織田信長 洪水の最中に出陣?

<織田信長1>

(織田信長はアスペルガー)(証明編①)

【投稿日 令和3年6月19日】

【追記 令和3年7月9日、14日】

【追記・修正 令和4年6月16日】

 

R4.6.16に改めて当ブログを読み返したところ、もう少し工夫した方が良いと思ったため、見やすくなるよう修正します。(内容については変更ありません)

 

 

1 織田信長はアスペルガーであることを証明する箇所(R4.6.16修正)

 以前のブログで記載した通り、太田牛一著『信長公記』を見ると、織田信長がアスペルガーであることを証明する箇所がたくさん出てきます。

 例えば、『信長公記』巻11(天正6年(1578年))に次のような記載があります。

<引用>(古文)

※引用元:『信長公記』(太田牛一著、奥野高広・岩沢愿彦 校注)(角川日本古典文庫)のP244

※引用理由:織田信長がアスペルガー症候群であることを証明するため、引用する必要があった。また、古文であるため、そのままの文字で引用する必要があった。

 

<ソロ鉄ブログ管理者補足説明>

 ここでいう「御動座」については、下記現代語訳を呼んだ限り「出陣」のことを指すようである(多分)。

 

 

<引用>(現代語訳)

(前略)(天正六年)五月十三日、信長公がご出陣になる旨を仰せ出されたところ、(中略)洪水が各所に出た。賀茂川・白川・桂川が一面にあふれ、(中略)上京舟橋の町を押し流したため、水におぼれて多くの人々が死ぬありさまだった。(中略)このような洪水ではあったが、これまで信長公はご出陣とあれば予定の期日を違えたことがなかったから、舟に乗ってでも出発なさるであろうと、淀・鳥羽・宇治・真木の島・山崎の者たちは、数百そうの舟を用意して五条油小路までろやかいを立ててやって来た。このことを信長公に申し上げたところ、たいへんなお喜びようであった。(以下略)

※引用元:『現代語訳 信長公記』(榊山潤訳)(ちくま学芸文庫)のP283

※引用理由:織田信長がアスペルガー症候群であることを説明するため、引用する必要があった。なお、今回は、現代語訳も付けないと、説明が困難だと思い、現代語訳も引用

※太字:ソロ鉄ブログ管理者が太字化。

 

<ソロ鉄ブログ管理者補足説明>

※賀茂川・白川・桂川は、現在の京都市内を流れる川

※最初の文面は、5月13日に出陣する旨の発表を(洪水の前に)行ったものと思われる(多分)。

 

 

 この箇所の要旨については、

 織田信長は、天正6年5月13日に出陣する旨を(現在の京都市内で、洪水前に)発表した。しかし、発表後、(現在の京都市内を流れる)賀茂川・桂川等から水があふれ洪水になり多くの人が溺死する被害が実際に出た(信長が被災者の救済を行ったか否かは不明)。信長は、これまで、どんなことがあろうと必ず予定の日に出陣していたので、淀・鳥羽・宇治・真木の島・山崎の人は、(洪水の最中であっても)信長は船に乗ってでも出陣すると予想し数百そうの舟を実際に用意した。このことを信長に報告すると、たいへんな喜びようであった。(ただし、信長が本当に洪水の最中に舟で出陣したか否かはっきりと書かれていないが、文脈から本当に出陣した可能性が高いと思われる。)

ということになると思います。更に換言すると、

「洪水で溺死等の被害が多数出ても織田信長は必ず予定通り出陣する」と他の人が予想できるほど、織田信長は「予定通り出陣する」という点で極端に融通がきかなかった

ということかと思います。

 このことは、アスペルガー症候群の特性のうち、「極端に融通がきかない」「(アスペ特有の)強いこだわり」等の具体例といえます。つまり、信長公記のこの箇所から、織田信長はアスペルガー症候群であることを証明することができます。

  

<参考文献>

『信長公記』(太田牛一著、奥野高広・岩沢愿彦 校注)(角川日本古典文庫)

『現代語訳 信長公記』(榊山潤訳)(ちくま学芸文庫)

 

ギザギザギザギザギザギザギザギザ

 

 

 

 

<信長公記>(Pickより)

 

 

 ※『信長公記』は、織田信長について研究する場合必ず読む必要がある、と言われている一次史料。

 

 

<個人的事情>

 実は、私の場合、外国語や古文・漢文等が理解できないため(多分アスペの特性)、現代語訳の『信長公記』を読んで当ブログを記載しております。その点は、歴史学者から叩かれるかもしれません。

 

<R3.7.9追記 一般的に知られている織田信長像>

 織田信長に関して取り上げたことから、織田信長像を掲載しないと、分かりにくいのではないかと考えなおし、令和3年7月9日に引用の形で追記します。

<引用>一般的に知られている織田信長像

※引用元:ウイキメディアコモンズ

(ウイキペディアによれば、狩野元秀画、長興寺蔵、とのこと)

※これは、一般的に知られている織田信長像で、教科書にも掲載されている。

※引用理由:当ブログで織田信長について取り上げ、今後も時折取り上げていく予定であり、織田信長像を掲載しておかないと分かりにくくなると考えたため

 

 

 

 

 

2 参考資料(‟史料‟ではない)

 現在の京都市内の地図を記載した方が分かりやすくのでは?と思いましたので、参考までに掲載します。

 

<1>

※令和3年6月19日に自分で撮影した、JR京都駅中央口近くの案内図

※この図の左下の河川(嵐山、渡月橋等の表示がある箇所)が桂川

※この図の右上のY字みたいになっている箇所の左の河川が賀茂川

 

<2>

※令和3年6月19日に自分で撮影した、JR京都駅中央口近くに展示されている資料

 

 

 

 

3 アスペルガー症候群の特性に関して(R4.6.16追記)

 今回の織田信長のブログで関係するアスペルガー症候群の特性は「極端に融通がきかない」「(アスペ特有の)強いこだわり」等ですが、アスペルガー症候群の特性の詳細については、次のブログ等もご参照ください。

 

 

 

 

 

 

 

<参考>

 

<Pick R3.7.14追記>

 

 

 

 

 

<Pick  R3.7.14追記>

有機野菜・無添加食品の宅配ネットスーパー【らでぃっしゅぼーや】

 

 

<Pick  R3.7.14追記>

 

 

 

 

 

※誤字脱字等があれば、その都度修正します。

※引用箇所について転載等禁止

本日も最後までご覧いただきありがとうございました。