vol.371 春の九州2021【蔵出し追加編①】再び熊本へ その前に・ 筑肥線”大改造”の歴史 | 旅ブログ Wo’s別荘

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本年はじめ、2~4月にかけておおくりした”春の九州シリーズ”、ご記憶でしょうか^^(vol.363~366)クリップ

 

復興すすむ熊本城をはじめ、鉄道編として九州を横断する2線(豊肥本線&久大本線)、そして博多湾に浮かぶ能古島をご覧頂いた4作シリーズでしたが、そのシリーズラストで、僕は・・

 

”ひとまず”ゴールとするが、続編がある』

と、書いていましたにひひ

 

緊急事態宣言発出をうけ、遠方作のupをしばらく保留していましたが、解除の見通しをうけ、3月末に取材していた『春の九州2021・続編』を蔵出しします。

もう夏ですが(汗笑)、ご容赦下さいw

よければお付き合い下さい・コーヒー

 

今節のシリーズは4回を予定しています。後半2作では熊本県南部の街を2カ所訪ねますが、前半2作、次作ではその前に訪ねた唐津市をご覧頂きますが、今作では~波

 

今作は鉄道作として、博多から唐津への足、JR筑肥線をクローズアップしてみたいと思います(※基本、鉄道ブログですので^^笑)電車

 

全国的にみても珍しい形状、そして数奇な経過を経て今の姿となっている同線の歴史について、簡単に纏めてみますクリップ

 

ではスタートです男の子

今作は↑の駅、JR筑肥線/福岡市営地下鉄の境界駅・姪浜駅から始めます電車

 

姪浜といえば、4/6up、前回のシリーズ最終回(vol.366)で取り上げた能古島にも近いですが、今作ではここから一気に唐津市まで行きます馬

博多駅方面からの地下鉄空港線と、唐津方面へのJR筑肥線がここで結節し、直通運転しています。

(※姪浜駅はJR/地下鉄共同駅ですが、管理は市営地下鉄です)

ホームへ上がると停まっていたのは↑、福岡地下鉄の車両地下鉄

 

地下鉄は、1駅博多寄りの室見駅から地上へ上がってきて、この駅でJRと繋がります。筑肥線の現状は、同線特有の経過・歴史、地域環境、そして時代の要請がもたらしたものです。

 

「早く唐津に行け!」とのお声も聞こえてきそうですがwあせる、ここで、僕が前々から当別荘で取り上げたかった『筑肥線の経過』について一発いかせて頂きます(汗笑)にひひ

国鉄時代の筑肥線は、博多駅から唐津方面へ直接線路が繋がっていました。博多駅が始発だったんです虹

 

単線非電化の路線が、日本有数の大主要駅・博多駅へ近年まで延びていました。昭和末期までは、博多駅のホームで屋根から排煙しながらエンジン音を響かせるディーゼルカーの姿がみられましたDASH!

 

・一方、政令市では比較的後発でしたが福岡市内で地下鉄の整備がすすみ、西郊のここ・姪浜まで路線延伸される事が決まると、玄界灘に面した地域で住宅開発が急速にすすみましたビル

 

昔ながらの単線非電化では通勤輸送が逼迫してきたため、国鉄は福岡・佐賀両県や沿線自治体と共に筑肥線の全面改造に着手する事となり、その方法は当時全国的にも例のなかった大胆な手法がとられましたレンチ

 

地下鉄の終点・姪浜駅と国鉄姪浜駅を合体させ、相互乗入を開始すると共に、それに合わせて国鉄筑肥線を電化、西唐津まで電車が走行可能となりましたしっぽフリフリ

 

これだけでもかなり大がかりな工事ですが、大胆な改造はそれにとどまりませんでした。地下鉄との重複区間となる国鉄姪浜~博多駅間を廃止し、筑前簑島など途中駅5駅が惜しくも消えてゆきました・

 

※↑の区間、博多駅にも近く、住宅や会社等が密集する都市部で、地下鉄からもある程度の距離があり、「廃止せずに併用しても良かったのでは?」との論が今もあります。

しかし、”都市の中のローカル線”だった同区間は昔ながらの地上単線で、踏切が40ヵ所以上あったとの事で、抜本的改良には高架化or地下化し、かつ複線化するしかなく、莫大な費用がかかり、解体寸前の国鉄にはそのような決断が出来ず、福岡市の都市計画上もネックとなっていた事から、やむなく廃止となったという事です・汗

 

