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皆さま、おばんです!

 

今晩は明治生まれのアレが残る駅の訪問記です。

この駅にそんな古いモノが残ってたかって?

まぁまぁ最後までご覧くださいませ。

そのブツが残るのは函館本線・江部乙(えべおつ)駅でした。

函館本線・江部乙駅

まずは明治生まれのブツの話題に入る前に…

 

上の画像をよ~くご覧くださいませ。

江部乙駅は特急列車が通過する駅のはずなのに、

特急型のキハ183系気動車が停車してましたの。

何事かと思い、慌ててホームに入りました。

函館本線・江部乙駅

列車は「回送」の字幕が掲示されていたこと、

普段の運用にはないキロ182を中間にした3両編成なので

試運転列車ではないでしょうかね?

 

屋根や床下がまったく汚れていなかったので全検明けの試運転かな?

函館本線・江部乙駅

駅巡りの最中にこんな列車に出くわすと得した気分になります。

 

しばらくすると、列車はゆっくりと旭川駅方面に下っていきました。

函館本線・江部乙駅

自分がこのシーンに出くわしたのは今から3年前のことです。

この時すでにキハ183系気動車は宗谷本線の運用から外れており、

石北本線の特急「オホーツク」「大雪」のみになってました。

この日見たキハ183系気動車、いつまでも頑張ってほしいですね。

 

話を江部乙駅に戻します。

函館本線・江部乙駅

江部乙駅は明治31年に開業した駅とのこと。

現在ある駅舎は昭和28年に建て替えされたモノだそうですよ。

 

その証拠に駅舎の竣工年を記す建物財産標が貼られてました。

函館本線・江部乙駅

駅舎はJR移行後も国鉄時代と変わらぬ装いでいたそうですが、

付近に道内最大の菜の花畑があることから

平成29年秋になのはなカラーに改装されたとのこと。

自分はその直後に訪れてたみたいです。

 

駅舎内では週末に「駅カフェ」が営業しているそうですけど、

自分は週末が仕事の身分。

美味しいパンやお野菜、コーヒーが販売されてるそうですので、

いつか再訪を果たしたいです。

函館本線・江部乙駅

 

この日の待合室は閑散としてましたが、

きっと週末は大勢のお客さんで賑わってるのでしょうね。

函館本線・江部乙駅

 

駅舎内に、駅カフェのスタッフさんが用意したと思われる、

駅舎が改装される様子が綴られた写真が飾られてました。

駅ファンにとって、こんな掲示物はホントにありがたいです。

函館本線・江部乙駅

 

こちらは駅カフェを紹介するポスター。

とても楽しそうだと思いません?

函館本線・江部乙駅

 

このキャッチフレーズが心に響きます。

函館本線・江部乙駅

平日に江部乙駅を訪れた自身をつくづく恨んでましたよ。

 

江部乙駅は平成15年に無人駅化されたそうですが、

平成27年に駅カフェが営業を開始したからか、

無人駅によくある「ほったらかし感」はまったく感じられませんでした。

函館本線・江部乙駅

 

駅便(駅の便所)は清潔感たっぷりです。

入口にかわいい感じのイラストが貼られてましたっけ。

函館本線・江部乙駅

 

女子トイレのイラストのキラキラ感、

できれば男子トイレにもおすそ分けくださいませ。

函館本線・江部乙駅

 

続いてはホームにイン。

江部乙駅は中央に待避線を配した、

相対式&島式ホームによる複合2面3線構造です。

函館本線・江部乙駅

 

2本のホームは跨線橋で結ばれてましたよ。

函館本線・江部乙駅

 

各駅で車扱いの貨物輸送が行われていた国鉄時代、

函館本線の駅には大抵

列車を退避させるための待避線が設けられてましたが、

JR移行後は大概の駅で撤去、

江部乙駅は数少ない待避線がそのまま残された駅なのです。

函館本線・江部乙駅

試運転列車が江部乙駅に停車していたのは

そんな事情があったからかもしれませんね。

 

さてさて、冒頭に書いた

江部乙駅に残る「明治生まれの代物」の件です。

2本のホームを結ぶ跨線橋をご覧くださいませ。

函館本線・江部乙駅

この跨線橋が明治時代に造られたモノかって?

