どこ鉄 〜北か南か | 菅野貴夫の野球電鉄

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俳優・菅野貴夫のブログです。
「どこ鉄」とは、友人から送られてきた鉄道写真を、それがどこで撮られたものかを推理・検索・悪戦苦闘しながら解いていくシリーズです。

こんにちは。



おかげさまで、着々と写真が届いております。ありがとうございます。



最近、なぜか鉄道頭だけは冴えている気がするので、ザクザクとやっていきましょう。




まずは綾香さんからのこちら。

うむ。


前回の写真たちが南武線界隈で、この線路や架線柱のしっかりした具合も、まず南武線と考えておかしくない。


何よりカーブの内側に見える大きな建物(電器メーカーでしょう)と、線路の先の高層ビル群。


「南武線の、武蔵小杉から川崎方面にちょっと行ったところだよ」

と言っているようにしか思えません。


近年、武蔵小杉がタワマンとか急激に発展したのも、もともとあった電機メーカーの一大工場群の跡地を再開発したものですからね。

絶対このカーブだろう。


内側にはNECの工場。

新幹線を挟んで、再開発地区と綺麗に分かれていますね。




とりあえずピンを打ってストリートビュー。

うむ、ほぼ間違いないな。



画面の中を歩きながら、仕留めるアングルを見つけ出します。




では元の写真↓


仕留めた写真↓

JR南武線・武蔵小杉〜向河原間のカーブ、一瞬でかくh


おじさん「こんな所でニヤニヤして何してるんだい?」

僕「あ、いや、どこ鉄…あの、友人の写真を…」

おじさん「あやしい!確保!」



実際に現場でやっていたら、そんな事が起きた可能性がありますね。




ところで最近、綾香さんが写真を撮ろうとすると息子さんに「これじゃ分かりやすすぎる」と止められるそうです。

Oh……なんと頼もしい息子さん…!!!

将来が楽しみです。





さてお次は、ムーチョ先輩からのこちら。

青い空。

左奥にお寺、右側は道路と並木と何かの施設。

二段に折れる型の踏切遮断棒。

踏切の地面は、のっぺりとしたゴムマット。




場所を特定できそうな要素は見当たりません。




そのなかで一番注目したのが。

架線柱。



どうも、交流っぽい気がする……



未だに直流と交流の見分けがつけられない事は何度か言っておりますが、それでも付け根部分にガイシが多いのは交流ならではじゃないか…?そんな気がします。

そして手前の架線柱は左に突起状になっているのに対し、奥はむしろ凹のような形状。


この交互の配置も、交流特有のものだった気が……


とにかく交流と仮定します。




日本における交流電化区間は、北海道・東北・北陸・九州。(あと新幹線も)



さて、、この広範囲からどうやって絞っていけば…



前にも繰り返した踏切ゴムマットを調べるという愚行に突入しかけた時、次の写真が届きました↓

次は廃線と来たか…スパーリングの始まりの予感…!


この写真を拡大してみると。

看板に「北海道遺産」。



北海道か!



この写真は一旦置いといて、前の写真に戻ります。


これが北海道なのに、まさかさっきのは九州なんてことは無いだろうからな…!



うむ、言われてみると確かに北海道っぽい気がしてきますね!

さて北海道の電化された単線。



札幌を中心とした小樽・千歳空港・旭川の3方面は基幹路線なので、ほぼ複線で電化されています。



単線電化といえば学園都市線。

札幌近郊の路線で、もとは単線非電化のローカル線だったのが札幌都市圏の拡大にともなって電化→中心部はさらに高架複線化という大発展を遂げた路線です。



その単線区間を捜索開始。

元の写真のような並木道もあるぞ!





結果はあえなくSUKA。





アレー???



思っていたより単線区間も短かったし、目論見違いでした!



ほかに単線の電化路線って、あったっけ……



そこで、我が家の重要資料の登場。

そうか、道南いさりび鉄道!

(点線が非電化、実線に片ヒゲが交流電化)



ここは青函トンネルが開通した時に、本州側からの延長で函館まで電化された区間です。

当時はJRでしたが、北海道新幹線の開通時に第三セクターに転換となりました。



図にあるように、札幌圏の電化区間とは非電化区間を挟んで遠く離れています。


北海道の電化区間というと、つい札幌を中心に考えてしまうからな……このうっかり屋さんめ!!




改めてこのエリアで、単線電化の区間を捜索。



では、元の写真↓


探し出した写真↓

申し分なし。



道南いさりび鉄道・清川口(きよかわぐち)駅すぐの踏切、確保!!




いやー、北海道と分からなかったら…ゾッとする!




さて続いて、先ほどの廃線写真。

看板の「北海道遺産」を遠慮なく検索。



目を引いたのは小樽の手宮線跡。

北海道で、いや全国レベルに有名な廃線と言っていいでしょう。なにしろ北海道で一番最初に鉄道が開通した区間です。



(小樽…?同じ北海道でも函館と小樽ってけっこう離れてるぞ…??)



訝しむ気持ちも抱えつつ、上のページやストリートビューで、かなり長い廃線跡(整備された区間)を探します。


では、元の写真↓

探し出した写真↓

排水溝の形状、道路のブロックの角度も一致。


旧国鉄・手宮線跡、日銀通り沿いで確保!!!




(本当に函館から小樽まで移動したんだな…)



先輩は容赦なく次の問題を。

天窓のついた屋根。


そして、ぶっといガイシのついた架線柱。

これはさすがに交流電化と分かります。いつもこのくらい分かりやすければ良いのに。



この立派なガイシを見て、新幹線だと思いました。

駅構内が鉄骨のがっしりした屋根で覆われているのも、雪の多い地域を走る新幹線の駅でよくある構造です。



終点の新函館北斗駅から捜索を始めて徐々に南下し、ここは!と思った二戸(にのへ)駅も人違いで↓

やっぱり最近10年で開通した区間は構造が新しい、元の写真はもう少しくすんだ感じだぞ!と国鉄時代に開通した盛岡以南まで進み、水沢江刺駅まで調べたところで打ち切り。




…これ、新幹線じゃないな…?



新幹線は交流25000Vだから当然としても、在来線だって20000Vあるので、あのくらい立派なガイシでもおかしくないか…!



そそくさと北海道に戻り、大きな屋根で真っ先に思い浮かぶあの駅を見てみます。


では、元の写真↓


見つけ出した写真↓

ここだったか!



というわけで北海道代表・札幌駅、確保!!!



まさに灯台もと暗し。



まだまだ架線柱の世界では、ヒヨッコです。




でも、だから面白い。




ちなみに、札幌駅を航空写真で見るとこうなっております。

飛行機からの視線を意識してるんでしょうか。

ともかく、北海道の中心としての気概が感じられますね。



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今回は以上です。



最後までお読みくださり、ありがとうございました!



ではまた次回!