近鉄京都線は奈良電から引き継いだこともあってか、以前は車両、施設ともにコンパクトであった。大阪万博後は観光、レジャー、通勤輸送ともに活況で大きく脱皮させることに懸命であったようだ。
橿原線の車両限界が解消されたこともあって、車両面では大型車両が多用されることになってきた。
とりわけ伊勢志摩方面の京伊特急に12000~12200系のスナックカー、新スナックカーが優先的に使用されるようになったようだ。座席が良く、長距離に向いていたのだろう。↓

伊勢志摩人気が反映されて京都毎時15分が賢島ゆき。00分発が奈良ゆき、40分発が橿原神宮前ゆきが基本である。
当時は京都駅の特急発着線は一本のみ。満員でやってくる特急の折り返し整備はずいぶん慌ただしかったそうだ。京阪特急のようにワンタッチで座席を変換できるわけではない。客室清掃はもちろん、座席指定であるから各座席の点検も入念にしなければならない。

当時は車両の大型化、いわゆる共通化に加えて、線路施設の改良も急務であった。特に待避設備が少ない。おおむね20分ヘッドの特急、急行、普通をスムーズに走らせるには特に大久保の待避線が熱望されていたように思う。
京都を出た普通は小倉で特急を待避する。その普通は新田辺で急行と緩急結合をするのであるが、大久保ですでにその急行が普通のすぐ後ろに来ていたのである。

定期列車でも窮屈なダイヤであるから臨時列車の運転はキツかったのではないだろうか?
京都や奈良、さらに自然があふれる沿線は遠足の利用も多かった。しかし、大抵は混雑する急行や普通に乗り合わせることになる。4両編成の800系や820系の急行ではさすがに厳しい。普通も芋掘りの小学生で満タンになることも。

収容力の小さい680系は転出してゆくことに。京奈、京橿特急に使用されていた同系の後任には、かつての複電圧車で京伊特急に多用されていた18200系が就くことが多くなってきた。↓

平成元年ごろであるが、パールカード車両シリーズというのが発売された。歴代車両がカードのデザインになって次々に登場する。
その売れ行きを見れば、どの車両が近鉄で一番人気なのかが一目で判ってしまう。あくまで平成元年頃であるが。
人気はダントツで次の二車種であった。意外と思われるかもしれないが。
ひとつは20100系あおぞら号。これは分かるかと思う。特急車両ではないが、修学旅行を始め2階建て車両として一般にも知られている。京都線にも時折入線していたが、晩年は天理臨で橿原線でしばしば見受けられたのである。
では、もうひとつの人気車両は?
特急車両である。最新のアーバンライナー?違う。新ビスタカーだろう。違う。それならスナックカー?それでもない。

その人気車両が18200系であった。晩年は京伊特急にも使用されたが、主に京橿、京奈の短距離の特急が主な活躍舞台であった。両数も10両5編成と少ない。マイナーな存在になっていたように思う。
それでも圧倒的な人気。
やはりそのスタイルだろう。痩身で女性的な表情。それに加えて前パン、貫通型の凛々しさ。名鉄1700系にも通じるように思う。
そしてもう一車種、ユニークな車両が京奈特急を中心に入っていた。
10100系のC編成である。↓独特の流線型のA.B編成ではない。しかし、両貫通スタイルのC編成も根強い人気があるようだ。
引き締まった迫力とオデコの二つのシールドビーム。剛軟を融和させた前面デザインは、流線型と共に昭和の私鉄の新型特急の象徴であったようだ。