その1(№5520.)から続く

今回はAGTの前史その2として、「日本におけるAGT事始め」を見ていくことにいたします。

既に1970年代から、日本のみならず世界でAGTのシステムの開発・研究が活発化しますが、日本でも昭和46(1971)年に開催された「東京モーターショー」でコンピュータ・コントロールド・ヴィークル・システム (Computer-controlled Vehicle System=CVS) という、小ぶりの車両を案内軌条に沿って自動運転(無人運転)させる、AGTとガイドウェイバスの中間のようなシステムが提案されました。「東京モーターショー」開催時は、1/20の模型によるデモンストレーションだったのですが、その翌々年の昭和48(1973)年には、東京都東村山市の通産省機械試験所跡地に全長4.8 kmに及ぶ実験線が建設されるなど、各企業でそれぞれの実験線が建設され開発が進められました。後にこの「CVS」が、昭和50(1975)年から翌年にかけて沖縄県で開催された「沖縄国際海洋博覧会」(沖縄海洋博、海洋博)で役立てられることになります。
しかしこの「CVS」は、その後のオイルショックの出来によってコストが重視されるようになり、列車型のシステムの方が経済性に優れるとして、事実上開発は放棄されてしまいました。とはいえ、その技術まで無駄にされたわけではなく、自動車の電子制御サスペンションなどに生かされています。

日本におけるAGTの嚆矢、「実際に人を乗せて運転するもの」は、昭和47(1972)年に千葉県習志野市にあった遊園地「谷津遊園」に設けられた、アトラクションとしての乗り物でした。この乗り物は、ゴムタイヤを装備した電車であり、案内軌条を中央に配した「中央案内軌条式」で、「VONA」(Vehicle Of New Age=『新しい時代の乗り物』の意)と呼ばれるシステム。このシステムは、日本車輛製造などが中心に開発を進めていました。後年、この「VONA」のシステムによる路線は、同じ千葉県佐倉市のユーカリが丘の住宅街へのアクセス路線「ユーカリが丘線」及び愛知県小牧市の「桃花台新交通」として開業しますが、谷津遊園の園内に設置されたときは、鉄道事業としての路線免許を取得しておらず、あくまで遊園地のアトラクションとしての扱いでした。恐らく、遊園地のアトラクションとして「VONA」を稼働させていたことは、「実験線」であることは勿論、近未来の交通システムとしてのデモンストレーションないし宣伝の意味合いがあったものと思われます。

谷津遊園の「VONA」出現から3年後、博覧会のアトラクションとしての乗り物でありながら、同時に観客輸送にも本格的に供用される、新たなAGTが出現しました。これらはいずれも、上記沖縄海洋博でのことです。
こちらは2種類あり、神戸製鋼所が開発した「KRT」と前述の「CVS」の2種類が用意され、いずれも中央案内軌条式の「VONA」とは異なったシステムですが、これらが博覧会場内の観客輸送に用いられました。これらのうち、「KRT」は側方案内式の軌条となっていて、後に神戸市港湾部に開業した「ポートライナー」と類似した方式となっています。

ここでちょっと「KRT」について触れておきましょう。
「KRT」の特徴は、案内軌条を側面に配した「側方案内方式」。この方式は、「VONA」などの中央案内方式と比べると、軌道幅を広くとる必要がありますが、その構造から騒音対策などがやりやすいこと、軌道を避難経路として利用できること、分岐器の構造が単純なものになることなどが、「KRT」の利点とされています。中でも最大の利点は、路線の条件に応じてステアリング・ボギー台車双方の導入が可能なこと。これらの利点により、日本のAGTにおいては、「KRT」の方式を改良したものが標準規格とされ、現在の日本のAGT路線規格の主流となっています。

さて、沖縄海洋博での2種のAGTは、「KRT」が「KRT線(Expoニューシティカー)」として、南北の会場のゲート相互間を結ぶ基幹輸送施設として、3.2kmの環状線が建設・運行され、「CVS」が「CVS線(Expo未来カー)」として、KRT線同様に1.6kmの環状線を運行するものでした。
特筆されるのは、沖縄海洋博で運行された「KRT線」「CVS線」がいずれも、財団法人沖縄国際海洋博覧会協会が、軌道法に基づき期間限定の旅客運送を行っていたものであったこと。つまり、これら2路線はいずれも「鉄道路線として免許を得て運行していた路線」であるということであり、これら2路線が期間限定とはいえ、日本で初めて鉄道路線として免許を得て運行したAGTということになります。これは、神戸の「ポートライナー」開業に6年先んじています。
また、沖縄県の鉄道としても、戦後の鉄道の復活として沖縄都市モノレール「ゆいレール」が挙げられますが、こちらは開業が平成15(2003)年であり、「ゆいレール」に実に28年先んじて戦後の沖縄の鉄道となったことは、特記しておくべきだと思います。

沖縄海洋博は、思ったほどの観客動員が見込めないまま終わってしまいました。当初見込まれた入場者数は450万人だったそうですが、実際のそれは約349万人と、100万人以上下回る体たらく。昭和51(1976)年1月に閉幕した後は、会場は「沖縄海洋博記念公園」として観光資源化が図られました。沖縄海洋博の目玉だった「海洋生物園」は、終了後も水族館として開設されていましたが、平成14(2002)年に建て替えられ「沖縄美ら海水族館」となっています。
それでは会場のAGTはどうなったのかですが、海洋博閉幕後は運行が停止され、施設は全て撤去されてしまい、「鉄道路線として免許を得て運行したAGT」は、ここで一旦消えることになりました。「KRT」を源流に持つ列車型のAGTは、海洋博閉幕の5年後、神戸で「ポートライナー」として開業、その後も仲間を増やしますが、「CVS」は海洋博閉幕以後、ほとんど顧みられることがありません。これは、単位輸送力が小さすぎることが問題になったものと思われますが、発想としては極めて近い乗り物が、広島県の「スカイレール」といえます。もっともあれは、懸垂式モノレールとロープウェイのハイブリッドのようなもので、本連載で取り上げるAGTとは似ても似つかないものですが。

他方、谷津遊園のアトラクションとして稼働していた「VONA」ですが、昭和57(1982)年の同園の閉園に伴い、撤去されてしまいました。谷津遊園は別に入場者数が減少したとか収益が悪化したとかの理由で閉園したのではなく、当時京成系の子会社による「東京ディズニーランド(TDL)」開業が迫っており、京成グループとしてはTDLの開業・運営にリソースを集中したかったことが、谷津遊園閉園の理由といわれています。
もっともこちらは、沖縄海洋博とは異なり、「VONA」の実用路線である山万ユーカリが丘線の一部開業後の閉園・撤去なので、沖縄海洋博の「KRT」・「CVS」のような悲愴感はありません。

さて、「鉄道路線として免許を得て運行する」AGT、それもアトラクションではなく恒常的な輸送手段としてのAGTは、第一号が神戸の「ポートライナー」です。
次回は、恒久的な実用路線としてのAGT第一号といえる、神戸の「ポートライナー」を取り上げます。

その3(№5530.)へ続く