っかくの新車119系の大半を静岡に持って行かれた飯田線では、当然電車は不足していました。

 

当面はダブついていた165系3連を充当するにしても、それだけであの長大な路線の運用を賄いきれるものではありません。長期的には新製電車の配属を待つにしても、中短期的な手当てが必要な時期でした。

 

そこで、

 

 

各地で運用から外れた57系客車が投入され、ED62かEF65PF改造のED64に牽かれて飯田線北部で運用に就いていました。

 

電車化・気動車化で余剰となった57系客車が、電車が不足している飯田線で再起を果たしたと言うのは、良く出来た皮肉です。

 

 

末期の運用図表。投入当初は遥々中部天竜まで足を伸ばして滞泊する列車もあり、組数は車庫入り1を含めて4組までありました。

 

これらの客車運用は1995年改正まで残置し、その後57系の一部はエンジンを架装して気動車化され、あるものは客車のまま九州へ移動し2000年頃まで運用に就いていました。

 

 


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