉庫7号」が接続して建っています。
↑接続部分です。構造が異なりますね。
なお、庫内で使われているフォークリフトは、
↑どこまで「アンパンマン推しなのでしょう?。
ここで、休憩です。
いまは、「PR室」として使われている、「諸舎1号」に向かいます。
❺諸舎1号
建築年代 1935年(昭和10年)建築。
↑さて、この間に入る駅は、どこでしょう?。
室内には、ヘッドマークも飾られていました。
↑先日参加した、ホビートレインのHMも。
↑一昨年の「千年ものがたり クリスマストレイン」のHMです。
↑「サンシャトル」のツアーにも参加させて頂きましたね。
休憩も終わり、次に向かいます。
❻職場34号
建築年代 1939年(昭和14年)建築。
そして、最初に集まった、「会食所1号」に戻りました。
❼会食所1号
建築年代 1948年(昭和23年)。
↑壁には、「JNR」のロゴから、「N」だけ取って、「JR」にした跡も。これには、先生も大喜びでしたね。
今回の「市原」先生のお話も大変面白く、気軽に楽しめることができました。貴重な建造物を取り壊される前に見られた事は、本当に貴重な体験でしたね。
昨年の「きしゃぽっぽまつり」が中止になり、今年の催行も決まっていません。また、機会があれば「多度津工場」にも、足を延ばしてみたいですね。
あ、撮影禁止の場所が1箇所だけありました。キハ185が、改造されていました(と、言えば察しが付きますね。)。どうなっていたかは、言えません。
当日の「NHKニュース」動画です。リンク切れが何時までかは分かりませんが、ご覧ください。カメラは2班に付いて行ってたので、私は映っていませんよ。
ありがとうございました。