EF210 西広島駅 / はやぶさの日 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

EF210 西広島駅 / はやぶさの日


2022(令和4)年度末の開業に向けて、整備中のJR西広島駅でEF210を撮りました。

下関へ向けての下りキハ回送が2番ホームへ停車に、貨物列車が追い越して行くので、そのタイミングでの撮影です。

牽引してやって来たのはEF210-315号機。



画面上に跨がるのは、新しく架けられる新しい橋上駅舎のコンコースと、被爆資材をそのまま利用している跨線橋です。

明るく開放的で長閑だった西広島駅ですが、橋上駅舎となることで橋下の暗い個所が出来てしまうのは、仕方のないところです。

これまで踏切へ回らなければならなかった経路が、南北自由通路によって利便性も向上します。



さて、間に挟むのは感度と絞りを失敗した、高須駅付近でのEF210-307号機ですが。

色が吹っ飛んで金帯が白帯となってしまって、300番台なのに白桃みたいに見えます。

本当は全部白飛びになっていた写真なのですが、明暗補正で一杯に暗くしたら周囲の草木と車体の塗装が発色してくれたので、失敗写真としてUPしてみました(笑)



そして再び西広島駅です。

建設中のコンコースと跨線橋よりも広島駅寄りから来るのを待っていたら、やって来たのはEF210-319号機でした。

一枚目のピントが甘いようですが、後から気が付くと写真に向かって『なぁぜお前は~』と、思わず織田無道(おだむどう)さんになってしまいます(笑)



『えいっ、えぇいっっっ!』と渇を入れても、ピントがシャープになる訳でもなく、そのままUPしてしまうのですけど。

臨済宗の僧侶だった織田無道さんも、亡くなられて来月で1年となりますが、無道という名前は除霊タレントとして活動するための芸名でした。

川口浩探検隊などもそうですけど、確かに放送倫理は重要なものだと思いますが、ドキュメンタリーチックなフィクションを"ヤラセ"だと一括りにして断罪するのもいかがなものかと、少し嫌悪感があります。



そしてラストは桃太郎イラストと、新幹線の車内から撮った広島貨物ターミナルのHD300-20号機です。

黄色い車はコンテナ積み降ろしや移動に使われるフォークリフトですが、普通は爪を床下に差し込んで持ち上げるのですけど。

形を見ての通り、こいつは上からわしづかみにして、軽快に動き回ります。

▼本日限定!ブログスタンプ

人のあたたかさを感じたエピソードある?

JAPAN,Today is Happy Kind Peace Day,今天是美好的一天


6月13日は小さな親切の日。

この日は制定記念日ではなく、1963(昭和38)年に小さな親切運動本部が発足した日です。

この年3月の東京大学の卒業式の告辞で、総長の茅誠司(かや せいじ)氏が『小さな親切を勇気をもってやってほしい』と言ったことがきっかけとなって。


その後、実践例が新聞などで報じられ、社会から幅広い共感が寄せられたため、6月13日に茅を始めとする学者・ジャーナリストなど8名の提唱者が運動を発足させました。

発足以来23年間、『できる親切はみんなでしよう それが社会の習慣となるように』『人を信じ、人を愛し、人に尽くす』をスローガンに、今日も運動は続いています。

親切は相手への優しさや思いやりが伴わないと、親切の押し売りになってしまう側面があります。


相手を思っての言動でも相手にとって不本意な場合もあり、断られるケースがあることが大前提で親切な心配りをしなければ。

すると『親切にしてやったのに』『優しくしてあげたのに』など、心に穢を生み出します。

もしそういった穢の感情が芽生えるようなら、あなたのそれは始めから恩着せであって、親切ではないことを理解していなければなりません。


なぜなら親切は相手への思いやりと優しさであって、あなたの自己欲求を満たすものではないからです。

ところで6月13日 には他に『旧友の日』『一汁三菜の日』『いいみょうがの日』『はやぶさの日』『石井スポーツグループ 登山の日』『お父さんの日』の6件が、公式記念日と制定されていますが。

