番外 6月30日で引退、さよならキハ66・67系(その7、かつての活躍先、日田彦山線快速運行編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 6月30日に引退する事になっております、キハ66・67系気動車に関します話題をご紹介しておりますが前回その7では長崎線の諫早駅以北であります「有明線」と呼ばれる区間で運行されていた話題をご紹介しておりました。
 
 現在、キハ66・67系気動車は長崎線では諫早~(市布・長与)~長崎間で運行されておりますが、平成20年代には諫早~湯江間でも運行されておりまして、平成26年には上の画像にもありますように1往復が小長井駅まで延長しまして運行されておりました。尚、この延長は沿線住民からの懇願がかなったものでもありまして、現在は415系電車が長崎~小長井間で2往復で運行されておりますが、当初は上の画像にもありますようにキハ66・67系気動車が4両編成で運行されてもいました。
 

 尚、番外でもご紹介しましたように諫早~肥前山口間を表します「有明線」でも長崎県内完結路線が8本しかない中ではありますが(他は長崎・諫早~湯江間計4本)、それだけ運行されるに至っております。

 

 

 さて、今回ご紹介しますのは、かつてキハ66・67系気動車の運行路線は筑豊地区でありましたが、この中でも残念ながら一部区間が「BRT(バス高速輸送システム)」化が予定されております日田彦山線も運行路線の一つでありまして、日田彦山線では快速運行も行ってもいました。今回は、過去の時刻表より、快速運行を行っておりました列車に関しまして皆様にご紹介してまいります。

 

 現在、JR日田彦山線には、画像のキハ40系(キハ47形・キハ40形・キハ147形・キハ140形)気動車が運行されている路線でありまして、もっぱらワンマンの普通列車が運行されている路線でもありますが、かつては快速列車、さらには急行列車もこの区間で運行されておりました。
 
 
 実際に、日田彦山線自体が小倉方面から日田・由布院方面への最短ルートでもあった事もありまして、昭和30年代後半からは門司港・小倉方面から日田彦山線を経由しまして、観光地でもあります日田・天ヶ瀬・由布院各駅まで準急列車として運行されておりまして、遠くは山陰線浜田駅からも乗り入れておりましたが、昭和41年からは準急も急行化されましてそれら路線に運行されておりました。
 
 
 その後、昭和50年の山陽新幹線岡山~博多間開業に合わせまして、画像の高出力気動車でもありますキハ66・67系気動車がこの区間で運行されるようになりまして、一部の急行列車ではこの車両も使用されておりまして、彦山~筑前岩屋間にあります釈迦岳トンネル前後の急勾配にも対応できておりました。
 
 (キハ66・67系気動車、1番ユニット)~現在の姿
 
 
 そして、昭和55年になりますと、運行されておりました急行列車は全て快速列車化されまして、それら列車も複数の系統で運行されておりまして、これからご紹介します形へと変化する事にもなりました。
 
 
 さて、ここからは私が所蔵しております昭和58年・昭和60年の時刻表を参考にしまして、日田彦山線の快速列車の姿をご紹介しますが、まず画像は、昭和60年発行の時刻表より、日田彦山線の時刻表でありますが、この当時は以下に表します4系統の列車が残されておりました。
 
 (小倉・行橋→田川後藤寺→日田)
 
 (日田→田川後藤寺→行橋・小倉)
 
 
 その昭和60年の時点では、快速列車は次の名称・運行区間で運行されておりました。
 
 日田
 直方~(筑豊線)~黒崎(鹿児島線経由、当時折尾駅は通過扱い)~小倉~(日田彦山線)~日田
 
 はんだ
 小倉~(鹿児島線)~黒崎~(筑豊線)~直方~(伊田線)~田川伊田~(日田彦山線)~日田

 あさぎり
 門司港~小倉~(日田彦山線)~日田~天ヶ瀬・由布院

 ひこさん
 小倉~(日田彦山線)~日田

 こうして見ましても、各列車それぞれの系統で運行されていた事がわかります。中でも、「日田」のように直方駅から小倉駅を経由する運行区間、さらに「はんだ」のように小倉駅から黒崎駅を経由しまして、筑豊線・伊田線(現・平成筑豊鉄道伊田線)を経由する運行区間も存在しておりまして日田彦山線に通じるまでに複数に運行されていた事が伺わせております。
 
 
 一方、こちらは昭和58年発行の時刻表であります。この当時も4系統で運行されておりましたが、このうち1系統に関しましては山陰線浜田駅発・益田駅着の列車も存在しておりました。
 
 (小倉・行橋→田川後藤寺→日田)
 
 (日田→田川後藤寺→行橋・小倉)
 
 その1系統に関しましては、浜田駅発益田駅着で運行されておりました「あきよし」でありまして、本州側(下関~益田・浜田間)で急行「あきよし」として運行されておりまして、九州側で快速列車として運行されておりました。先述のように、かつてはこれら列車は急行列車として運行されておりまして、「あきよし」も通しで急行列車として運行されておりましたが、昭和55年に快速化されておりました。
 
 また、「日田」に関しましても下り列車に関しましては由布院駅まで運行されておりましたが、この列車に関しましては日田~由布院間で博多駅発の急行「由布1号」に連結されても運行されておりまして、キハ58系+キハ66・67系各気動車と言った姿が見られておりまして、編成も7両編成(豊後森→大分間は宮原線送り込み回送用のキハ40系気動車1両も含め8両)と長い編成で運行されておりました。
 
 
 しかし、「あきよし」は昭和60年に廃止されまして、上の画像にあります「ひこさん」へと至る事にもなりましたが、このように変わった形で運行されていたのが、まさに国鉄時代ならではな印象ではなかったかと思います。けれども、そんな快速列車も、翌昭和61年には「はんだ」・「あさぎり」・「ひこさん」が廃止、そして最後まで残りました「日田」も、筑豊・篠栗線電化開業時であります平成13年に廃止されまして、その年使用されておりましたキハ66・67系気動車も長崎地区に転属されるに至っております。
 

 今回は、かつてキハ66・67系気動車が運行されていた路線として、国鉄時代の時刻表より、日田彦山線で運行されておりました快速列車を中心にご紹介しましたが、このキハ66・67系気動車も当初の26年間は筑豊地区を運行されておりまして、主に活躍しておりました筑豊線などとともに日田彦山線でも活躍の場があった訳ですので、ご覧の皆様の中には懐かしく思われる方もいらっしゃるのではないかとも思います。私自身も、HPなどで調べまして過去の姿を調べたりしたほどで、実際に筑豊地区で運行されていた頃の画像も収める事ができなかった事は悔やまれますが、かつてはこのように活躍の場があった事を存じておければと思っております。
 
 (注)時刻が見にくい場合は、画像をクリックしてご覧ください。
 また、今回の記事は今年4月の掲載した記事を再構成しましてご紹介しております(当該記事削除)。