4
えちごトキめき鉄道413系の試運転・車庫留置線内で目撃された「越後」「赤倉」「ひめかわ」「アルペン」「妙高」「とがくし」の各種ヘッドマーク、この2種はえちごトキめき鉄道の路線網が国鉄・JRの路線だった時代、実際に走っていた急行列車の列車愛称として使われていたものです。どうやら他にもあるということだそうですが、判明している分だけ掲載します。
https://www.torizuka.club/2021/06/20/電車の名前/(えちごトキめき鉄道社長「鳥塚亮」さんの個人ブログにアクセスします)

えちごトキめき鉄道「急行」についてはこちらをご確認ください。




【解説:急行「赤倉・とがくし(2代目)」】
急行「赤倉」は1962年〜1985年に旧国鉄が名古屋駅〜新潟駅間、1988年〜1997年にJR東日本が小諸駅・上田駅・長野駅・松本駅〜新潟駅間を結ぶ列車として運転していた急行列車。列車愛称は妙高高原駅にほど近い場所にある『赤倉温泉』に由来する。
また、2代目となる「とがくし」は2代目「赤倉」のベースとなった列車のひとつであり、小諸・上田発着系統の運転系統は『とがくし』の影響を強く受けている列車であるといえる。
※「とがくし」の愛称については「妙高・とがくし(初代)」の項目で解説しています。

[1962年〜1985年:初代「赤倉」]
8884BC52-AC30-4262-AD65-012DCFF2B80D
1947年に運転を開始した名古屋駅〜長野駅間の客車夜行準急「きそ」の昼行増発便『きそ1号』と1961年に運転を開始した気動車準急「あさま」を1本の列車として気動車急行化した列車が初代『赤倉』です。この区間を走る特急「しなの」「きそ」は1973年の中央本線全線電化後順次電車化されていきましたが、『赤倉』は車両繰りの関係から1982年まで気動車急行のまま運転を続けられています。1985年のダイヤ改正で松本駅以南は特急「しなの」、松本駅以北は急行「南越後」に系統分割される形で定期列車としての運用を終了した。

[1972年〜1988年:2代目「とがくし」]
90FAABE5-FD1D-4CD6-A7CE-59465BEA2D6C
1972年に上田駅〜新潟駅間の電車急行「よねやま」が列車愛称変更(「よねやま」は『上野〜上越線長岡経由〜直江津』の列車愛称に変更)により2代目『とがくし』が登場しました。1986年の2代目「赤倉」への統合時点での運転区間は「長野駅〜新潟駅(2往復中1往復は「小諸駅〜長野駅」間を「普通」として延長運転)」で、信越本線北部地域を代表する急行列車ではありましたが、最末期は3両編成(多客時は6両編成)での運転でした。


[1988年〜1997年:2代目「赤倉」]
5E515F50-357D-4E87-A8B2-3A0870299C54
2代目「赤倉」は前述の『とがくし』、それに『南越後』の2列車を統合する形で1988年に登場したものです。「急行」としての運転区間は妙高高原駅〜新潟駅の間であり、それよりも南の区間では急行料金の不要な『快速・普通』での運転となっていました。1997年に同区間を走る特急「みのり」に置き換えられるかたちで運行を終了、現在は妙高高原駅〜直江津駅の間にある『新井駅・上越妙高駅』を発着駅とする特急「しらゆき」がその役割を引き継いでいます。
※運転系統略図は運転開始時(1988年)のものです。


【解説:急行「越後」/関連列車「ゆのくに」 】
急行「越後」は1948年〜1965年に旧国鉄が上野駅〜新潟駅間を上越線経由で、1968年〜1978年に旧国鉄が大阪駅〜新潟駅間を結ぶ列車として運転していた急行列車。列車愛称は新潟県の旧国名のひとつである『越後国』に由来する。
また、「ゆのくに」は1952年に加賀地方の温泉地への行楽輸送を担う列車として運転を開始した準急「ゆのくに(大阪〜金沢)」を起源とする列車愛称であり、大阪〜金沢間の「急行」が乱立するなかで『加賀』にまとめられるかたちで一旦姿を消したものの、再度行われた列車愛称の整理で同区間の急行として『再登場』した経歴をもっています。列車愛称は登場当初の運行目的である「加賀温泉郷」を意識した『湯の国』に由来しているものと推測していますが、正確な情報は確認できていません。

