その3(№5530.)から続く

最近平日は多忙を極めていて、なかなか更新のいとまがありません。悪しからずご容赦を。

今回は、神戸「ポートライナー」の後を追った、初の完全公営のAGTを取り上げます。
そのAGTとは、「大阪市交通局(現Osaka Metro)南港ポートタウン線」、通称「ニュートラム」。
前回取り上げた「ポートライナー」開業が昭和56(1981)年2月5日ですが、「ニュートラム」の開業は同じ年の3月16日。方式も側方案内式、三相交流600Vと、「ポートライナー」とほぼ共通した仕様となっています。
ここで「ほぼ」と申したのは、「ポートライナー」とは分岐器(転轍機)の仕様が異なるから。「ポートライナー」は浮沈式の転轍機を採用していて、車両の側にもそれに対応した案内輪が車両の両サイドに設置されていますが、こちら「ニュートラム」は側方案内軌条式を採用し、転轍機にも浮沈式を採用しなかったことが、両者の相違点となっています。ちなみに、AGTに関する標準規格が制定されるのは、「ニュートラム」開業から2年後の昭和58(1983)年ですが、この標準規格は、「ニュートラム」のそれがもとになっています。以後開業するAGTは、ほとんどがこの方式でした。そうではない事例が2つありますが、そちらは追々取り上げることにします。

「ニュートラム」は、当初は住之江公園-中ふ頭間の路線として開業していますが、この路線は「ポートライナー」とは異なり、住之江公園で終点となる市営地下鉄四つ橋線の、実質的な延伸区間として建設されました。そのためか、「ニュートラム」の路線は当時の大阪市営地下鉄の路線の一部とされ、実際に地下鉄との通し運賃が適用、さらに住之江公園駅では改札内で直に四つ橋線の電車との乗り換えが可能となっています。管理人はこの路線に初めて乗ったのが昭和62(1987)年ですが、住之江公園駅で地下鉄コンコースから「ニュートラム」の乗り場に直結する長いエスカレーターに度肝を抜かれたのを覚えています。
「ニュートラム」が実質的な四つ橋線の延伸区間であるとすれば、そのまま住之江公園から四つ橋線を延伸すればいいようにも思いますが、わざわざAGTを採用したのには、管理人が考えるに3つの理由があるように思われます。
1つ目は、建設技術・費用の問題。「ニュートラム」の走行区間は港湾部であり、しかも埋め立て地であるためトンネルを掘るにはコストがかかること。
2つ目は、四つ橋線の浜寺方面への延伸計画が当時まだ生きていたと思われること。もしこれが生きていて、なおかつ中埠頭方面にも延伸しようとしたら、住之江公園駅の大改造が必要になったであろうこと。
3つ目は、輸送量の問題。住之江公園以遠の港湾部では、普通鉄道を延伸しても輸送力過剰になることが懸念されたであろうこと。
恐らくはこのような理由によりAGTが選択され、「ニュートラム」開業の運びとなったのでしょう。

「ニュートラム」の車両・100系は、「ポートライナー」の8000形によく似た、片側1か所の客用扉を持つ車両となりました。ただしこちらは4連。四つ橋線は19m級の車両の5連(当時。現在は6連化されている)ですから、その輸送力の差は顕著です。
また「ポートライナー」がクリーム色にモスグリーン帯の、割と落ち着いたカラーリングであるのに対し、こちらは白地に青帯、さらに正面貫通扉部には赤を配する、鮮やかなトリコロールカラーで現れました。
ちなみに、8000形がアルミ合金製車体であるのに対し、100系は普通鋼製でした。これは、100系が早すぎる退役を余儀なくされた要因ともなります。

「ニュートラム」に転機が訪れたのは平成9(1997)年のこと。
この年、中埠頭-コスモスクエア間が「大阪港トランスポートシステム南港・港区連絡線」(通称:ニュートラムテクノポート線)として開業、「ニュートラム」の実質的な延伸区間として、「ニュートラム」との相互直通運転を開始しました。この区間は大阪市交通局ではなく、大阪市などが出資する第三セクター「大阪港トランスポートシステム(OTS)」が建設し運営する路線でした。この路線の開業の経緯は、中埠頭から離れた港区の港湾地区に高層オフィスビルや商業施設などが立地したものの、鉄道によるアクセスは「ニュートラム」しかなく、しかもルートが遠回りになるため、それならば地下鉄中央線の大阪港と「ニュートラム」の中ふ頭を結んでしまえば、利便性が大幅に向上するという目論見でした。
ちなみに、当初は中ふ頭-大阪港間を全区間AGTで整備する計画だったそうですが、コスモスクエアにライブハウスなどイベント会場が立地することが決定したことで、輸送力の小さいAGTでは観客輸送に難があると判断され、大阪港-コスモスクエア間は普通鉄道として建設されました(OTSテクノポート線)。こちらは地下鉄中央線の実質的な延伸区間となっています。
なぜ大阪市交通局がこの路線を建設しなかったのかについては、当時の計画ではこの路線には「公共輸送」であることが認められなかったため、港湾部の施設管理等を行っていたOTSを事業主体とすることに決定した経緯があります。

この「ニュートラムテクノポート線」、AGT初の相互直通運転を行う路線として、趣味的には注目されていたようですが、実際には利用は低迷していたようです。それも道理で、中ふ頭を跨いでしまうと別運賃(当時の値段で230円)が加算されてしまうから。これは地下鉄としてのテクノポート線も同じで、やはり利用は伸び悩んでいました。
そこで、平成17(2005)年、OTSはニュートラムテクノポート線・テクノポート線の運営を大阪市交通局に移管し、これら路線は大阪市交通局の路線となりました。これにより、「ニュートラム」は住之江公園-コスモスクエア間に、そして地下鉄中央線は大阪港ではなくコスモスクエアまでとなりました。ただしOTSが完全に鉄道事業から撤退したわけではなく、トレードセンター前-コスモスクエア間の設備の保有は継続しています(第三種鉄道事業者)。
これにより、「AGT初の相互直通運転」は僅か8年で終了しました。

前後しますが、車両は平成6(1994)年から、ステンレス製の100A系に置き換えられることになりました。「ニュートラム」開業からわずか13年しか経っていませんが、これは、港湾部を走るために塩害によるダメージが顕著になったから。しかも神戸の8000形とは異なり普通鋼製車体のため、ダメージがより大きかったため、置き換えが急がれたものです。
その100A系も200系に追われ、平成31(2019)年までに全編成退役しました。現在は200系の天下となっています。

 

大阪市交通局が運営を続けてきた「ニュートラム」ですが、平成30(2018)年には、運営主体の大阪市交通局が民営化され、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)となりました。これにより、「ニュートラム」は公営ではなくなってしまいました。現在完全公営のAGTは、平成20(2008)年に開業した日暮里・舎人ライナーのみとなっています。

次回は、千葉に出現した、神戸・大阪とは異なる方式のAGTを取り上げます。

その5(№5541.)に続く

 

【おことわり】

予告編では埼玉のニューシャトルを先にしていますが、開業年次に鑑み千葉県佐倉市の「山万ユーカリが丘線」を先に取り上げます。