キハ80系 特急「ひだ」号 ~名鉄特急も走った高山本線~
43.10 ダイヤ改正で誕生した 特急「ひだ」号です。
名古屋 と 富山・金沢間 を 高山本線経由 で 結びました。
▼キハ80系6両編成 の1往復 で スタートしました
▲当時の名古屋では「ひだ」と「くろしお」で キハ80系 が
活躍する姿を見ることができました
▼特急<ひだ>号 誕生記念券(表面)
▲飛騨の山峡をぬって中部地方を縦断する 初の特急列車
▼特急<ひだ>号 誕生記念券(裏面)
▲左側を名古屋、右側を金沢として描かれた 編成と時刻
▼時刻表の編成図 (出典:日本交通公社 時刻表 1968.10)
誕生記念券とは 真逆で、左側を金沢、右側を名古屋として
表記しています。号車の表記はこちらが正しいようです。
当時の時刻表に掲載された編成図の「黒枠の号車」は、全区
間全席自由席であることを示しており、編成の半分を自由席
として、乗車の利便性を高めておりました。
2号車の1等車にも、一部に 自由席 が設けられていました。
▼高山本線定番の撮影地を行く <ひだ>
▲高山本線全通60周年記念 オレンジカード
名古屋 - 富山 間には、米原経由の特急<しらさぎ>が 高山
本線経由よりも50Kmも長い区間を4時間で走破しましたが
単線山峡区間を走る <ひだ> は 4時間半を要していました。
▼単線・非電化区間を のんびりと行く特急もいいものです
沿線には "小京都" と呼ばれる観光地「飛騨高山・飛騨古川」
があり、通年の観光利用客があるのも <ひだ> の 特徴です。
▼雪が舞う冬の高山本線を行く <ひだ>
▲冬場の白銀の中の 合掌造り を 拝みに行くのもいいですね
合掌造りの絵柄が描かれた「イラスト入りトレインマーク」
が初めてディーゼル特急に採用されたのは <ひだ> でした。
▼飛水峡を行く <ひだ>
▲高山本線は 大自然の中を行く車窓も 大変美しいです
キハ80系時代に、名古屋 - 高山間に3往復が加わり、4往復
まで成長しましたが 1985年3月 に 飛騨古川 - 金沢間が廃止
されたため、北陸本線には顔を見せなくなりました。
▼ピカピカの装いで有終の美を飾ったキハ80系最後の晴れ姿
JR化後の1989年に次世代車 キハ85 が加わり5往復に増えま
したが、翌1990年3月に全てのバトンをキハ85 へ渡したキ
ハ80系は、通い慣れた飛騨路から引退することになりました。
キハ85の時代になってからの<ひだ>は、運転本数の拡大と
スピードアップ、北陸本線 富山への運転も復活しました。
■名鉄特急も走った高山本線
【もうひとつの <ひだ> 号もどき と トラベルミステリー】
キハ80系の<ひだ>時代に、名鉄のキハ8000系による特急
<北アルプス>号が、高山本線に乗り入れていました。
▼名鉄<北アルプス>号 特急昇格記念券(一部分)
▲民鉄の車両が特急として国鉄に乗り入れた初めての列車
▼国鉄の優等列車と一緒に掲載された<北アルプス>の編成図
▲この当時の <北アルプス> は 6両編成 での運転でした
(出典:日本交通公社 時刻表 1978.10)
名鉄特急<北アルプス>は、行楽シーズンには飛騨古川から先、
富山を経て、富山地鉄の立山まで直通運転を行っていました。
自社の営業圏ではない観光地の玄関口まで、自ら列車を仕立
てて送迎する、という営業姿勢は、さすが大手民鉄さんなら
ではの「攻めの経営」を感じたものでした。
1985年3月に <ひだ> の飛騨古川 - 金沢間が廃止された後は、
高山本線経由で北陸本線 富山まで直通する 唯一の特急列車と
なりました。
* * *
話は 脱線 しますが、そんな特急<北アルプス>号を舞台にした、
西村京太郎氏作の「トラベル ミステリー小説」が ありました。
「この時代でないと描けない物語」が 醍醐味であります。
この小説を原作として 1986年2月1日に放送された「特急
北アルプス殺人事件」は、西村京太郎氏のトラベルミステ
リーTVドラマ史上、最高の視聴率なんだそうです。
(ビデオリサーチ社調べ・関東地区視聴率 26.7% を記録)
昔のトラベルミステリーシリーズは、今となっては、映像も
貴重なものばかりなので、過去の映像が リマスター された
DVD-BOX の発売を、ひそかに待ち望んでおります・・。
勿論、事件解決に至るストーリーも見もので、列車ダイヤを
巧みに活用したトリックや、現代ドラマにありがちな、防犯
カメラや携帯電話の通話記録に頼ることなどできない時代の
証拠の積み上げ方など、現代物とは違った面白みがあります。
トリックを考えられる程、複雑な運行形態があったあの時代
は、もう2度とこないのでしょうね・・。
キハ80系 特急「ひだ」号 ~名鉄特急も走った高山本線~
おわり
43.10 ダイヤ改正で誕生した 特急「ひだ」号です。
名古屋 と 富山・金沢間 を 高山本線経由 で 結びました。
▼キハ80系6両編成 の1往復 で スタートしました
▲当時の名古屋では「ひだ」と「くろしお」で キハ80系 が
活躍する姿を見ることができました
▼特急<ひだ>号 誕生記念券(表面)
▲飛騨の山峡をぬって中部地方を縦断する 初の特急列車
▼特急<ひだ>号 誕生記念券(裏面)
▲左側を名古屋、右側を金沢として描かれた 編成と時刻