 

いえいえ、

銘板に記された通り跨線橋は昭和30年に竣工したモノです。

函館本線・江部乙駅

Wikipediaによれば

昭和29年に北海道を直撃した台風19号(洞爺丸台風)により

それまで使われていた跨線橋が倒壊、

今あるモノは代わって造られた跨線橋だそうですよ。

 

それではなにが「明治生まれ」なのか?

跨線橋全体ではなく中央の通路部分をご覧ください。

函館本線・江部乙駅

この通路、中古のプレートガーター橋(鉄橋)を転用したモノで、

このガーター橋こそが明治生まれの代物なのです。

なぜそのように断言できるのか、

理由は後ほど触れることにしまして…

 

昭和30年に竣工した跨線橋ですが、

昭和44年に函館本線が電化される際、

跨線橋と架線が干渉することから通路部の嵩上げが施されたようです。

駅舎に飾られてる昭和38年撮影の跨線橋と見比べてください。

跨線橋の通路部の高さが電化前と違うのがわかりますでしょ?

函館本線・江部乙駅

 

嵩上げされた通路部ですが、ここで用いられたのが役目を終えた鉄橋。

JR北海道ではプレートガーター橋を転用した跨線橋をよく見かけます。

函館本線・江部乙駅

 

だから江部乙駅の跨線橋も「よくあるブツ」程度に見てたのですけど、

珍しかったのが補強材にレールが使われている点。

このような造りの跨線橋は他にもあったような気が…?

函館本線・江部乙駅

 

宗谷本線・比布駅で現役の跨線橋だ!

宗谷本線・比布駅

宗谷本線・比布駅

実は比布駅の跨線橋に転用されたプレートガーター橋は

ドイツの橋梁メーカーであるハーコート(Harkort)社が

明治36年(1903年)に製造したモノなのです。

北海道はアメリカ式の鉄道技術で敷設されたはずなのに、

ドイツ製の橋梁があるという、とても謎めいた代物なのですよ。

江部乙駅跨線橋もコレと酷似してたのですよね。

 

そこで、江部乙駅の跨線橋にもハーコート社の銘板がないか

探してみたのですが…ありました!

遠すぎて文字の判別が出来ませんでしたが、

銘板の形状からしてハーコート社のモノで間違いなさそうです。

 

跨線橋のタネとなったガーター橋、

もともとロの字形で支柱が組まれてたものを

コの字形に加工して跨線橋に転用したはず。

通路の内側を見るとそんな様子が確認できました。

函館本線・江部乙駅

 

…というか江部乙駅と比布駅のガーター橋、

出どころは一緒じゃないです?

何から何まで造りが同一なのですけど。

函館本線・江部乙駅

宗谷本線・比布駅

上は江部乙駅、下は比布駅の跨線橋でした。

 

再び駅舎に話を戻します。

こちらは駅舎に掲げられてるりんごマーク付きの駅名標。

「江部乙りんご」は滝川市の名産だそうですよ。

函館本線・江部乙駅

 

構内の駅カフェのほか駅前には温泉もありました。

函館本線・江部乙駅

週末は江部乙駅周辺だけで丸一日が過ごせそうです。

 

…とか言いながら頭の中は跨線橋しかなかった自分。

跨線橋が造られた直前に廃止された路線探れば、

プレートガーター橋の出どころがわかるかも。

調べてみると思わぬ発見があるかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

訪問駅リスト(JR線)

函館本線(小樽駅‐旭川駅)

 

↑(塩屋駅・長万部駅方面)

小樽駅

南小樽駅(平成30年5月31日)

小樽築港駅(平成30年5月31日)

朝里駅(平成30年5月29日)

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伊納駅(平成29年5月25日) 前編 ・後編

近文駅(平成29年5月25日)

旭川駅

 

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