私鉄の103系と呼ばれた電車の話 その2
毎度ご覧頂きありがとうございます。
今回はKATOの東武8000系の続きです。
今回(といってもすでに半年前になりつつありますがw)入線した東武8000系は4両+2両の6両編成です。
製品としては4+4+2が組めるように発売していましたが、8000系が本線(伊勢崎・日光線)系統で現役だった頃の10両編成というのは、半蔵門線乗り入れ系統を除けば非常に少なく、ラッシュ時に北千住止まりの数本だったと記憶しています。
今回自分が導入した8000系は、時代設定として準急列車が花形運用で、半蔵門線との直通運転が始まったすぐ後位を想定(2005年前後)していることもあって、準急列車でよくみられた6両編成とすることにしました。
特に特定の編成に思い入れがあるというわけでもないので、KATOで設定した8144Fと8539Fです。
プロトタイプが登場後20年位ということもあって実車も保守や改造等で車体や機器類に様々なバリエーションが生まれており、同じ様な4両編成あるいは2両編成でも、その搭載機器は様々なものとなっていました。
一応、モデル化の際はその辺りは考証されたようで、床下の機器及び配置は実際の8144F及び8539Fに即したものとなっているようです。
さて、上記の結果床下は完成品としてはかなり精密なものになっていて、そのせいかKATO製品としてはややお値段も高めになっています。
6両とも全て異なる機器配置となっているので当然ではありますがw
前面はジャンパホースの表現があり、クハ8144とモハ8539は別パーツでジャンパホースが取り付けられるようになっています。
顔のディテール・プロポーションは破綻がなく、思わず手に取るとにやけてしまう製品ですねw
側面はこの通り。
立体的な造形のミンデンドイツ式台車が見事です。
これは8000系でも中期製造車まで見られたものですが、後期に登場したグループはS型ミンデン台車に変更されています。今夏に東上線仕様として発売される後期更新車はその後期車になるようなのでまた楽しみですね。
側面ドアの表現も見事です。マイクロエース製品のものはかなり怪しい感じなのですが、こちらは文句なしです。
更新後でアルミ製の金具押さえで窓ガラスが固定されたものを再現されていますが、これで原型の黒Hゴムも見てみたいところですw
冷房化改造時に追設された方向幕もしっかり表現されています。こちらはステッカー貼り付けで行き先を選べるようになっています。
昼間に30分おきに走っていた「準急 新栃木」にしました。
なお、前面の方向・種別幕は交換可能で、模型の編成としては通常は先頭に出ない8539の行き先はちょっと遊んでしまいましたw
モハの床下です。東武8000系は自然空冷式の抵抗制御になっているため、側面に抵抗器がずらりと並んでいました。
模型でもよく再現されています。
1C8Mのモハ8200と1C4Mのモハ8500で並んでいる抵抗器の数や形状もきちんと作り分けされています。
これが30年位前の製品だと床下は共用だったりしたんでしょうけどねぇ。本当に良い時代になったものです。その分高価になってしまいましたがw
トレジャータウンのインレタを使ってドアステッカーも再現しています。
この時代は注意表記と広告がくっついて貼られていたので、そちらも再現しました。
広告は必ずしも全部のドアについていた訳ではないので、広告ありのドアとなしのドアを表現しています。
この時代には窓にも広告がついていたようなのでインレタを使って再現しました。
優先席表示については実車も半ば透明で目立ちにくいようなので、鮮明なインレタはあえて使わず、製品付属のステッカーを使っています。
新栃木寄り先頭車のクハ8400とクハ8600です。これも床下がしっかり作り分けされています。
2連のクハの8600は電動車の様な機器満載感が楽しいですね!
最後に我が家の東武並びを・・・・
色々揃ってきましたが時代がマチマチなのが難点ですw
こうなってくると原色のスペーシアや、「りょうもう」の200系も欲しいところですねー。
今回はここまで。
次回はほぼ同時期に入線したDD51について書いてみます。
そういえば、DD51も昭和38年登場なんですよねぇ・・・・。すごい偶然の一致だw