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蒸気機関車の雑学!その2・珍しい!シェイ式蒸気機関車の紹介

燃料となる石炭と動力となる蒸気をつくる水を積んで走る蒸気機関車。積載する石炭と水の量が少なくて済む短距離のローカル線では、ボイラーの横に水タンク、運転台の後ろに石炭を積んだ小型の「タンク機関車」を使用。重量の重い列車の牽引(けんいん)やスピードが必要な長距離の幹線では、石炭と水が大量に必要となるため、機関車の後ろに大量の石炭と水が積める炭水車(テンダー)を連結した大型の「テンダー機関車」が使用されていました。また、明治から大正にかけては数字のみで表示されていた形式ですが、昭和3年から動輪の軸数にあわせてアルファベッドを併用。動軸が2本はB、3本はC、4本はD、5本はEのアルファベット+形式の数字で表記されています(動軸数が3本だとC11形やC57形、4本だとD51形などになっています)。山口線のC57形は最初に製造された1号機、磐越西線のC57形は180番目に製造された180号機で、機関車のナンバープレートは「C57 1」「C57 180」のように表示されています。

 D51形の動輪、直径1m40cm そして

 C57形の動輪は1m75cm 機関車の重量約115トン、客車も合わせて約300トンの重量を蒸気の力だけで動かす!

 

蒸気機関車の複雑な内部構造・C62 26号機の紹介!

C62形蒸気機関車の内部構造

特急「はと」の蒸気機関車・大阪環状線の弁天町駅、旧鉄道博物館に展示されていたC62 26号機

 

現在の日本国内では見る事の出来ない珍しい蒸気機関車!

シェイ式蒸気機関車・Shay locomotive

シェイ式蒸気機関車(Shay locomotive)は、歯車式蒸気機関車の一方式であり、製造メーカーのライマ社ではシェイギアード機関車

(Shay Geared Locomotive)と呼称されていた。この機関車は、歯車式蒸気機関車で最も普及した方式とされており、

エフライム・シェイ(Ephraim Shay)による特許に基づいて製造された。

シェイ式蒸気機関車は右側面に垂直に設置された2気筒または3気筒の蒸気機関のクランクシャフトから、長手方向の伝達軸を介して前後の2台車もしくはテンダーのものを含めた3-4台車の動輪を駆動する。この伝達軸は自在継ぎ手伸縮継ぎ手を備える事で曲線通過時の台車の動きに追随して動力を伝達することが可能である。それぞれの動輪は伝達軸からの動力により傘歯車を用いて駆動されており、連結棒は使用されていない。また、蒸気機関の設置スペースの確保と、重量的なバランスをとるために主台枠および煙管式ボイラーを機関車中心線から左にずらして設置していることも特徴となっている。シェイ式機関車は側面に伝達軸を有するのでサイドワインダー又はステムワインダーという名称でも呼称されていた。

シェイ式機関車を生産したオハイオ州ライマライマ機関車製造会社は、1869年にカーネス・ハーバー商会のライマ機械工場として創業し、後にカーネス・アルゲター社となって林業用機械を製造していたもので、1877年にライマ機械工場と改称して蒸気機関車の製造を開始し、1880年にはシェイの最初の機関車を製造して、ミシガン州のボンド・オブ・ボンド木材工場に納品している。

 製造された同鉄道の6号機が新造では最後のシェイ式機関車であり、同時に最大のシェイ式機関車でもあった。最終的にはクラスAが686両、クラスBが1480両、クラスCは580両、クラスDは20両と2シリンダ・3台車の機体2両が生産されている。また、シェイ式機関車の大半はアメリカで使用されたが、一方で日本を含む約30ヶ国に輸出され、その一部はアメリカ国内での使用が終了した後も使用された。

 

日本のシェイ式機関車

官営八幡製鐵所

1907年4月に出荷されたクラスA 10-2(資料によってはA 13-2)を4両導入している。ライマの製造番号は1867、1868、1882、1883で、横浜にあったドイツの商社であるFaber & Voigtが代理店となっており、軌間1067mmで石炭焚きボイラーであった。導入後は八幡製鐵所の47-50号機となり、製鉄所構内や河内貯水池の建設に使用されている。

津軽森林鉄道

1909年に開業した日本初の森林鉄道である津軽森林鉄道に1907年4月に出荷されたクラスA 13-2が1両導入されている。ライマの製造番号は2001で取り扱いは八幡製鉄所の機体と同様Faber & Voigt、軌間762mmで薪焚きボイラーであった。

当初台湾藤田組阿里山森林鉄道向けに出荷されて1907年に同地で試運転まで行ったが、同森林鉄道事業が中止となり、津軽森林鉄道向けに転用されたものである。同機は建設工事と開業後の運材列車に使用された後、再度阿里山森林鉄道へ貸出され、その後1919年高知県魚梁瀬森林鉄道に譲渡されて1921年から使用されたが、成績は思わしくなく、1925年に廃車となっている。

 

台湾の阿里山森林鉄道で動態保存されている、シェイ式蒸気機関車

日本の「藤田組」が、木材の輸送のために、13トン級2気筒のシェイ式​蒸気機関車を米国ライマ・ロコモティブ・ワークス社から購入し、これは阿里山森林鉄路で初めての蒸気機関車となりました。

阿里山森林鉄道の動画・シェイ式機関車

「藤田組」の財力が限られていたため、列車の購入計画が全く整備されておらず、台湾総督府が公式に着手してからようやく改善しました。明治43年(1910年)~大正2年(1913年)にかけて、高山地区の建設工事に備え、18トン級のシェイ式2気筒蒸気機関車8基を購入しました。大正元年(1912年)には、阿里山森林鉄路の「二万坪」から「神木」のスイッチバックの急斜面の区間は18トンの機関車では積載牽引できなかった、阿里山鉄道の「八山」から「神武」までの急な斜面でも積載牽引できなかったため、28トン級3気筒蒸気機関車が導入されました。

大正元年(1912年)~大正6年(1918年)の間に12台を購入しました。1920年を迎えてにディーゼル機関車が発明され、蒸気機関車以上の馬力を誇るため、シェイ式蒸気機関車は淘汰されるようになりました。しかしながら、この20台あまりの蒸気機関車は、困難を極めた阿里山森林鉄路の開拓の歴史上、大きな役割を果たしたのです。

 

 

by   GIG@NET

 

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