またまた他の記事を割り込ませたために本シリーズが再び中断してしまい、「じれったいゾ!!」と言われてしまいそうですが、2月7日の釧網本線南斜里駅に続き、翌日は1日計3本の列車しか停車しない石北本線の生野駅を目指します。その間投稿間隔が空いてしまいましたが、何卒ご容赦を…m(__)m

 

 

 

その2月8日早朝。

宿泊先のホテルを後にして、北見駅に向かいます。

 

 

 

受験シーズンという事もあり、駅コンコースには受験生激励のためのコーナーが設けられていました。コチラにもシマエナガをモチーフにしたキャラが…。名前は何ていうんでしょうね?

 

 

 

生野駅に行くのには(決してダジャレではない)、まず生田原駅まで出向き、そこを始発とする普通列車に乗り換えなければなりません。そのため北見からは6:46発の札幌行72D特急オホーツク2号に乗車します。

当駅も、特急乗車口位置案内はモニター画面に位置を示すアルファベットを表示される方式に変わりました。

 

 

 

1番線に網走から来たオホーツク2号が到着します。

2番線に停車しているキハ40形2連は、当駅始発の6:47発網走行4651D。

 

 

 

乗車時間が短いため自由席4号車に乗車します。

このキハ183-8563は一般タイプの183系としては最終期の1990(平成2)年製ですが、外装はご覧の通りボロボロで哀れを誘います…(涙)。尚、編成は前日に乗車した71Dオホーツク1号と同じで(編成表は当該記事参照)、今度は札幌へ戻るための運用です。

 

 

 

1990年製のキハ183形4両のうち、ラスト2両の8565・8566はグレードアップ座席に交換されていますが、元々北斗の自由席用だった8563・8564においてはオリジナルのR55リクライニングシートのままで、シート地とカーテン以外はオリジナルの内装を保っています。

 

 

 

ホテルで頂いてきた2月7日の北海道新聞朝刊。

地方版(オホーツク版)の紙面には、女満別、茅沼、十弗の道東の各無人駅の記事と、北見工大の鉄道研究会についての記事が掲載されていました。

 

 

 

2017年に正式に廃止となったスイッチバック式の常紋信号場跡を通過し、常紋トンネルに入ります。

 

 

 

常紋峠を下ると、生田原駅に到着です。

 

 

 

オホーツク2号は札幌へ向けてまだまだ長い旅路に就きます。

2番線ホームに停車中のキハ40単行が、今回のメインである生野駅までたった1駅だけ乗車する7:36発遠軽行4650D。生野駅に停車する上り列車はこの1本しかありません。この列車のために、遠軽から送り込み回送されています。

 

 

 

4650Dは、前夜にも網走→北見で乗車したキハ40 828(旭アサ)。北見到着後は分割されて4674Dで遠軽入りしたと思われます。

この828、残念ながら運用離脱後は真っ先に苗穂工場へ回送されてスクラップされてしまい、今はもう影も形もありません…(涙)。また、遠軽~生田原の区間列車は夕方の遠軽発4667D(※片道は回送)も存在していましたが、3月13日ダイヤ改正で廃止となってしまったため、現在はこの4650Dを残すのみとなっています。

 

 

 

本来は遠軽への通学利用のための列車ですが、日曜日のため高校生は皆無。私の他には同業者とおぼしき男性が1人乗っているだけ…。

 

 

 

本来使用の南斜里→生野の連続乗車券ですが、手元に残しておきたいために『囮』として予め網走駅で生田原→生野の乗車券を別途用意していました。

 

 

 

生田原からたった5分、生野駅には7:41に到着します。

囮の乗車券も、運転士にお願いしたら無事手元に残す事ができました。ありがとうございます。

 

 

 

生野駅の踏切付近には撮り鉄ら4人が集まっており、まさか私が下車するなんて思ってもみなかったでしょう…。撮影の邪魔になってゴメンナサイ…m(__)m

そのうちのお一方にご挨拶しましたが、地元周辺で撮り鉄をされている方でした。

 

 

 

駅名標は少々色褪せていましたが、JR北海道様式に変わってから以来のモノではなく、一度交換されていると思われます。

 

 

 

発車時刻表。見事に停車本数が少ない!私が降りた列車が、上りでは1日1本しかない7:42発の遠軽行。下りも2本のみで、完全な通学利用のためでしかありません。全国的に見ても停車列車が最小限度の部類に入ると思います。

 

 

 

きっぷ運賃表。他の駅と同様の様式で、周辺の駅と、遠くは北見、旭川まで記載されています。元々は仮乗降場だった生野駅はJR化に伴い駅に昇格されましたが、キロ程が設定されたのは1990年3月ダイヤ改正時から。その時点から生野を発着する乗車券が発売されるようになりました。トップ画像の硬券は、1998年から3年間に渡って発売された(私が大枚はたいて買った)『チケット駅伝・北海道』の石北本線セットに封入されていたモノ。

