こちらは、一昨年(2019(令和元)年)12月1日に、東武鉄道日光線の南栗橋駅(埼玉県久喜市)で撮影した、20040型の21412Fによる、新栃木発南栗橋行きの電車🚃です。

20040型は、昨年(2020(令和2)年)3月27日まで、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の日比谷線直通列車で活躍していた20000系列の車両から改造された、栃木ローカル用の4両編成のワンマン運転対応車であり、2018(平成30)年9月3日に、最初に改造された21411Fを皮切りに、東武宇都宮線(栃木~新栃木~東武宇都宮間)でデビューしました。

20000系列の車両は、1988(昭和63)年から1997(平成9)年までの間に、20000系(オール3ドアの電機子チョッパ車)が13本、20050型(1,2,7,8号車が5ドア車のVVVF車)が8本、20070型(20050型のオール3ドアバージョン)が3本の計24本が、アルナ工機(現、アルナ車両)の尼崎工場(現在は閉鎖されている)と、東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)で製造され、日比谷線直通運用に使われていました。

20000系列は、2017(平成29)年から昨年に掛けて4ドアの7両編成である70000系(一部THライナー対応の70090型)に置き換えられていたけど、24本のうち、初期に運用離脱された20000系の21809Fと21813Fが編成単位で廃車となり、他の22本は、4両編成化及び5ドア車の3ドア化改造されて、栃木ローカルに順次転用されることになっています。

上記の2本を除いた20000系は、先頭車のみが20400型に改造され、中間車は、機器の更新の手間を省く為に、VVVF車である20050型や20070型の中間車の一部から転用されています。

20040型のVVVFインバータは、種車のGTO方式(東洋電機製造製)のままであり、犬が吠えたような独特のインバータ音(バークインバータ)を聴くことが出来ます。

運転台は、ワンマン運転に対応させる為に、従来型のマスコンから、500系リバティと同じ左手操作式(E系方式)に改造されています。

20400型は、4両全てが20070型から改造された20410型、20000型の先頭車に20700型の中間車を組み合わせた20420型、4両全てが20050型から改造された20430型、20000型の先頭車に20050型の中間車を組み合わせた20440型の4種類から成っており、6月10日には、20430型の21437F(21854Fから改造された編成)が、津覇車両工業の館林工場(群馬県館林市)出場していたことを聞きました。

今年度中には、3本改造される予定であり、22本全ての改造が完了することになります。

21412Fは、1997年に東急車輛製造で製造された20070型の21872Fのうちのクハ21872、モハ22872、モハ23872、クハ28872号車から改造された編成であります。

20000系列の20400型への改造で、最初に20070系が選ばれた理由は、オール3ドアのVVVF車だったからであり、転用改造が容易であることが決め手でありました。

20500型5ドア車の3ドア化の時には、ドアが埋められた跡があるので、JR東日本の日光線(同じ栃木エリア)で活躍している205系600番台(京葉線から転用されたでメルヘン顔の車両)の改造車である、観光列車「いろは」に準じているところがあります。

いろはの場合は、中間の2枚のドアを埋めた2ドア車となっています。

東京メトロ日比谷線で活躍していた03系の5ドア車のほうは、地方私鉄に譲渡されることもなく編成単位で廃車となっていました。

03系は、一部の車両が長野電鉄(長野県)、熊本電気鉄道(熊本県)、一昨日(6月13日)の記事で紹介した北陸鉄道(石川県)の3社に譲渡されていたけど、こちらは全て3ドア車が種車となっています。

20000系列の余剰中間車の一部が、地方私鉄への譲渡に伴う改造の為に、北館林荷扱所(群馬県館林市)から京王重機整備の北野事業所(東京都八王子市、京王線の北野駅付近)まで陸送されていました。

どの鉄道会社に行くかは、公式発表待ちとすることにします。

京葉線で活躍していた205系のメルヘン顔編成は、12本存在し、10本が4両化されてJR日光線、JR宇都宮線の宇都宮~黒磯間に転用され、初期に運用離脱された2本が転用されずに編成単位で廃車となっていたので、東武20000系列の栃木ローカルへの転用(20400型化)に似ているところがあります。

205系600番台では、仙石線に転用された3100番台と同様に、トイレ🚻♿🚽が取り付けられていたけど、東武20400型の場合は、トイレなしのままとなっています。

1988年から1989(平成元)年に掛けて、2000系(初代日比谷線直通用車両)の中間車の一部(1971(昭和46)年の8両化の時に増結された車両のうちの12両)が先頭車改造により野田線に転用されていた2080型があったけど、冷房改造出来なかったことに加え、故障が頻発していたことによって、1992(平成4)年に廃車となったことで、改造されてから3~4年間しか活躍しなかった失敗作でもありました。

