みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 

府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という、特別展の訪問記をお送りしています。

 

 
 
「天王寺駅(大阪市天王寺区)」から本題の「阪和電気鉄道」の後身、「JR阪和線」の快速電車に乗り15分ほど。「鳳駅(おおとりえき、堺市西区)」に降り立ちました。


グーグル地図より。

府下二番目の政令指定都市となって久しい堺。広大な市域の中でも、この鳳付近は大阪湾岸に近い、南西端の交通の拠点に当たります。



阪和線沿線は、1994(平成6)年9月の「関西空港」の開港後、「大阪環状線」へ直通する「関空・紀州路快速」が終日にわたって設定されるなど、交通利便性が非常に高まりました。

 
目指す「弥生文化博物館」最寄りの「信太山駅(しのだやまえき、大阪府和泉市)」には快速電車は停車しないので、ここで各駅停車に乗り換えます。スムーズな緩急接続です。

 

この「鳳駅」からは「東羽衣駅(同高石市)」へ向かう支線が分岐しています。 
正式には阪和線の一部に当たるのですが、便宜的に「東羽衣線」と呼ばれています。
 
 
「阪和電鉄 沿線御案内(昭和10年または11年発行)」より。ブログ主所蔵。
では、少し寄り道をして、この「東羽衣線」の様子を見てみることにします。


案内にあったこの頃、すでに「東羽衣線」は開業から5年を経ていました。
ただし、現在の「東羽衣駅」ではなく「阪和濱寺駅(はんわはまでらえき)」としてです。
高架単線の「東羽衣駅」を望む。


再び、グーグル地図より。
現在の「東羽衣駅」に隣接して「羽衣駅」が存在していることがわかります。

「羽衣駅」は、会社創立以来の最大のライバル「南海電車」の駅です。
ということは「阪和濱寺駅」の開設の理由は、海側の旧紀州街道沿いに古くからの街々を走る南海と、人口希薄だった山側をひたすら直線で走る阪和との連絡を図ったものなのか?と思うのですが…


またも、先取りして博物館の展示より。
「阪和ニュース」第62号、1937(昭和12)年8月。「阪和濱寺海水浴場」についての記事。
阪和電気鉄道は、沿線にまつわる行楽や、ダイヤ改正などの情報を事細かに、このように月刊誌にして発行していたようです。

現在では、埋め立てによって大阪湾岸の海岸線は遠ざかっていますが、阪和が開業した昭和初期の「浜寺」は、大阪市内からいちばん近い海水浴場として、大変な人気を博していました。


それに目をつけた阪和が、内陸部の「鳳駅」から支線を建設、この地に「阪和濱寺駅」を設置して「阪和濱寺海水浴場」への旅客誘致を画策した、というのが理由でした。


再び、グーグル地図より。
「濱寺海水浴場」は現在「浜寺公園」となっている。昭和30年代からの大規模な埋め立てにより、海岸線は数キロ先まで退いた。

ただ、この「東羽衣駅」に近い浜寺には、すでに南海が海水浴場を営業していたために、両社の間では諍いが絶えなかったといいます。

これについては、毎度おなじみ「Wikipedia#阪和電気鉄道」の項より。

浜寺海岸の抗争 
(阪和・南海)両社は、大阪近郊の人気行楽地・浜寺海岸でも激しい角逐を繰り広げた。鳳から分岐する阪和線東羽衣支線は、浜寺への行楽客輸送をも狙って建設された路線である。


海水浴シーズンになると、阪和・南海両社とも難波・天王寺の各ターミナル駅から臨時列車(特に阪和のものはノンストップ運転だった)を設定し、往復割引の乗車券も販売した。

そして浜寺海岸では、両社社員による熾烈な呼び込み合戦が繰り返され、ついにはお互いの社員による取っ組み合いの喧嘩沙汰にまで至ったという。



当時、阪和・南海両社の間で、抗争の火種になった羽衣駅北側の踏切。下り線はすでに高架化、上り線の工事が進行中。2018年9月撮影。

当時、阪和電気鉄道の阪和浜寺駅(現、東羽衣駅)から浜寺海岸へ行くには、南海本線羽衣駅近くの踏切を横断する必要があったが、これに対して南海ではわざと同駅を発車・通過する電車をノロノロ運転させ、踏切を「開かずの踏切」にさせるという、いささか陰湿な手段まで繰り出したともいわれる。


この抗争の背景には、阪和と共同で「阪和浜寺海水浴場」を開設した大阪朝日新聞社と、南海と共同で「大毎浜寺海水浴場」を開設した大阪毎日新聞社との確執による代理戦争的なものもあった。「阪和ニュース」第26号 1934(昭和9)年8月、付録ページより。

そういったことで、大阪・和歌山間の主導権を握ろうとした阪和・南海両社のライバル関係というのは、当時の大阪の主要新聞をも巻き込んだ、実に激しいものだったことが窺えます。


その、遮断機が降りた踏切を「関空特急ラピート」が難波へ向け、颯爽と駆け抜けて行きました。しかし、現在では信じられないような話しです…



ですが、現在は両社とも親切に乗り換え案内を行っています。殊に南海の方は車内放送では「JR鳳ゆきはお乗り換えです」といった具合で、往年のわだかまりなど微塵も感じません。


付近には文教施設が集積していることや、山側の「阪和線」と海側の「南海本線」とを結節している唯一の駅ということから、この「鳳⇔東羽衣⇔羽衣」ルートの旅客流動は多いといいます。鳳、羽衣両駅にて。


くだんの踏切も、先月22日の南海本線上り線高架化完成により、ついに廃止になりました。
戦前に繰り広げられた、数々の怨念?が込められたエピソードが、80有余年を経て、これで完全に歴史の1ページになった瞬間だとも言えましょうか。

次回に続きます。
今日はこんなところです。