これらの工事が次々と完成していったのが1983(昭和58)年、国鉄解体の直前でした。大げさに言えば、国鉄が未来へ残した最後の大型プロジェクトといっても過言ではないと僕は思います・流れ星

 

これにより、唐津方面から地下鉄を介して直接、福岡の都心・天神へ行く事が出来るようになったばかりか、特に筑前前原~姪浜間で大幅な増発や新駅の数ヵ所新設がなされ、筑肥線の利便性は飛躍的に上がりました右上矢印

 

・しかし一方、一部廃止により筑肥線は博多方からの国鉄路線網より分離され、博多駅、あるいはそれ以遠(※小倉方面等)へ行く場合は博多で改札外乗換が必要となりました。また運賃も地下鉄分が別計算となるため割高に。いわば、利便と引き換えにコストを乗客が負担する形となっています¥

筑肥線といえば唐津で終点のようなイメージもありますがそうではなく、博多駅~伊万里駅間・約80kmを結んで建設され、唐津はその中間点といった位置付け宇宙人

 

筑肥線は大正期、私鉄の北九州鉄道という会社により敷設され、部分開業を繰り返した後、1935(昭和10)年、博多~伊万里間が全通しました。その2年後、国は北九州鉄道を買収、省線筑肥線となりました。戦後国鉄~JRと変遷し今に至りますドリル

 

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さらに筑肥線、大規模改造の話はこれで終わりませんしし座

 

前述の姪浜~西唐津間電化、および博多~姪浜間廃止に合わせ、唐津市内の区間でも線形変更や駅位置変更を伴う大改造が行われました。これについては、これから実際に唐津まで乗りつつみていこうと思います・グッド!

姪浜駅を発車、電車は一路西へカエル

途中の筑前前原までは日中でも15分ヘッド、天神や博多駅にも直通し、かなりの利便性ですが、しかし前述の通り運賃は地下鉄部分が別計算のため、通常のJR線より割高ですあせる

筑前前原(まえばる)駅到着、姪浜から乗った電車はここまでで、向かい側に待機している唐津行に乗換えますリサイクル

(※福岡空港~西唐津を走り通す列車もありますが、日中は前原で乗継となる場合が多い)

地下鉄から乗り入れてくる福岡市営の車両はここまでの運用で、前原以西(※唐津方面)へはJR車両のみの運転です電車

この区間では旧国鉄型の103系を改造した車が今も活躍中星

(※現在はJR九州で新製した車も入ってます)

前面の顔や塗色等、かなり手を加えられているので原型の面影はあまりないんですが、↑の窓形状とかに”国鉄”の名残を残しています。

なお、筑肥線は交流電化が原則の九州国鉄で初、直流で電化されました(※地下鉄乗入のため)

前原を出ると住宅地は次第に途切れ、田園風景も広がりますクローバー

さらに~

筑肥線の魅力は、なんといっても↑

車窓いっぱいに広がる、玄界灘が眺められます波

前原以西は原則単線で、途中駅で何回か対向車と離合しますかたつむり

(※前原~唐津間は30~60分毎の運転)

姪浜では都市部の通勤路線だった筑肥線ですが、佐賀県境が近づくにつれ、ローカル線ムード満点に^^

県境を越えると↑の駅、虹ノ松原駅です

駅名の通り、駅舎のむこうには松原が広がっています霧

虹ノ松原駅を出ると、それまでのローカル線ムードが一転、高架線になります。前述の「大規模線形変更」で造られた高架ですドリル

 

↓下の図をご覧下さい目

↑図左が唐津市内、図右が福岡市内の線形変更状況です。

赤くなってるのが電化工事に伴い廃止された区間、青が新設された区間です。

 

博多~(旧)姪浜間が廃止されたのは前述しましたが、ここでは図左の唐津市内のほうをご覧下さい。

非電化時代の筑肥線は、(旧)東唐津で一旦終点になり、スイッチバックして、唐津市南郊の山本駅で唐津線と接続、そこから伊万里方面へと再び西進する形でしたクリップ

 

そのため、非電化時代の筑肥線は、唐津市中心部に位置する唐津駅には行っておらず、旧東唐津駅と市街地は松浦川で隔てられており、市街へは徒歩またはバス、又は山本駅で唐津線に乗換ていくという不便な構造でした。

 

電化事業の際、それも一気に解消してしまおうと、虹ノ松原~唐津間に高架線を新設、スイッチバックの旧東唐津駅を廃し、市街中心の唐津駅へ直接乗り入れる事となり、唐津の鉄道網は大改善を遂げました星