20040型は、その二の舞にならなくて良かったと思っています。

津覇車両工業は、東京都江東区南砂に本社があり、工場は、船橋工場(千葉県船橋市)と館林工場(群馬県館林市、南栗橋車両管区館林市出張所内)の2ヶ所から成っているけど、館林工場では、東武の車両の改造や修繕が行われているので、東武鉄道との関連が深いと言われています。

このことで、かつて大榮車輌で京成電鉄の車両の改造が行われていたことを思い出します。

20400型のデビュー当時は、専ら東武宇都宮線内での運用で、8000系のワンマン改造車(殆どが元東上線だった)が先に置き換えられ、後に南栗橋~新栃木間にも使われるようになっています。

昨年6月6日のダイヤ改正では、南栗橋~東武宇都宮間での直通運転が主体となり、南栗橋~新栃木間もワンマン化されていました。

昨年11月9日からは、6050系(トイレ付きの2ドアセミクロスシート車)の天下であった新栃木~東武日光間と、鬼怒川線(下今市~新藤原間)にも進出し、現在は、南栗橋→東武日光間の急行(途中、栗橋、板倉東洋大前、新大平下、栃木、新栃木、新鹿沼、下今市の各駅に停車)にも使われるようになっています。

トイレ付き2ドアセミクロスシートの6050系からトイレなし3ドアロングシートの20400型に置き換えられた運用もあるので、グレードダウンした感じがしてきます。

このことは、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線(茨城県、鹿島神宮、鹿島サッカースタジアム~水戸間)で、6000形気動車(トイレ付きの2ドアセミクロスシート車)の一部が8000形気動車(トイレなしの3ドアロングシート車)に置き換えられたことに似たような現象となっています。

南栗橋駅のトイレ🚻が改良されたと共に、プラットホーム側にも増設されたのはその為であり、東武ファンフェスタが復活した時にも重宝すると思っています。

20000系列で最後まで活躍していた編成は、20000系の21807F、20050型の21856Fであり、前者は昨年3月26日、後者は3月27日に運用離脱されたことにより日比谷線直通列車を卒業し、3月28日からは日比谷線の車両が4ドア20m車の7両編成に統一されていました。

20000系列の日比谷線直通からの卒業の時も、03系と同様に、ヘッドマークの取り付けが行われなかったです。

6050系で廃車となった編成は、6154,6158,6160,6161,6163,6164,6165,6166,6171F(全て6000系からの更新車)であり、先月の6154,6160,6164Fの廃車によって9本目となっていました。

6050系の6162Fと6179Fは、6000系時代と同じ茶系のツートンカラーとなっているけど、自分(しゃもじ)は未だ撮影したことがないです。

昨年6月6日の改正では、東武宇都宮線直通の特急しもつけ号がリバティ化されることなく廃止されていたので、東武宇都宮線で定期運用される車両がVVVF車によるワンマン運転に統一されていました。

東武宇都宮線の路線

新栃木~野州平川~野州大塚~壬生(みぶ)~国谷~おもちゃのまち~安塚~西川田~江曽島~南宇都宮~東武宇都宮

東武宇都宮線の壬生駅は、所在地である栃木県下都賀郡壬生町と同じ「みぶ」と読むけど、山梨県都留市にある富士急行線の禾生駅は、「かせい」と読みます。

こちらは字が似ているので、注意が必要⚠️であります。

同じ壬生町にあるおもちゃのまち駅の由来は、1960年代に玩具工場🏭が誘致され、工業団地が作られたことであり、周辺には、トミックス(TOMIX)ブランドの鉄道模型や鉄道むすめなどでお馴染みのトミーテック(タカラトミー(TAKARA TOMY)の子会社)の本社があります。

バンダイナムコホールディングスによるおもちゃのまちバンダイミュージアムは、2007(平成19)年4月28日に松戸駅東口からの移転により開設された、機動戦士ガンダムなどのバンダイ(BANDAI)の玩具の博物館であります。

詳細は、「トミーテック」、「おもちゃのまちバンダイミュージアム」で検索。

南宇都宮駅周辺にある宇都宮市文化会館には、東武宇都宮駅付近にある栃木県総合文化センターと並ぶ宇都宮のコンサートホールであり、どちらも自分(しゃもじ)🐰がハロプロのコンサートに足を運んでいた時代に、モーニング娘。のコンサートで立ち寄った会場でもあります。

