佐鳴湖方面への路線バスの歴史は古く、1930年8月に佐鳴湖遊園バス(株)が設立され運行を開始します(区間・運行本数不詳)。1934年2月には浜松循環自動車(株)に合併しますが経営状況は芳しくはありませんでした。
浜松循環自動車
佐鳴台方面への路線バスの起源は季節運行された佐鳴湖線
1936年8月に浜松循環自動車中田島自動車の2社が市営化されました。
この時に佐鳴湖線として駅前ー栄町ー高町ー広沢ー小藪間(3.559km)季節運転(7月〜9月)されるようになりました。
浜松市営自動車路線図
(1936年8月1日)
佐鳴湖線時刻表(1936年8月1日)
駅前発
8:00     9:00   10:00  11:00  
13:00  14:00  15:00  16:00  17:00
小藪発
8:30     9:30   10:30  11:30  
13:30  14:30  15:30  16:30  17:30
水色は日曜祭日に限り運転
この時運行を開始した路線は他に西廻線・北廻線・東廻線・中田島線・佐鳴湖線の5路線でした。
現在では市中心部に位置する佐鳴台団地ですが、戦前の浜松市街地の外れは鴨江観音高町あたりで途切れ、現在の富塚あたりは湿地帯となっていだようです🌱。
広小路通に設けられた浜松市営自動車
もとの浜松循環自動車事務所建物で木造三階建て。車庫は下池川町にあり、こちらも浜松循環自動車の車庫を流用した。
車輌はシボレー8輌・フォード2輌で職員は運転手13名、車掌11名、職工2名、事務員等6名であった。
創業時の浜松市営自動車
1936年に撮影された浜松市営自動車のフォード。車体架装は日産。撮影場所は不詳だが現在の医療センターあたりは当時はこのような緑多い砂利道だったと思われる。佐鳴湖線と中田島線(5月〜10月迄の季節運転)は遊園・観光目的の利用者が多かったようだ。
創業時の浜松市営自動車
車輌は浜松循環自動車引継ぎのシボレー製ボンネットバス。"鴨江 高工聯隊"とあるので西廻線のバス停と思われる。

シボレーバスと車掌
下池川町の車庫で撮影したものと思われる。方向幕には西廻線"鴨江、名残"と"名残、野口"の文字が見える。
シボレーバスと車掌
この2枚の車掌の写真はともに1942年、太平洋戦争のなかの撮影。浜松市は中島飛行機など軍需工場の多かったことから1944年11月より度々空襲に見舞われる。特に1945年6月18日未明には大規模な空襲(浜松大空襲)や沿岸の戦艦からの艦砲射撃にも遭い死者3,000名、家屋や工場の被災戸数3万戸に及んだ。終戦時に稼働状態にあった浜松市営自動車のバスは僅か5輌であった。