 

 

 

ホームからそれぞれ下り、上り方を見た図。

 

 

 

駅自体は、54号線踏切に面していました。

 

 

 

54号線踏切から見た駅全景。

ホームは木の板張りではなく、コンクリート板を敷きつめたタイプ。

 

 

 

踏切の反対側より。

ホーム裏側(雪山のある辺り)には、かつて黄色いマイクロバス(※)の廃車体を利用した待合室があったのですが、2007年頃に撤去されています。

(※後で調べた処、プリンス自動車工業が開発し、1966年に日産自動車と合併後も製造が続けられたプリンス・ライトコーチという車種の1968年以降モデルである事が判明しました)

 

 

 

駅周辺には酪農家が何軒かあるのですが、ここ数年、日常的に利用する客はほとんどいなかったようです。

 

 

 

短い時間でしたが、最初で最後の訪問を終えて生野駅を後にします。

次の列車は13時台の網走行までなく、それまで黙って駅にいても凍え死ぬだけなので、近くの国道242号線を通る北海道北見バスの路線バスで遠軽に向かう事になります。まぁ、生田原駅まで1時間半程度歩いて行けなくもないのですが…。

 

 

 

国道上には『豊原54号』というバス停があり、7:53に通過する事になっており、そこまで約300m歩いて向かいます。

 

 

 

そして辿り着いた豊原54号バス停。立派な待合室が建っています。

このように他の公共交通が確保されているため、JR駅を廃止しても問題ないレベルなのでした。

 

 

 

生野駅からこのバス停へ出向き、遠軽や生田原へ向かう駅テツが多いからか、駅ノートはバス待合所に置かれていました。

せっかくなので私も駅ノートに書き込みをしたのですが、前日の南斜里で出くわした道外からのノーマスク男に対する腹いせをつい書いているうちに、バスが近づいてきたので途中で書くのをやめざるを得ず中途半端な文章となってしまいました…(汗)。従って上記の内容で文章を書いたのは私です。そんな事を書くのは本意ではないのですが、感染予防策に無頓着な道外テツに対する警告の意味で書いたのです。読まれた方、駄文失礼しました…。しっかし…ノーマスクで北海道に来るのは迷惑以外の何者でもありません!こういう意識低いヨソ者が道内にウイルスを撒き散らしていくんですよ。G・W以降、道内の感染者が急増したのも感染予防策に無頓着な奴等が流入してきたからでしょう!ふざけんな!(私は花たびそうやの全面運休につながった緊急事態宣言発令の原因について怒ってるのです!)

 

 

 

バスも高速で突っ走ってくるから、まさか乗客がいるとは思わなかったようで危うく通過される処でした…(汗)。バスが見えた時点で待合室から出てきたのですが…。少し停留所をオーバーした位置で停車したので無事乗り込む事ができましたが、乗客は誰も乗っていなかったのでした。

尚、乗車時に撮影する事はできませんでしたが、バスの車種は三菱ふそうの中型路線バス・エアロミディMK(ワンステップ車)でした。

 

 

 

乗客は、途中の停留所で高校生位の男の子が1人乗ってきただけ。

遠軽のシンボル・瞰望岩(がんぼういわ)が見えてきました。写真に見える踏切は遠軽駅から見て石北本線下り線のモノ。

 

 

 

バスは遠軽厚生病院行ですが、1つ手前の遠軽ターミナル(北見バス遠軽営業所)で下車します。ここまでの運賃は¥280。ただ…初老のドライバーは不愛想で降りる際にも何も挨拶もせず…。今時こんなドライバーもいるんですね。私が乗る際、通過しようとしていた処を急に止まらされた事に対して怒ってたのかなぁ…。

 

 

 

国道と駅前通りの交差点にある遠軽バスターミナルから遠軽駅までは200m余り。

 

 

 

遠軽駅に着きました。

 

 

 

遠軽といえば、北海道でも有数の旨さを誇る(私の中では音威子府と双璧を成す位だった)駅そばの店『北一そば』があったのですが、残念ながら店主の死去に伴い2019年に閉店してしまいました…(涙)。もう二度とあの旨いそばが食べられないかと思うと、悲しくて寂しくて…。優しかった店主のおばあちゃんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 

 

さて…遠軽からは本来ならば9:55発の84D旭川行特急大雪4号で帰路に就くのですが、1時間半も時間があるので、8:33発の網走行普通4659Dで一旦生田原駅に戻り、ヒマつぶし乗車とします。

改札口上の時計横には、かつてイベント列車として運転されたSL常紋号の写真が。

 