当時8000系が使われていた頃の東武宇都宮線に乗って行ったけど、宇都宮でのモーニング娘。のコンサートに行っていた友人のつか氏と一緒に8000系に乗り、元東上線の車両であることを語っていました。

確かに東武宇都宮線で活躍していた8000系のほとんどが元東上線であり、8両固定編成を分割化させた編成もありました。

群馬ローカルの800型と850型(どちらも3両編成のワンマン改造車)も、元東上線の8両固定編成から改造された編成であります。

自分(しゃもじ)🐰は、ハロプロ系の有料ライブや握手会の参戦から撤退し、地下アイドルの現場がメインとなり、このようなホールクラスの会場とは無縁となってしまいました。

友人のつか氏も地下アイドルの現場がメインとなったけど、自分(しゃもじ)🐰と共にハロプロの応援を継続しています。

宇都宮と言えば餃子🥟が有名であり、宇都宮に行く度に食べに行っているけど、一昨年9月6日もそうしていました。

宇都宮餃子🥟の店などの詳細は、「宇都宮餃子」で検索。

宇都宮のライトレール(LRT)は、宇都宮駅東口~芳賀・高根沢工業団地間を結ぶ路線であり、再来年(2023年)3月に開業予定となっています。

20400型になってからは1度も乗ったことがないので、南栗橋~栃木間でもいいから乗りに行きたいです。

東武60000系🚃は、2013(平成25)年6月15日(今からちょうど8年前)にデビューした、東武アーバンパークライン(野田線)専用の車両(南栗橋車両管区七光台)であり、2015(平成27)年までに61618Fまでの6連18本108両が、8000系の第一次置き換え用として、ベース車である50000系列の車両と同じ日立製作所笠戸事業所(HITACHI)で製造されていました。

デビュー当時は、これまで伊勢崎線系統や東上線からのお下がりの導入が続いていた野田線に、合併以来初となる新車が導入されたことでも話題となっていました。

自分(しゃもじ)は、その初日に柏から船橋まで61601Fに初乗車していたのであります。

野田線では、これまで変電所が回生ブレーキ非対応で抵抗制御車しか入ることが出来ず、2004(平成16)年10月に野田線最後の吊り掛けモーター車だった5070系の全廃後に8000系オンリーとなっていたけど、変電所の改良により、60000系の導入や10030系の転用が実現していました。

60000系のガラス扉には、野田線沿線8市(さいたま市、春日部市、野田市、流山市、柏市、松戸市、鎌ヶ谷市、船橋市)の花がデザインされているのが特徴であります。

さいたま市は桜🌸、春日部市は藤(フジ)、柏市、船橋市はひまわり🌻、野田市、流山市、松戸市はツツジ、鎌ヶ谷市は桔梗(キキョウ)であるけど、60000系がデビューした当時はステーション♪で、きなりん(同じ千葉県出身のメンバーだった)🌻が1推しだったので、このことを思い出しました。

LED式照明が使われている証であるステッカーには、日立グループのスローガンである「HITACHI Inspire the Next」の表示が入っているので日立製作所(HITACHI)製らしさを感じました。

東武アーバンパークラインの10030系は、11631,11632,11633,11635,11636,11651,11652,11653,11654Fであり、初期型の10030型はリニューアル車(LED表示)、後期型の10050型は幕式であります。

東武アーバンパークライン(野田線)の8000系の残りは、8150,8158,8159,8162,8163,8164,8165,8166,8170,8171,8172,8192,81110,81113,81114,81117Fの16本であり、そのうちの8150,8159,8163Fは、幕式となっているのでより注目されています。

東武アーバンパークライン(野田線)の路線

大宮~北大宮~大宮公園~大和田~七里~岩槻~東岩槻~豊春~八木崎~春日部~藤の牛島~南桜井~川間~七光台~清水公園~愛宕(あたご)~野田市~梅郷~運河~江戸川台~初石~流山おおたかの森~豊四季~柏~新柏~増尾~逆井~高柳~六実~新鎌ヶ谷~鎌ヶ谷~馬込沢~塚田~新船橋~船橋