[1948年〜1965年:初代「越後」]
1C07EE24-06B9-40A7-94B5-2A9751A641AE
1948年のダイヤ改正で上野駅〜新潟駅間を結ぶ上越線経由の夜行準急(新潟駅から先、秋田駅まで不定期列車として延長運転を行うことがあった)701列車・702列車を起源とし、列車番号の変更を経て1958年に「709列車・710列車(上野〜上越線経由〜新潟)」に対して『越後』の列車愛称が付与されたものです。電車化は1963年、それまで客車準急だった「越後」を急行化した『天の川』に先行する列車として電車急行(165系)化されました。1965年、それまで同区間の昼行列車として使用されてきた『越路』に列車愛称を変更(それまでの「越路」はこの時「佐渡」に吸収された)し「越後」は一旦その歴史に幕を下ろします。

[1968年〜1978年:2代目「越後」/「ゆのくに」]
5DE106C6-BB1F-4704-981D-EF15B0EF61BA
「越後」がふたたび列車史に登場したのは1968年のこと、日本海縦貫線(北陸本線・羽越本線)を通る寝台特急『日本海』の新設に伴う急行列車の列車愛称変更(夜行客車急行「日本海(大阪〜青森)」→夜行客車急行「きたぐに(大阪〜青森)」、昼行気動車急行「きたぐに/奥能登」→昼行気動車急行「〇〇/ゆのくに」)を行った際、「奥能登」改め『ゆのくに』と併結運行される昼行気動車急行(旧「きたぐに」)の代わりの列車愛称として『越後』という列車愛称が付与されました。北陸・信越本線の両線ともに電化されており、当然「ゆのくに」や「きたぐに」などは電車・電気機関車での運行も行われていたが、併結される「ゆのくに」が非電化路線である七尾線に乗り入れる関係上、気動車急行での運行となっていました。1978年に同区間を走る特急「雷鳥」に吸収され「越後/ゆのくに」の歴史に幕を下ろしました。急行「ゆのくに」自体は大阪〜金沢間の電車急行として残り、1982年に「雷鳥」に吸収されるかたちで姿を消しています。

※初代「ゆのくに」は新潟県に乗り入れる列車とは無関係(併結を含む)な列車のため詳細は省略しています。


【解説:急行「妙高・とがくし(初代)」】
妙高」は1950年に登場した信越本線の昼行準急を起源とし、碓氷峠の廃止に先立つ1993年までの約43年間にわたり運行された列車。「とがくし」は上野〜長野間の昼行準急としてデビューした列車で、最終的に「妙高」「信州」の一部となった列車のひとつである。列車愛称は「妙高」が『妙高山』に、「とがくし」が『戸隠山』にそれぞれ由来する。

[1950年〜1993年:「妙高」]
A64504EB-7895-4B3D-BBF0-F7BC37E3199B
1950年に上野駅〜直江津駅間を結ぶ昼行準急として登場した列車に対して1958年に初めて「妙高」という列車愛称がつけられました。1961年にこの列車と「白樺(1953年運転開始:昼行準急)」を統合、1962年には昼行列車として急行化(夜行便は「あさま」として分離)、1968年〜1969年にかけて「信州(一部)」「丸池(先程の「あさま」を急行化した列車)」などを吸収し最大6往復(昼行・夜行)と最盛期を迎えた。
1972年に1往復が特急「白山」に、1985年に昼行便が特急「あさま」に格上げされたあとは夜行急行として上野〜長野間を運行、最終的に信越本線長野以南の特急が全廃されることになった1993年まで運転が続けられた。
※運転経路略図は登場当時(1950年)の経路図となっています。

[1960年〜1968年:初代「とがくし」]
8B8A23B3-EAE3-4CF2-BC9D-3D5333B28A50
1960年6月ダイヤ改正で上野駅〜長野駅間の昼行客車準急列車として登場、1961年の気動車化と同時に急行列車となった。初代「とがくし」は1968年に『信州』に吸収され一旦姿を消した。
※「妙高」最末期と運行区間が重複しているため、『妙高(1990年)』『とがくし(1965年)』を一つの経路略図でまとめました。

※1997年から2015年まで運転された「2代目『妙高』」は普通・快速列車のため掲載しておりません。

【解説:急行「ひめかわ」/関連列車「かくだ」】
ひめかわ」は現在の糸魚川市地域から新潟市内方面への速達列車として1963年に運行を開始した列車で、のちに越後線を走る急行列車となった列車です。列車愛称は糸魚川市を流れる『姫川』に由来、2代目「ひめかわ」の母体となった準急「かくだ」は佐渡弥彦米山国定公園(当時:佐渡弥彦国定公園)の『角田山・角田岬・角田浜』に由来しているといわれています。

