だって上梓した「Nゲージ用人形について」の記事中、

 

 

 

 

男子学生

「吾らは何を希求し、如何に生くるべきか!」

「先ずは十銭のマントーを腹に入れる、話はそこからだ!」

女学生

「本当よ、うそじゃなくってよ、蜜豆に果物がどっさり入っていたんだから」

「ねえ行って見ないこと? 咲子さん連れてってくださらない?」

 

などと女学生に会話させていますが、これには元となった実話があります。

 

かつてお得意様だった高齢女性(5年前の時点で98歳)からの証言で、その方は麹町に住み、割と有名な女学校に通っていた上にご父君が手広く商いをしていた関係で(家に犬養毅や杉山大将が来ているのを見たそうです)、詰まり戦前の山の手のお嬢様だった訳です。

 

戦前の一番好い時期に良い場所で日々を謳歌していたと言う、全くもってあやかりたい人生(尤も戦後は大変苦労されている)。

 

終戦後眼科医と結婚し、子供がいないままご主人は20年前に他界。その後は私が知る限り、都内から日替わりで訪問して来る無数のお茶のお弟子さんたちが生活の手伝いをしているのを実見しています。

 

そんな元スーパーお嬢の昔話が元です。

 

「学校が引けるとね、仲良しが集まって円タクを拾って、『ねーえ、青山から渋谷まで50銭で行って下さらない?』って頼んで、甘い物を食べに行ったりしたのよ。その頃新宿のお店に、蜜豆にザク切りのフルーツが沢山入ったの、あれ何て言ったかしら、そうそう、フルーツポンチよ。渋谷からわざわざ省線に乗って新宿まで出張ったものだったわよねえ」

 

戦前の50銭は現在の通貨価値で言うと概略1500円から2000円位になります。タクシー代としては妥当な金額。それよりもメーター制かどうかは聞き損じましたが、乗車前に運転手と値段交渉して乗ると言う流れが当時あった(戦後なら間違いなくある)。

そして新宿でフルーツポンチを出していた店は、店名は聞きませんでしたがタカノ・フルーツパーラーだったのではないかと当たりを付けています。

 

 

これは持論ですが、過去の社会や生活を調べる時に、実際にその時代を生きて来た高齢者の話は非常に参考になります。正確さを欠く所は確かにありますが、事実であれば図書館で調べればよろしい。高齢者の話で得られる物は事実ではなく「真実」です。

 

・真実とはその事象を見た聞いた感じた人が、その人の脳を経由して発現されるものであり、それは偏在的主観的であって、且つ面白いものである(出典:オレネタリウム)

 

・事実とは多数の人によって明らかにされ裏付けされた不動の研究結果であり、それは普遍的客観的であって、且つ詰らないものである(出典:オレネタリウム)

 

主観的で不正確な話でもなるべく多く積み上げると、次第に真実の蓄積は意味を持ち始めます。既成の事実から取り残されていた例外的な話が、事実と併存したもう一方の事実を証言し始める訳です。

 

最もこれは正規の研究でもなく、私はこれを遊びの空間である「架空社会」の構成に活かしているのであって、既存の事実と異なる言説であっても誰にも迷惑は掛けないものです。

 

架空鉄道とは架空の鉄道の事ではなく、架空の社会を走る鉄道である(出典:オレネタリウム)

 


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