して戦前の街角の写真を見てもう一つ気付かされるのは、自転車の普及率の高さです。年代にもよるでしょうが、少なくとも昭和に入ってからの写真には驚くほどの自転車が(殆どはリヤカーを連結して)走り回っている様子が判ります。

 

 

リヤカーの積み荷はTOMIX農家に付属していた薪の束。右側の男性は印半纏を着ています。元はスーツ姿。二人とも頭にプラパテ製の鳥打帽を被っています。

 

「背広と言う物はどうも窮屈でイカンなあ。脱ぎたいよ」

「ダメですよ、我慢なさい」

 

冠婚葬祭にお呼ばれでもしたのか夫婦。夫は体に合っていない洋装の礼服。妻は和装で一歩後ろを歩いています。家の中では尻に敷いていても、外に出る時は夫を立てる、それが婦徳であると言われた時代でした。

 

「おおい運転手君、大急ぎで麹町へやってくれ給え!」 

「バッカモン、何処の世界に紋付羽織袴の運転手がおるか! わしも運転手の戻りを待っておるのだ!」

 

時制が昭和だとすれば、T型フォードは既に時代遅れ。紋付の男は頭に山高帽を被らせるつもりでしたが、周りの輪っかが巧く出来ないで、何だか頭巾を被っているようになりました。

 

「良いか定吉、お得意様を回るのに寄り道だの買い食いだのしたら駄目だぜ、おい聞いてるのか」

 丁稚口をモグモグさせながら「ムアイ」

 

これは昭和ではなく大正中期までの商家の手代と丁稚。震災と前後して名代の商家は百貨店と名を変え、名ばかりではなく旧来の仕来りも変革して行く時代でした。

 

この差異は「古典落語」と「近代落語」の間に見られるものと同一です。

 

 

賑わう街路。人の営みは時代に左右されるものではありません(良い事言った)

 


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