C59-164 -② / 梅小路機関車庫 | 安芸もみじ / Historys, Trains, Townbikes - Hiroshima JAPAN

C59-164 -② / 梅小路機関車庫



京都鉄道博物館 梅小路機関車庫に保存されている、C59-164号機の履歴書を今回は記事にしますが、糸崎機関区最後のSLの1機でもあるため山陽本線・呉線の年表も一部並記します。

C59164は戦後生れで、1946(昭和21)年7月31日に、日立製作所笠戸にて品番1999として誕生し、8月10付けで大阪鉄道管理局 梅小路機関区へ新製配置されました。

書類上では8月10日付けでしたが、実際に梅小路区入りしたのは8月16日で、2日後の8月18日より使用開始されました。



1950(昭和25)年8月10日付けで糸崎機関区へと転属し、伝説の糸崎機関区の最盛から終焉迄をここで見届けます。

1955(昭和30)年の検査時に第一先輪をスポーク車輪に交換されますが、現在は第二先輪がスポーク車輪となっています。

1957(昭和32)年1月に広島工場(現 JR貨物広島車両所)にてボイラーを川崎車輌製の新缶に交換、そして4月より呉線の一部普通列車にキハ25やキハ17など気動車導入。



1960(昭和35)年10月1日に上郡~倉敷間が電化完成、1961(昭和36)年9月6日に倉敷~三原間の電化完成により、一部を残して糸崎機関区の蒸気機関車による、山陽本線東方面定期運用が終了。

1962(昭和37)年5月12日に三原~広島間の電化完成、そして1964(昭和39)年5月12日に山陽本線の全線電化完了し、10月1日には東海道新幹線が開業します。

1968(昭和43)年4月25日、新幹線の広島延伸に合わせるよう呉線の電化工事が起工。



1970(昭和45)年2月10日に倉敷市・広島市・下関市・北九州市で山陽新幹線 岡山~博多間の起工式が行われました。

1970(昭和45)年8月3日、呉線の9割以上に電化が進捗したことにより、架線試験列車が入線し電化設備の試験を開始すると、8月22日からは電化試運転として蒸気機関車牽引列車に、電気機関車を連結しての電蒸運転が始まりました。

1970(昭和45)年8月24日、呉線電化開業を前に岡山局主催で さよならC62・C59号 が、岡山~糸崎間にて C6217 + C59164の重連で運転され、翌9月1日付けでC59164は第一種休車指定を受けます。



9月15日に直流1500Vにて全線の電化が完了し、全区間で列車集中制御装置 (CTC)も正式稼動を開始し、 電蒸運転を行っていた一部の列車はEF15やEF58で電気機関車単独の牽引に移行。

9月23~29日まで、電化完成の関連行事として呉駅構内で蒸気機関車展示会が実施され、既に運用を持っていなかったC59164も展示されました。

9月30日、C59-161号機牽引による急行 安芸が、呉線の蒸気機関車さよなら列車として運転され、伝説の糸崎機関区が終焉を迎えました。



その後C59164は、月日は不明ながら翌1971(昭和46)年の春頃、糸崎機関区へ在籍のまま岡山機関区へ移動されて留置されます。

8月11日付けで糸崎機関区から奈良運転所へ車籍が移され、岡山機関区を無動力回送で出発し、翌12日に奈良運転所へ到着。

11月24日、梅小路機関区が奈良運転所より借入し、国鉄製作映画『蒸気機関車-その百年』の撮影に使用し、撮影後奈良運転所へ返却されました。



1972(昭和47)年3月、奈良県内の自治体へ静態保存機として無償貸与の予定で、車籍を残したまま第一種休車継続中でしたが、その後この計画は自治体側の都合で中止となります。

そして1972(昭和47)年3月15日に山陽新幹線 新大阪~岡山間が開業します。

10月1日付けでC59164は梅小路機関区へ転属となり、第一休車のまま古巣の梅小路区で過ごし、梅小路蒸気機関車館の開館を迎えました。

C5983,特急かもめ

セノハチ,D52,特急かもめ

当初はC59-1号機が梅小路蒸気機関車館へ保存される予定でしたが、1979(昭和54)年3月28日付けでC59164が梅小路区備品(無火)となります。

10月10日、梅小路蒸気機関車館がオープンし静態保存機として公開展示されましたが、C59164はC59型蒸気機関車として形式最終廃車機で生涯走行距離は200万2千879kmでした。

1975(昭和50)年3月10日、岡山~博多間延伸開業により、山陽新幹線全線開業。

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2016(平成28)年4月29日、京都鉄道博物館落成に伴い同館扇形庫にて公開展示継続中です。

が、C59164は呉線に残る3機の中で缶の状態が最も良く、それが梅小路保存の選定理由だったため、保存展示開始頃には有火状態に戻されず車籍が抹消となってしまったことに、残念がる関係者やファンが大勢いたそうです。

ちなみに余談ですが年表ついでに・・・・1950(昭和25)年10月1日に宇品線への直通運転が開始されましたが、1966(昭和41)年12月20日には宇品線への直通運転は廃止となりました。



写真について今回は何も触れていませんが、C53-45号機と並んだ写真は別の日の撮影で、呉線にC59が配備される以前の主力はC53でした。

そしてモノクロ写真ですが、どちらも特急かもめで1枚目はC59161の記事から再掲載なのと、額縁写真は特急かもめの後押しを終えて走行解放したD52です。

ラストは京都鉄道博物館のC62-26号機ですが、この機も糸崎機関区所属機なので、ナンバープレートの改編と復刻してみた1970(昭和45)年8月24日のさよならヘッドマークはを貼ってみました。

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6月22日はボウリングの日

江戸時代、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)公が将軍だった時代には、今の首都圏に該当する場所に、意外にも欧風の高級ホテルや遊技場などが建設されていたことは、最近になってよく知られるところとなりましたが。

1861(文久1)年6月22日付けの英字新聞『ザ・ナガサキ・シッピングリスト・アンド・アドバタイザー』の広告紙面に『インターナショナル・ボウリングサロン、本日、広馬場通にオープン』との記事が掲載されていたことから。


公益社団法人日本ボウリング場協会が1972(昭和47)に制定、ボウリングの魅力を多くの人に知らせるのが目的だそうです。

ボウリングかぁ・・・・メニエル病になってから1回だけ行ったコトあるんだけど、元々そんなに上手くなかったからなぁ(笑)

平均でなくて最高得点なんなら、160点でしたよ。

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