1994年1月29日の撮り鉄日記

(この日記は1994年1月29日の内容だが、ブログ投稿は2021年7月6日)

この日は桶川のテツの友人、オッペ氏の引っ越しの手伝い。
俺はこの日、他の用事で途中参加となっていた。

他の用事で、家に帰ったのは夜22時ちょっと前。

22:10頃に家を出発し、上野23:07発の高崎線で桶川へ向かった。

オッペ氏の家の前に辿り着くと、部屋の灯りは点けっぱなしになっていたが、
誰もいなかった。

鍵も開けっ放しだった。

オッペ氏とは最近1ケ月以内にも会っているし、
わりと何回か会っている関係なので、充分に面識はある。

寒いので、オッペ氏が現れる前に、先に部屋の中に入って待機していようと思って、部屋に入った。



もうベッドなどは無くなっていて、ダンボールがまとまっていた。
洗濯機は転がっていた。

だいぶ終わりに近づいていたようだ。


物音がして、誰か入って来た。

オッペ氏が来たのかと思った。


すると、おばさんだった。
俺はすぐに、オッペ氏のお母さんだとわかった。

しかし、おばさんは俺と面識は無いので、急にヒステリックな甲高い大声を張り上げて
「出て行ってください!」
「何、勝手に人のうちにあがってるんですか!」
「あんた誰なんですか!」
と言われた。

どうやら、泥棒が乱入したと思われたらしい。


オッペ氏の引っ越しの手伝いに来た旨と、自分の名前を名乗った。

一応、もう一人来ることは聞かされていたようで、やっとわかったらしい。

当時は携帯電話もない時代なので、直前に、「もうすぐ着く」とか、
「もう家の前に着いた」とか、
出先で相手も出かけている場合に連絡のできない不便な時代だった。


しばらくして、ワゴン車が来た。

洗濯機などは粗大ゴミを捨てる所定の場所へ運んだ。

ダンボールに入った荷物をなどをクルマに載せて、オッペ氏の家族の家に運び、
その中で更にオッペ氏の新しい部屋に運び入れた。

今までオッペ氏はひとり暮らしをしていたのだが、
やはり家賃がかかるので、家族の新居に引っ越すことになったようなのだ。

もう1回、オッペ氏のひとり暮らししていた家に戻って、小物類を載せて、
あとは各自、自分の私物を持ってワゴン車に乗り込んだ。


そして、ロイヤルホストへ…

もう深夜だが、その時代はわりと24時間営業のファミリーレストランが珍しくなかった時代だ。


オッペ氏本人をはじめ、
オッペ氏のお母さん、
オッペ氏の高校時代からの友人2名と、
テツの友人1名。(いなてぃす氏)
合計5名で
引っ越し作業を20:00頃から始めて、7往復していたらしい。

俺が加わったのは、最後の1往復くらいだったのだ。


深夜3時くらいまで会食していた。
食事代は、オッペ氏のお母さんが出してくれた。

深夜3時を過ぎたが、みんなでオッペ氏の新しい実家へ…

しばらくして、オッペ氏の友人1人が寝てしまった。


俺は主に、テツの友人(いなてぃす氏)と喋っていた。


早朝5:50頃、いなてぃす氏と一緒にテツへ向かう。

(オッペ氏本人はレンタカー代の精算などあるので、テツへは行かず、残して行く)


この日記は翌日のエントリーへ続く…




【了】
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