民鉄の覇者 東京急行電鉄 95、五島プラネタリウム | 犬と楽器と鉄道模型

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プラネタリウムは早々に文部大臣の許可を受ける事が出来た。
「財団法人天文博物館五島プラネタリウム」として発足するのである。

機器は、西ドイツカール・ツァイス社製のプラネタリウム投影機IV型1号機、当時で約7000万円もした。
この投影機は、1,000Wのタングステン球2個により6.5等星まで約8,900個の星を投影可能だった。

更に、日本光学製のシーロスタット望遠鏡。
15㎝の木辺鏡を使った反射望遠鏡等、当時の最高機器が集められたのである。

そして開館時より番組内容をチェックする機構として学芸委員会が組織されていた。
この学芸委員会の当時の歴代メンバーは、

野尻抱影(作家)
鏑木政岐(東京大学名誉教授)
高瀬文志郎(東京大学名誉教授)
原恵(青山学院大学名誉教授)
日江井栄二郎(明星大学学長)
大崎正次(東京都立九段高等学校教諭)
宮地政司(東京天文台長)
広瀬秀雄(東京天文台長)
朝比奈貞一(国立博物館)
村山定男(国立科学博物館)
藤田良雄(日本学士院院長)

と言うそうそうたるメンバーだった。

1957年、五島プラネタリウムが、東急文化会館8階に開設されたのである。
このプラネタリウムの人気は上々で、東京の新名所として喧伝された。

非常に多くの人が渋谷を訪れる様になり、東急文化会館を中心とした渋谷はこの他、更に多くの商業施設が進出したのであった。
五島の目論見通り渋谷は人で溢れかえり、有数の繁華街となっていった。

 

 

イメージ 1

【東急文化会館】

 


現在、東急文化会館及び五島プラネタリウムは解体されてしまった。
たが、そのスピリットはコスモプラネタリウム渋谷に受け継がれている。

 

 

この記事は2015-05-12
yahooブログにて掲載していました。