絶叫マシン好き?嫌い?

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 子供のころは好きだったけれど、いまは乗りたいとは思わないですね。遊園地自体興味無くて…。


 旧国鉄信越本線関山駅跡。

 かつてスイッチバック駅だった時代のホームが残っています。
 駅舎は取り壊されて跡形もありませんが、現在の位置に駅が移転する40年ほど前までは向こう側の住宅が並んでいるあたりにあったはずです。

 この駅があるのは旧妙高村。
 国の平成の大合併施策により新井市と妙高高原町と合併して新潟県妙高市の一部となっています。

 今では遊園地とかアトラクション、テーマパークといったものには無関心な私ですが、もちろん少年時代には遊園地に連れていってもらうときはワクワクしたものでした。

 父の転勤で広島県で過ごした小学生時代、3年生のときの夏休みに妙高市のとなりの長野県信濃町の親戚宅にきたときに妹や従兄妹と一緒に連れていってもらったのが妙高サンシャインランドという遊園地でした。
 妙高高原駅から関山駅までの1駅を普通列車に乗ってきて駅から乗り継いだバスは当時は新潟県側にも路線があった川中島自動車のバスだったと微かに記憶しています(記憶が正しければ…)。

 当時の長野・新潟地区のローカル列車は首都圏などから都落ちしてきた70系など…。関山駅から乗り継いだ川中島自動車のバスも古いバスで、運転席の横にエンジンルームがあるキャブオーバー型の初期のバスだったことは覚えています。もちろんワンマンバスではなく、首からショルダータイプのバッグを下げたバスガールも乗っていて、彼女に運賃を支払ってペラペラの紙の切符を買う光景はあの時代では地方でも都市部ではワンマン化により急速に姿を消していった頃でした。

 あの時以来妙高サンシャインランドには行っていなかったのですが、息子が幼かった頃に一度連れていったことがあります。
 関山駅が現在の場所に移って10年以上が経過していましたし、息子も幼少だったからどこへ出かけるのも車でした。

 このあたりの信越本線も国鉄からJR東日本へ、そして北陸新幹線開業により第三セクター化されて、えちごトキめき鉄道妙高はねうまラインへと変わっています。川中島自動車も企業合併によりアルピコ交通に変わり、新潟県側の路線も廃止されて久しくなります。

 東京に引っ越してきてからは後楽園やとしまえんなど23区内の身近なところにアトラクションぎっしりの遊園地があったものの、なぜか中学生の頃には遊園地自体興味もなくて行きたいとも思わなくなっていました。

 思春期の頃…デートしてもすぐに関係消滅していたのは遊園地に連れていかなかったから…?
 考えてみれば自分が興味のあった楽器屋さんとかある意味マニアックなところばかり連れ回していたから振られてばかりだったのかもしれん…。