▼時刻表の編成図 (出典:日本交通公社 時刻表 1968.10)
誕生記念券とは 真逆で、左側を金沢、右側を名古屋として
表記しています。号車の表記はこちらが正しいようです。
当時の時刻表に掲載された編成図の「黒枠の号車」は、全区
間全席自由席であることを示しており、編成の半分を自由席
として、乗車の利便性を高めておりました。
2号車の1等車にも、一部に 自由席 が設けられていました。
▼高山本線定番の撮影地を行く <ひだ>
▲高山本線全通60周年記念 オレンジカード
名古屋 - 富山 間には、米原経由の特急<しらさぎ>が 高山
本線経由よりも50Kmも長い区間を4時間で走破しましたが
単線山峡区間を走る <ひだ> は 4時間半を要していました。
▼単線・非電化区間を のんびりと行く特急もいいものです
沿線には "小京都" と呼ばれる観光地「飛騨高山・飛騨古川」
があり、通年の観光利用客があるのも <ひだ> の 特徴です。
▼雪が舞う冬の高山本線を行く <ひだ>
▲冬場の白銀の中の 合掌造り を 拝みに行くのもいいですね
合掌造りの絵柄が描かれた「イラスト入りトレインマーク」
が初めてディーゼル特急に採用されたのは <ひだ> でした。
▼飛水峡を行く <ひだ>
▲高山本線は 大自然の中を行く車窓も 大変美しいです
キハ80系時代に、名古屋 - 高山間に3往復が加わり、4往復
まで成長しましたが 1985年3月 に 飛騨古川 - 金沢間が廃止
されたため、北陸本線には顔を見せなくなりました。
▼ピカピカの装いで有終の美を飾ったキハ80系最後の晴れ姿
JR化後の1989年に次世代車 キハ85 が加わり5往復に増えま
したが、翌1990年3月に全てのバトンをキハ85 へ渡したキ
ハ80系は、通い慣れた飛騨路から引退することになりました。
キハ85の時代になってからの<ひだ>は、運転本数の拡大と
スピードアップ、北陸本線 富山への運転も復活しました。
■名鉄特急も走った高山本線
【もうひとつの <ひだ> 号もどき と トラベルミステリー】
キハ80系の<ひだ>時代に、名鉄のキハ8000系による特急
<北アルプス>号が、高山本線に乗り入れていました。
この列車は1965年8月に名鉄神宮前駅から 国鉄高山駅へ
直通運転を始めた準急<たかやま>号が始祖で、神宮前駅
から新名古屋駅を経て犬山線を通って、鵜沼 で 国鉄高山
直通運転を始めた準急<たかやま>号が始祖で、神宮前駅
から新名古屋駅を経て犬山線を通って、鵜沼 で 国鉄高山
本線に乗り入れるルート(短絡線)がありました。
▼名鉄<北アルプス>号 特急昇格記念券(一部分)
▲民鉄の車両が特急として国鉄に乗り入れた初めての列車
準急<たかやま>は、急行に格上され、飛騨古川駅まで延長、
1970年7月には、急行<北アルプス>に 列車名が変更され、
1970年7月には、急行<北アルプス>に 列車名が変更され、
1976年10月1日に、特急<北アルプス>に 昇格しました。
▼国鉄の優等列車と一緒に掲載された<北アルプス>の編成図
▲この当時の <北アルプス> は 6両編成 での運転でした
(出典:日本交通公社 時刻表 1978.10)
名鉄特急<北アルプス>は、行楽シーズンには飛騨古川から先、
富山を経て、富山地鉄の立山まで直通運転を行っていました。
自社の営業圏ではない観光地の玄関口まで、自ら列車を仕立
てて送迎する、という営業姿勢は、さすが大手民鉄さんなら
ではの「攻めの経営」を感じたものでした。
1985年3月に <ひだ> の飛騨古川 - 金沢間が廃止された後は、
高山本線経由で北陸本線 富山まで直通する 唯一の特急列車と
なりました。
* * *
話は 脱線 しますが、そんな特急<北アルプス>号を舞台にした、
西村京太郎氏作の「トラベル ミステリー小説」が ありました。
「この時代でないと描けない物語」が 醍醐味であります。
この小説を原作として 1986年2月1日に放送された「特急
北アルプス殺人事件」は、西村京太郎氏のトラベルミステ
リーTVドラマ史上、最高の視聴率なんだそうです。
(ビデオリサーチ社調べ・関東地区視聴率 26.7% を記録)
昔のトラベルミステリーシリーズは、今となっては、映像も
貴重なものばかりなので、過去の映像が リマスター された
DVD-BOX の発売を、ひそかに待ち望んでおります・・。
勿論、事件解決に至るストーリーも見もので、列車ダイヤを
巧みに活用したトリックや、現代ドラマにありがちな、防犯
カメラや携帯電話の通話記録に頼ることなどできない時代の
証拠の積み上げ方など、現代物とは違った面白みがあります。
トリックを考えられる程、複雑な運行形態があったあの時代
は、もう2度とこないのでしょうね・・。
キハ80系 特急「ひだ」号 ~名鉄特急も走った高山本線~
おわり
コメント
コメント一覧 (3)
それにしても、引退間近にJRマークも消してきれいに塗り替えられた姿は当時、鉄道ファンでも見た事があります。
全てとは言いませんが、国鉄時代の車輌を1編成でも新製してリバイバル列車なんかをデビューさせてほしいものです。ビジネス等の実用本位ではなく観光で乗りたいという需要はあるはずです。
波浪規定
がしました
波浪規定
がしました