直通列車を除いて柏駅で乗り換えであり、直通列車の場合は、柏駅から列車の進行方向が変わることになります。

急行の停車駅

大宮~岩槻~春日部~藤の牛島~南桜井~川間~七光台~清水公園~愛宕~野田市~梅郷~運河~流山おおたかの森~柏~高柳~新鎌ヶ谷~船橋

区間急行の停車駅

大宮~岩槻~春日部~藤の牛島~南桜井~川間~七光台~清水公園~愛宕~野田市~梅郷~運河~江戸川台~初石~流山おおたかの森~豊四季~柏

埼玉県にある駅は、大宮~南桜井間の各駅、千葉県にある駅は、川間~柏~船橋間の各駅であり、県境である南桜井~川間間で江戸川を渡ることになっています。

複線区間は、大宮~春日部間と運河~柏~船橋間で、春日部~運河間は単線であります。

車両基地は、七光台駅付近にある、南栗橋車両管区七光台支所であり、七光台駅発着も設定されています。

乗換駅🚃🔃🚃

大宮 JR(京浜東北線、JR宇都宮線・高崎線(どちらも一部は上野東京ラインとして東海道線に直通運転)、湘南新宿ライン(横須賀線⇔JR宇都宮線、東海道線⇔高崎線)、埼京線、川越線(高麗川方面へは全て川越駅で乗換)、東北・北海道・山形・秋田・上越・北陸新幹線)、埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)

春日部 東武アーバンパークライン(野田線)⇔東武スカイツリーライン(伊勢崎線)

流山おおたかの森 つくばエクスプレス線

柏 東武アーバンパークライン(野田線)相互(大宮、野田市方面⇔船橋方面)、JR(常磐快速線、常磐緩行線)

新鎌ヶ谷 北総鉄道北総線、京成成田空港線(成田スカイアクセス線)、新京成電鉄新京成線

船橋 JR(横須賀・総武快速線、中央・総武緩行線)、京成本線(京成船橋駅)

東武アーバンパークラインの柏駅は、西口(ステーションモール)側にあり、1,2番線が、野田市、大宮方面、3,4番線が船橋方面の乗り場となっています。

流山おおたかの森駅は、2005(平成17)年8月24日の首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線(秋葉原~つくば間)の開業と共に出来た、野田線で一番新しい駅であり、駅前には、流山おおたかの森S・Cがあります。

東武新鎌ヶ谷駅は、1999(平成11)年11月25日に新鎌ヶ谷信号所からの格上げにより出来た駅であり、それに合わせて鎌ヶ谷駅が高架化されていました。

新鎌ヶ谷駅は、1991(平成3)年3月31日に北総開発鉄道北総・公団線(のちの北総鉄道北総線)の京成高砂駅までの延長と共に、信号所からの格上げで開業し、翌年の1992(平成4)年7月8日に新京成線、1999年11月25日に東武野田線の駅がそれぞれ新設されていました。

新京成線のくぬぎ山~鎌ヶ谷大仏間(北初富、新鎌ヶ谷、初富駅を含む)が、2017(平成29)年10月21日に下り線(京成津田沼、千葉中央方面)が、一昨年(2019(令和元)年)12月1日に上り線がそれぞれ高架化されたことにより、新京成線の新鎌ヶ谷駅が北総線、京成成田スカイアクセス線と同じレベルの高架駅となったのであります。

これにより、イオン(AEON)の鎌ケ谷ショッピングセンター🛒の前の踏切も廃止されたので、新鎌ヶ谷駅から踏切を渡らずに行くことが出来るようになったほか、車🚗の流れもスムーズになったのであります。

パトカー🚓、救急車🚑、消防車🚒と言った緊急自動車🚨は、赤信号でも通行しても良いこととなっていてアナウンスが流れているけど、踏切の場合は遮断されたら停止しなければならないという問題があります。

このように、踏切が廃止されたことにより、人や車の行き来がしやすくなったことに加え、緊急自動車🚨🚓🚑🚒がスムーズに通れるようになったという朗報がありました。

このことは、3月28日に高架化された、愛宕、野田市の両駅やその周辺にも言えることであります。

京成新鎌ヶ谷駅の改札は、北総線、成田スカイアクセス線と共通となっていたけど、昨年6月16日に改札が分離されていました。

新鎌ヶ谷駅は、2010(平成22)年7月17日の京成成田空港線(成田スカイアクセス線)の開業により、羽田空港✈️だけでなく、成田空港✈️へも乗換なしで行けるようになっています。

6月30日から7月4日までの間、中野にあるザ・ポケットで、あーにゃこと水湊あおひ氏😸が出てくる舞台「サイバーガール~あるいは寛容論について~」が行われるけど、あーにゃ😸は、REDチームとなります。

