貨物機の引退は、ささやかな場合が多い。原則的に旅客列車は牽かないから「さよなら列車」として旅客を乗せるケースはほとんどない。最終の運用列車にヘッドマークが付くことはあるが、最近ではそんなケースも少ない。告知なくひっそりと消えてゆくのである。
EF200もそんな感じであった。落葉樹が葉を落とすように一両づつ消えてゆき、最後の3両も2019年の3月に普段と変わらない姿で静かにパンタグラフを降ろした。引退は後でネットの情報から知ったのである。

しかし、姿を消したとなると惜しむ声が広がってくる。貨物列車を牽引する機関車は撮り鉄からは人気がある。消えてからさらに人気が出るのは機関車に限らないが。
そうした声が届いたのか、そのEF200を京都鉄道博物館で展示しますよ、と告知された。最終日にはさよならイベントも用意されているらしい。2019年の11月の事である。

そのEF200には2号機が抜擢された。3月まで稼働した3機のうちの一両である。
2号機が抜擢されたのは不思議ではない。どちらかと言えば相性のいい機関車であった。よく来るのである。旧塗色の時もしばしばお目にかかった。
EF66に例えたら27号機のようにさえ思えたのである。調子が良かったのだろうか?
晩年になるが、福山レールエクスプレスの増発として、名古屋タ~福岡タ間の57レ~56レが設定された。統一コンテナで組成された花形運用である。EF200もしばしば代走で起用された。一週間同じ機関車がループする。
この運用に18号機と共に多用されたのが2号機である。最も多かったのではないだろうか?
その後は一時運用を離脱していたが、20号機と入れ替わるように復帰。その後は連日のように吹田~幡生間を西へ東へ奔走した。
その2号機にスポットが当たったのだ。
     ↑京都鉄道博物館に回送されるEF200 2号機とシキ800 (農園の許可を得て撮影)

11月12日、同じく展示されるシキ800と共に梅小路に到着した。

展示イベントは好評であったようだ。運転台の見学には長蛇の列が出来ていた。デジタル化された運転台の計器。新しい機関車が長く活躍するとは限らないのは、最近の電子機器の家電を使っていても察する事であるが…。

展示最終日、本当の別れの時がやってきた。
お別れセレモニーの後、屋内展示場からの出走である。薄曇りの中、彩りを増した周囲の樹木が舞台を演出しているようだった。
屋外で待機していたDE10が、まずシキ800を牽き出した。そのままシキを連れたまま推進で庫に近づいてきた。そして、EF200と連結。
周囲には大勢の人が集まってきた。身動きは取れないほどだが、静かである。

DE10の汽笛がひときわ高く響き渡った。ややあって、それよりトーンの低い汽笛が後ろで響いた。EF200であった。
「いい日旅立ち」の生演奏が流れる中、ゆっくり、ゆっくりと牽き出されてゆく。運転席からは紙吹雪、そして紙テープ。


去ってゆくEF200の後ろ姿をじっと見つめているJR貨物の人がいた。
トワイライトの寝台車の陰に隠れたあと、その人はそっと何かを拾い上げた。EF200が残していった、ひとひらの紙吹雪だった。それは寡黙な別れであった。

ある車両基地で、去ってゆく車両があった。その整備をしていた人が「わが子のようでした」とポツリ一言。それを想い出した。
曇り空だった西の空がひときわ明るくなり、悲しいほどの夕焼けになった。それは、EF200が残していった紙吹雪に似た輝きであった。