こんにちは。
今日はED75機番シリーズの第122回 725号機です。
ED75 725[秋] 1971年落成
生抜きの秋田車、奥羽、羽越本線がホームグラウンドでした。
そのまま国鉄民営化を迎え、JR東日本へ継承されます。
最初の撮影はこの1枚でした。初めて刈和野駅で降りてみて、峰吉川方面へ撮影地を求めて歩いて行ったと思います。当時はスマホもネットも無いので、国土地理院1/25000地図を買ってきて、この辺がいいかなー?と降りて適当に歩いた、パターンと思います(笑)。曇り空でしたが初の725号機、50系客車を牽引してやって来ました。
今は新幹線の複線、片方は在来線共通の3線軌条になっている区間と思います。
1991/08 奥羽本線(以下同様) 峰吉川-刈和野 2438レ
陽の長い今頃の季節の夕方、青い12系2000番台を従えてやって来ました。客車5連の快速、いい感じだったかな。
18時ごろの撮影、光線条件は厳しく手前は陰っていたので流しています。
運転室側窓はユニットサッシ化された700番台でした。
1992/06 鶴ヶ坂-大釈迦 3640レ(2枚とも)
寒い寒い1月でしたが、景色的には大人しい感じ、50系客車を連れてやって来ました。
全検上がりという訳ではなさそうですが、高圧碍子が緑色になっていました。塩害防止の塗料と聞いています。北風の強い冬場に塗られるとかあったでしょうか?
1993/01 鶴ヶ坂-津軽新城 629レ
同じ日の午後の列車が最後の撮影になりました。
1993/01 大釈迦-鶴ヶ坂 633レ
725号機は1994年1月に廃車になっています。
年に1回づつ、3回(3日)しか出会えなかった機関車ですが、客レ牽引に活躍する姿を記録出来ました。
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今日は短めですが...
以上ED75 725 機番シリーズNo.122、最後までご覧いただきありがとうございました。