このように、あーにゃ😸と半年ぶりに再会出来る機会があって良かったと思っています。

あーにゃこと水湊あおひ氏😸は、アメブロ(水湊あおひのブログ~黒猫日記~)をやっているので、こちらでも分かります。

自分(しゃもじ)が、昨年12月27日の撮影会の時に撮影したあーにゃ😸の画像をアップした時、あーにゃ😸に画像載せてくれてありがとう💖と言われたので、嬉しくなってしまいました。

自分(しゃもじ)🐰は、昨年12月27日のあーにゃ😸が出てきたFresh屋外大撮影会以来あーにゃ😸に会っていない状態であり、あれから5ヶ月経ってしまいました。

合間に見た夕景🌇が綺麗であり、あーにゃ😸と一緒に眺めたことになったけど、当時の夕日🌇は、あーにゃ😸との再会を誓ったものだと思っています。

気になりましたら、「水湊あおひ」で検索。

京王9000系20周年、井の頭線の1000系25周年のヘッドマーク付き電車は、6月末まで運転される予定だけど、京王9000系は5日に撮影することが出来ました。

緊急事態宣言の延長が出来てもヘッドマークの延長は出来ない状態であります。

第三次緊急事態宣言の影響により、同じような内容の文章が続いてしまうことをご了承願います。

この時には文章の手直しもしています。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このブログは、このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

東武特急100系スペーシアの原色となった109Fのほうも、撮影してみたいけど、緊急事態宣言がネックとなっています。

109Fのほうは、11日にきぬ110号での藤岡~静和間で車両故障となったことにより、運用離脱され、復帰の目処が立っていないのが残念であります。

横須賀・総武快速線のE235系1000番台(近郊バージョン)は、デビューからもうすぐ半年を迎えることになります。

昨日(6月14日)は、その4両付属のJ-13編成が、6月7日には11両基本のF-12編成が新津から大船までそれぞれ配給輸送されていました。

F-13編成のほうは、近いうちに配給輸送される予定となっているので、13本目に突入することになります。

E217系は、5月26日に4両付属編成のY-126編成とY-137編成が長野総合車両センター(長野県長野市)まで廃車回送されていました。

小田急電鉄では、1000形の1751Fに続いて1752Fも廃車となり、前述の北館林荷扱所(群馬県館林市)まで陸送されていたことを聞いたので、オリジナルのワイドドア6連が全滅していました。

こちらは、一昨年10月22日に多摩線で乗車、撮影することが出来て良かったと思っています。

西武鉄道では、40000系のトイレなしオールロングシート仕様車である40155Fが兵庫駅(川崎重工業兵庫工場(Kawasaki))から新秋津駅まで甲種輸送され、一昨日(6月13日)、新秋津駅に到着していたという情報が入ってきました。

この時に263Fによって送り込まれていました。

これにより、初期型2000系が置き換えられることが予想されています。

西武多摩川線(武蔵境~是政間)では、7月1日から9月30日までの間、西武多摩川線サイクルトレイン🚃🚲️の実証実験が行われる予定となっています。

元西武の車両が活躍する三岐鉄道三岐線(三重県)で行われているので、逆輸入したような感じだと言われています。

今日(6月15日)は、栃木県民の日と、千葉県民の日であるので、栃木県を走る20400型、東武鉄道で唯一千葉県を走る東武アーバンパークライン(野田線)を話題にしました。

栃木県民の日は、1873(明治6)年6月15日に旧栃木県と宇都宮県の合併により栃木県が誕生したことに因んで制定されていました。

一方の千葉県民の日は、栃木県と同じ1973年6月15日に木更津県と印旛県の合併により現在の千葉県となったことにより制定されていたけど、栃木県民の日と同じであるのも偶然であります。

因みに群馬県民の日は、10月28日であり、1871年の廃藩置県により同年の10月28日(旧暦)に群馬県の名称が使われるようになったことに由来しています。

埼玉県も、1871年の廃藩置県によって生まれた県であり、11月14日が埼玉県民の日となっています。

東京都民の日は、10月1日であり、1898(明治31)年10月1日に東京都の前身である東京市が設置されたことが由来であります。

昨年の今頃は、70090形THライナー等の東武電車を撮影しまくっていたので、あの頃が懐かしいです。

本当に一足早い緊急事態宣言の解除、感染者数の減少、ワクチンの普及、コロナの収束を願っています。

このように、栃木県民の日に、東武20400形を話題にすることが出来て良かったです。