 

これにより旧東唐津~山本間は廃止、途中2駅が消滅、山本~伊万里間は非電化のまま、分断された形で残り、現在は姪浜~唐津を「筑肥東線」、山本~伊万里間を「筑肥西線」という呼び方もするとの事です・

 

現在の筑肥線は、姪浜~唐津の”通勤近郊路線”と、山本~伊万里間の”昔ながらのローカル線”、この2路線に完全に分断されました。

 

以上の通り、福岡・唐津の両市内において大胆な改造が行われた筑肥線、まさに前述の通り、全国的にみても国鉄最後の大プロジェクトだったと僕は思います・流れ星

電車は、新線切替された東唐津駅へ到着

前述のように、かつては終端式の大きな駅だった東唐津駅、いまは↑の通り、郊外の途中駅といった風情になっています・

東唐津を出てすぐ、大きな川、松浦川を渡ります。前述の、旧東唐津駅と唐津市街地を隔てていた川ですうお座

渡りきって市街地へ入ると、西方から線路が1本接近してきます目

唐津線です。佐賀駅の2つ西隣・久保田駅から佐賀県を縦断している路線です上下矢印

唐津駅の1つ手前・和多田駅へ到着

新線切替によって誕生した駅ですヒヨコ

↑写真でわかりますでしょうか、唐津線の高架がすぐそこまで接近してきてますが、なぜか唐津線には和多田駅が設けられていません。

和多田を出ると、唐津線高架が一層接近!そして~

合流します。合流してすぐ・・

姪浜を出てから約1時間強、電車は終点・唐津駅到着フラッグ

2面4線を有す堂々たる駅、唐津線・筑肥線とも発着し、筑肥線電化の際に高架化されました星

佐賀駅から来た唐津線DCも到着、仲良く並んでます。なお、唐津線はここからさらに1駅、西唐津駅までで、同区間だけ電化され、筑肥線列車も一部西唐津まで乗り入れます電車

↑唐津駅前

僕はここで、以前「た」シリーズで訪れた伊勢崎駅に降り立った時と似た感想を持ったんですが、同市の人口や列車本数に比して大変立派な駅舎だなぁ~と思います。先見の明をもって大改良を施された筑肥線、現状では前原以西の乗客数は伸び悩んでいるんですが、将来きっと『アノ時改良工事しといて良かった!』と思える時が来るに違いありません・キラキラ

↑駅前に掲示の市街地図目

ご存じ・唐津城をはじめ、けっこう見所豊富ですが・・

 

今作は鉄道作とし、ここまでにします、唐津街ブラは次作でたっぷりご覧頂きます、お楽しみに^^グッド!

 

以上、いかがでしたでしょうか、昭和期はのどかなローカル線だった筑肥線が、ドラスティックと言って過言でない改造を経て現在の通勤路線となった経過をみてきました。さいごに、いかに大改造であったかを再度、『3大特徴』に纏めてみたいと思いますクリップ

 

1.九州初・国鉄と地下鉄の相互乗入を実現宝石緑

2.国鉄路線で九州初の直流電化を施された宝石ブルー

3.福岡と唐津の両市内で、線形変更・駅位置変更・一部区間の廃止/新設を伴う大工事が同時に行われた宝石赤

 

とはいえ、本編ご覧頂いたように、玄界灘の海べりを縫うように走り、車窓から見える絶景は昔のままです。かつて改良前の筑肥線には、博多駅から筑肥線を通り、伊万里~さらに現在松浦鉄道となっている旧松浦線を経由して長崎まで行っていた伝説の急行『平戸』号が走っていました。もし今も”平戸号”が走っていたら、JRきっての『大絶景列車』になっていたと思います・波

 

・そんな過去も秘めつつ、時代に呼応して未来へすすもうとしている筑肥線をおおくりしました。今作では分断されローカル線として残る山本~伊万里間に乗ってないので不完全な作となってしまってますが、コロナ収束後、是非乗りに行ってみて下さい^^虹

 

 

(※参考作 ↓ 2015.11.23up vol.211 )

vol.211 秋の九州2015(後編)九州にもある!2つの“鉄道博物館”&門司港散策 | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)

☆松浦鉄道の平戸口駅にある鉄道博物館や、門司港の九州鉄道博物館が出てきます。併せてご覧下さい^)ニコニコ