1993年12月19日の撮り鉄日記
(この日記は1993年12月19日の内容だが、ブログ投稿は2021年6月28日)
ことあと、13:10頃、北朝霞駅前でその鉄チャンとは解散。
俺は朝霞台から東武東上線経由で帰る。
実は俺、この日からCanon EOS 5を使っていた。
今まで、連写もできないEOS 1000sを使っていたが、この日からEOS 5
もちろん、フィルム時代の話な。
EOS 5は、5点測距なので、おそらくテツの間では、人気のある機種だったような気がする。
当時の一眼レフカメラって、フォーカスポイントが中心に1点しかないのが一般的で、
端っこまで5点もあるのは、テツには便利だった。
端っこと言っても、現在のミラーレスカメラのように、すごい端っこのほうまであったわけではなく、
わりと中心のほうに寄っていたものの、この時代までは、一眼レフカメラは、フォーカスポイントがド真ん中に1点しか無いものが殆どだったので、5点もフォーカスポイントがあるEOS 5は画期的だった。
連写も秒間4.5コマで、フィルム時代のカメラにしては、ハイエンド機じゃないカメラの中では良いほうだった。