[1963年〜1968年:初代「ひめかわ」、1966年〜1968年:「かくだ」]
64D86DE6-5938-4263-897D-F7683DC42522
1963年に糸魚川エリアから新潟市内への速達列車として運転を開始した準急「ひめかわ」は、当初糸魚川駅始発の新潟行きのみが運転されていましたが、1966年に「急行」となってからは新潟発の列車(新潟駅発直江津行き、直江津から先「普通」として青海駅まで運転)の運転も行われるようになりました。また、1966年には越後線の速達需要に対応するため準急「かくだ」が新潟駅〜柏崎駅間で運転されるようになりました。
※運転系統略図は1966年10月、「かくだ」運転開始時のものです。

[1968年〜1982年:2代目「ひめかわ」]
C880CE36-7122-4ACD-B11E-F5D52688E8B8
1968年にそれまで長岡経由で運転されていた「ひめかわ」と柏崎〜新潟間を越後線経由で結んでいた準急「かくだ」を統合し、越後線史上唯一となる定期急行列車『ひめかわ』となりました。その後、始発駅を青海駅に変更しながら1982年に『快速』として格下げされるまで運行されました。
※運転系統略図は1968年、越後線経由の『ひめかわ』運転開始直後のものです。

【解説:臨時急行「アルペン」】 
アルペン」は季節運転の臨時急行として1971年〜1972年(初代:大阪駅〜北陸本線・中央西線〜大阪駅)、1975年〜1992年(大阪駅〜富山駅)にかけて大阪駅を起点として運転された列車である。列車愛称は「アルプス」からきているのですが、中央東線系統の急行として「アルプス」が既に存在していたため、「アルプス」のドイツ語読みである『アルペン』になったのではないかと考えられます。

[1971年〜1972年:循環急行「初代『アルペン』」]
E434D33E-164E-4F85-A746-8684E49A3DB3
初代の急行「アルペン」は1971年・1972年に大阪駅発中央西線・北陸本線経由大阪行きという『循環急行』のかたちで運転される臨時急行として運転された「アルペン1号(北陸本線→中央西線)」「アルペン2号(中央西線→北陸本線)」が『アルペン』を名乗る列車の起源といわれています。全区間を走破するのに20時間以上かかるこの列車を乗り通す猛者はいたのか、逆に気になってしまうところです。
※循環急行「アルペン」は湖西線ではなく米原駅を経由します。

[1975年〜1992年:急行「2代目『アルペン』」]
AA27E775-F9ED-4D3B-B9F6-3F2F212E3AEA
2代目急行「アルペン」は1975年に大阪駅〜富山駅間を結ぶ臨時急行として1992年まで多客時を中心に運転された列車です。「急行」とはいいながら14系客車や485系電車といった『特急』形の車両が用いられ、485系電車での運転に移行してからの一時期は『和室タイプのグリーン車(だんらん)』が連結されるなど車両面ではいかにも『雷鳥』そのまんまな「急行」列車でした。


[注釈]
全系統:大阪発着の列車は「湖西線」 ではなく現在の琵琶湖線(米原経由)での運転事例もあります。

コメントを投稿される際は必ずご確認ください。何か間違い・補足等がありましたらお気軽にコメントをお願いします。
http://blog.livedoor.jp/uppi_natettyan/archives/22094005.html

※使用できるタグの数の都合上、「JR西日本(北陸)」で掲載しております。

鉄道コム

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 


【急行『「ヘッドマーク」列車愛称+α』のまとめ】
[赤倉]
・赤倉(1代:1961〜1985):名古屋〜新潟間の「急行」 
・赤倉(2代:1988〜1997):妙高高原〜新潟間の「急行」

[越後]
・越後(1代:1498〜1965):上野〜新潟間(上越線経由)の「準急・急行」
・越後(2代:1968〜1978):大阪〜新潟間の「急行」

[ゆのくに]
・ゆのくに(1代:1952〜1965):大阪〜金沢間の「準急・急行」
・ゆのくに(2代:1968〜1978):越後と併結運転していた大阪〜輪島間の「気動車急行」
 ※「ゆのくに(2代)」は1968年〜1982年に大阪〜金沢間の電車急行として運転
[妙高]
・妙高(1代:1950〜1993):上野〜直江津(長野)間の「準急・急行」 

[とがくし]
・とがくし(1代:1960〜1968):上野〜長野間の「準急・急行」
・とがくし(2代:1972〜1988):長野〜新潟間の「急行」

[ひめかわ]
・ひめかわ(1代:1963〜1968):糸魚川〜新潟間(長岡経由)の「準急・急行」
・ひめかわ(2代:1968〜1982):小海(糸魚川)〜新潟間(越後線経由)の「急行」

[アルペン]
・アルペン(1代:1971〜1972)
        :大阪〜大阪(富山・直江津・長野・名古屋経由)の「臨時(循環)急行」
・アルペン(2代:1975〜1992) :大阪〜富山間の「臨時急行」