以前、この廃車体についての問い合わせがありました。
実際に見てみたいので、場所を教えて欲しいとの事でしたが諸般の事情によりお断りしましたショボーン(廃車体の場所は所有者の意向や解体業者への情報伝播の恐れがあるので処分済の一部物件のみしか記載しません)しかし、単に断るのは心苦しく、その後の調査で判明した事項もあったのでまとめてみましたニコニコ
初代搬機:たちばな
日本平ロープウェイパンフレットより

1956年12月に工事着工、翌1957年5月に開業した日本平ロープウェイ。開業当初は近畿車輛の搬機(2台)が用意されました。

初代搬機は乗車定員は26名重量1.5㌧車体寸法長さ2,660㍉幅1,645㍉高さ2,307㍉と当時としては標準的な大きさです。なお、扉は片側のみでした。初年度(1956年度)の輸送実績30万4千人翌(1957)年度37万3千人なので如何に話題となり利用されたかが窺い知れます。なお、この年は静岡国体が開催された年でもあり静岡県が賑わった1年でもありました。

日本平ロープウェイ風光明媚な屛風谷を渡る際には駿河湾や富士山を眺めて、1,400段の階段を登らなくてはいけなかった久能山東照宮もロープウェイで簡単に参拝出来ることが出来るようになったことも利用者が増えた理由と思われます。
1958年度38万4千人1959年度45万7千人と順調に利用者が増えていきます。

二代目搬機:あおい
以下の写真は静岡鉄道百年史より
日本平ロープウェイは更なる輸送力増強を図るため開業から僅か4年、1961年に搬機を更新します。メーカーは同じく近畿車輛でデザインはあまり変わりません。
二代目搬機は乗車定員は31名重量0.71㌧車体寸法長さ3,940㍉幅1,645㍉高さ2,350㍉とひとまわり大きな搬機となります。乗降扉も拡幅されて座席を減らして立席客を増やしています。扉は片側のみです。搬機は12月24日更新され利用者は1961年度の輸送実績51万9千人1962年度55万9千人と1年で4万人も増加しています。
三代目搬機:あおい
静岡鉄道百年史より
1960年代の日本平ロープウェイ利用者年間60万人台を維持し、1969年の年間利用者数は史上第二位となる81万2千人に達しました。
1971年3月、三代目搬機が導入されました。大きさやデザインは大きく変わり、車体もガラス面積が大きくなります。乗車定員は55名重量不詳車体寸法長さ5,400㍉幅2,070㍉高さ2,300㍉と大きな搬機となります。メーカーは武庫川車両工業製扉は左右両側に設けられています。
四代目搬機:たちばな
静岡鉄道百年史より
四代目となるこの搬機は、2020年8月10日付やまやブログで掲載した廃車体のもので、1978年2月より営業運転に就きました。製造は東急車輛で車体はステンレス製となり側面窓は従来より三割ほど窓面積が広くなっています。車体寸法や重量は不明定員は52名です。また元来は交流制御だったものが直流制御となり加速が滑らかになりました。
この頃の日本平ロープウェイ利用者数は1972年度に年間利用者数は史上第一位となる83万2千人に達しました。以降は年間700万人前後で推移していきます。
五代目搬機:たちばな
静岡鉄道百年史より
1990年12月より営業運転を開始した五代目搬機は近畿車輛で製作したもので乗車定員は55名重量1.95㌧車体寸法長さ5,600㍉幅2,070㍉高さ2,300㍉となって定員が3名増えています。
車体はアルミ合金製で車輌更新に併せて索道設備も改良されて従来6分の所要時間5分に短縮されましたおねがいハヤイハヤイ❤︎
2009年にはキャリアハンガー更新されています。この搬機が活躍した期間、日本平ロープウェイは利用者が低迷した時代でもあり利用者は1990年度の輸送実績71万3千人1993年度には81万0千人と計上するものの平成不況レジャーの多様化により暫時減少を遂げ2002年度には37万8千人僅か10年で利用者が半減してしまいました。

その後日本平山頂の整備に着手し利用者減少は底をつきました。
更に久能山東照宮の大規模改修の完了、2014年の大河ドラマ"軍師官兵衛"放映により利用者は徐々に回復して2012年度には62万2千人と600万人台まで回復し五代目搬機は2019年まで、ほぼ平成年間活躍したこととなります。
現在(六代目)の搬機:あおい
静岡鉄道百年史より
2019年に導入された六代目搬機はcarabatech社製となり、車体を青系"あおい"赤系"たちばな"と改めています。乗車定員は47名重量1.65㌧車体寸法長さ5,100㍉幅2,070㍉高さ2,400㍉と先代よりやや短くなっています。
安全面での強化のほか訪日観光客に向けての多言語放送装置の設置のほかフリーWi-Fiも搭載しています。