 

 

4659Dはキハ40の2連(旭アサ)で、網走方に1715、遠軽方に先程生野駅まで乗車してきた828が連結されており、流石に3度も828に乗るのも…と思い今回はタイフォン付の1715(1月24日にも宗谷本線で乗車)に乗車します。

 

 

 

上の写真を撮影した2番ホームの『のりば案内』。

国鉄時代から現役で使われているモノで、上のほうには名寄本線の「紋別・名寄方面は0番線(1番線)」の表記がそのまま残っています(1番ホームののりば案内も同様)。

 

 

 

 遠軽~生田原は別途往復乗車券を購入して乗車しています。

 

 

 

 4659Dは生野駅を通過。

 

 

 

 生田原駅1番線には8:53に到着。

北見、網走方面へ向けて走り去っていきました。

 

 

 

生田原駅の発車時刻表と運賃表。

一応特急が全列車停車するため、列車本数は周辺の他の無人駅より多いです。

 

 

 

駅舎…といっても駅施設は所詮テナントに過ぎず、メインは当時の生田原町が建設したオホーツク文学館と生田原図書館。開館は10:00からなのでシャッターは閉まったまま。

 

 

 

1954(昭和29)年に生田原村を町制施行し、生田原町となった当時の市街図が保存展示されていました。

 

 

 

旧生田原町域にあった『北の王鉱山』についてのパネル。

金銀、そして水銀が採掘されましたが、戦時中の1943年に閉山。掲載されている写真に写っている建物は当時としては近代的な建物で、その栄華が偲ばれます。

 

 

 

 建物自体に駅を示す表記はなく、入口ガラスに『JR生田原駅』の貼り紙があるだけ。

 

 

 

建物エントランス部にある 『オホーツクの風』のブロンズ像。

 

 

 

オホーツク文学館&生田原図書館の外観。

海から遠いのに、何でもかんでもオホーツクって付ければいいってモンじゃないと思うんですがね…。所詮ロシアの地名ですよ!北方領土を返還しないのに対抗して、日本もオホーツク海の事を日本名で『北見海』(北見国に面しているから)って付ければいいのに、という意見は乱暴か!?(あくまでも、私個人の意見です!)

 

 

 

 立派な建物とは反比例に、駅待合室としてはコンパクト。

 

 

 

待合室にはこんな貼り紙が…。

駐車場で野グソとは…単なる腹いせか嫌がらせでしょう!こんな輩に対してはいくら注意書きしても響かないから!

 

 

 

さて…私は札幌への帰路に就くために、まずは旭川行82D大雪2号(9:36発)に乗ります。大雪は全列車2往復とも、3月ダイヤ改正以降は臨時列車に格下げされ、閑散期は曜日運休となってしまいます(2021年上期は7月上旬まで継続)。

この日の編成は下記の通り。

①(指)キハ183-9561 ②(G)キロ182-505 ③(指/自)キハ182-7551 ④(自)キハ183-4559(全車札ナホ

 

 

 

生田原~遠軽は3号車自由席(一部指定席)を利用。

3号車キハ182-7551はオリジナルのR55リクライニングシート。

 

 

 

遠軽→旭川はえきねっとトクだ値55で乗車できますが、生田原→遠軽は区間外乗車となるため、その間だけ自由席を利用し、遠軽からは本来の指定席に移動します。

 

 

 

再び瞰望岩が見えてきて、遠軽駅に到着します。

 

 

 

9:51、遠軽駅に到着。運転士交代とエンド交換のため3分程停車します。

 

 

 

その間に私は本来の指定席1号車に移動。

 

 

 

 1号車キハ183-9561はグレードアップ指定席仕様。

 

 

 

丸瀬布では71Dオホーツク1号と交換。尚、この時点では71Dは運転停車扱いでドアは開きませんでしたが、3月ダイヤ改正以降は正式な停車駅となり客扱いをしています。

 

 

 

旭川駅3番線には11:50に到着。結果的に、定期列車時代の特急大雪としては最後の乗車となりました。

隣の4番線に停車中の3022Mライラック22号に乗り換えます。

 

 

 

ライラック22号も勿論トクだ値利用なので、指定席2号車に乗車します。

編成は789系HE-102+HE-202(SAPPOROラッピング、リニューアル車)。やはり車内はガラガラ。

 

 

 

13:25に札幌駅1番線ホームに到着。2日間の道東乗り鉄旅が終わりました。

 

 

ひとまずコレで、2021年3月ダイヤ改正で廃駅になる箇所の訪問はクルマと列車を含めて全て完了したのですが、ある廃止予定駅を改めて列車で訪問した事があり、シリーズの最後はその事を紹介しようと思います。

つづく