前回にも書いたものの、今回もこのキハ66・67形の魅力についてもう少し触れたい。

まず、国鉄形気動車独特のいでたちに加え、かなりの強面。山男という感じであり、

屈強なシルエットを誇っている。ダンプにぶつかられても壊れない。そんなイメージだ。

この姿がまず引き付けられる要因だ。キハ40系やキハ58系とは少し違う面構えだ。

そして車内はというと、当時の私鉄特急の設備を先取りするかの如くずらりと並んだ

転換クロスシート。それまでの国鉄形の普通列車としては異例中の破格!

ボックスシートの座席は時代遅れ。と言わんばかりの設備。更にエアコン完備。

都会の北九州を根城に活躍するに相応しく、新幹線から小倉へ降りた乗客に「九州は

田舎だ」なんて言わせはしない。そんな気概すら感じる。

普通列車や快速ではあまりに過ぎた設備である為、急行にも使用された。

当時の急行は普通車に関してはボックスシートであった為、急行をも凌駕していた事に

なる。

そして大馬力エンジンの力強い走り。かなり大きなエンジン音を響かせ、最高速度は95

キロではあるが勾配をものともしない走りである。

しかしながら、この優秀な気動車は15編成で量産は打ち切られ、性能設備面で大きく

ディチューンされたキハ40系として次代の気動車へバトンを渡す。

かろうじて転換クロスシートの車内だけは、後に新快速として鮮烈なデビューを果たす

117系電車へと引き継がれる事になる。

この「山男」も2001年秋を境に「海の男」となり、長崎県都市間輸送に従事。

キハ58系では心もとなかった勾配には適した車両なのだろう。2002年には長崎本線

旧線の本川内駅スイッチバックが解消されているのだ。

こうして20年近くもの間、沿線利用客に親しまれて来たキハ66・67形にも終焉の時が

訪れる。都合47年。半世紀あまりを走り続けて来た気動車も数を減らし続け、引退の

時を迎える。

誕生当初は北九州・筑豊地区の輸送品質向上を主眼に作られたキハ66・67形が、

今度は西九州新幹線開業に向けての、大村線輸送品質向上のために作られたYC1系

に道を譲る形で引退する事になってしまったのだ。

何という皮肉なのだろう。

 

しかしながら、47年という実働期間。まさに「頑丈」そのものを貫き、雄々しき姿を我々

の記憶に残し、表舞台を去る。