ここで気になるのが『はやぶさの日』だったりします。


特急はやぶさは1942(昭和17)年11月15日に誕生した急行列車が起源で、1958(昭和33)年10月1日にスハ44系等13両で組成された鹿児島発着の初めての特急列車として誕生しました。

1960(昭和35)年に特急あさかぜ・特急さくらに続き20系客車が投入されて、日本で3番目のブルートレインとなります。

特急はやぶさの由来は漢字で"隼"の文字が、鹿児島の"薩摩隼人"を連想させることから、公募5位からの抜擢採用でした。


しかし東京~西鹿児島(現 鹿児島中央)を結んでいた特急はやぶさは、運行終了間際には特急富士との併結で東京~熊本間に短縮されていました。

使用された客車は20系から24系25型へと移り、晩年は14系で運転され、牽引した機関車はC59・C61・C62・EF58・EF60・EF65-500・EF65-1100・ED73・ED76・EF81と歴代国鉄名機が担当しました。

また関門トンネルではEF10・EF30・EF81-300の牽引、セノハチではD52・EF61の後押し補機も忘れてはいけません。


特急はやぶさが誕生する以前は東京から鹿児島まで2晩かかっていましたが、その長距離を1晩で結び画期的なスピードアップに貢献したものの、時代は進み寝台特急はその所要時間から乗車率が低迷するようになります。

2009(平成21)年3月13日を持って、日本初の特急列車だった富士と共に廃止となり、2011(平成23)年3月5日からなぜか東京~新函館北斗を結ぶ新幹線として復活しました。

猛禽類のハヤブサの日本における分布は、九州・四国・本州・北海道と全国区で見られ、対馬・伊豆諸島・小笠原諸島・硫黄列島・佐渡・壱岐・琉球列島・大東諸島などでも見られます。

JAPAN,Today is Space Craft Hayabusa Anniversary,今天是航天器隼鳥週年紀念日

よって特に東日本・北日本での名称と言う訳ではなく、てっきり新幹線はつかりになるものと思っていたのですが、恐らくはやてに対してのはやぶさだったのだと推測されます。

と、ここまで延々と語っておいて今更ではありますが、はやぶさの日は国鉄特急のはやぶさでもJR東日本の新幹線はやぶさでもありません。

2003(平成15)年5月9日13時29分に鹿児島宇宙センターから打ち上げられた小惑星探査機のはやぶさが、2010(平成22)年6月13日に宇宙空間の往復60億kmを7年間の歳月をかけたミッションを成し遂げ、地球に奇跡的な帰還を果たしました。


地球から出発して他の天体へ着陸し、そして地球まで全て無人で帰って来ること自体が世界的快挙でしたが、探査機はやぶさはあの無限に広がる大宇宙で行方不明になりました。

150億円弱のミッション失敗かとの危惧を乗り越え、行方不明から2ヶ月後に発見したものの、新型エンジンであるイオンエンジン4機の内3機が故障するなど満身創痍の状態でした。

大気圏突入までの操舵コントロールは不可能に近く、突入後から着地(着水)までの様々な影響にも懸念事項が山積みな状態でしたが。


プロジェクトチームは最後まで諦めず、JAXAの関係者やNECグループなどチームのメンバーは、相模原キャンパスの管制室を拠点に、通信を試み続けたり4機のエンジンで使える部品を連動させる"裏技"を駆使したりして、すべての難局を乗り切り、はやぶさを無事に地球へ帰還させました。

この偉業から学んだ『あきらめない心』『努力する心』の大切さを伝えていこうと、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の施設に関係した、4市2町(秋田県能代市・岩手県大船渡市・神奈川県相模原市・長野県佐久市・鹿児島県肝付町・北海道大樹町)で構成する『銀河連邦』(本部・神奈川県相模原市)が制定しました。

人のあたたかさを感じたエピソードは忘れもしない、20代前半だった頃に稲荷町交差点で車に跳ねられて、退院した後で中学時代の同級生2人から、何で連絡しなかったのかと叱られた時ですね。

広島ブログ
Please follow the blog.for blog top page.