みなさんこんにちは。ガサキ鉄道です。突然ですが秩父鉄道の観光スポットといえば何が浮かびますか?
長瀞と答える人が多いと思います。川下りとか、楽しそうですよね。三峰神社と答える人もいるかもしれません。鉄道ファンは、SLパレオエクスプレスと答えるかもしれません。(僕は3つとも行ったことはありませんが)
僕は、秩父鉄道の近くでは、浦山口の鍾乳洞に行ったことがあります。
そんな秩父鉄道ですか、残念ながら現在東京都から直通する列車は一つもありません。こんなに便利なのになぜ直通がないのでしょうか。実はかつて、3つのルートから直通が走っていました。今回は、その衰退の歴史と、理由についてまとめます。
直通に関係ある駅をまとめて簡単な路線図をつくりました。読む際の参考にしてください。
1.東武鉄道
秩父鉄道は、東上線・伊勢崎線の両方と繋がっています。そのため、現在も転属や検査のために重用されています。
いずれも旅客列車は臨時を含みここ20年ほど走っていません。しかし、その中で東上線は1992年まで定期直通列車がありました。
もともと東武鉄道と秩父鉄道には関係がありました。かつて秩父鉄道の熊谷〜羽生は東武鉄道出資の北武鉄道によって運転されており、のちに秩父鉄道になってからも伊勢崎線を利用して両社が連携し、石灰生産で成功していました。
東上線と直通が始まったのは1949年。特急と準急(詳細は不明)によるものでした。特急列車は、フライング東上号、みつみね号、うらやま号、ちちぶ号、銀盤号、ながとろ号の6種類がありました。
フライング東上は、かつて存在した行楽列車です。1949〜1952年までは通勤車による運行で、1952〜特急車による運行となり、1954〜は特急料金も設定されました。しかし、乗車率の低下から1956年に特急料金廃止、1962年に日光線車両不足解消のために通勤車化されました。その後すぐ廃止されます。この列車は多くが寄居止まりで、そこから秩父鉄道に乗り入れて長瀞に行く列車は一部だったようです。しかし、停車駅や頻度などの詳細な情報は分かりませんでした。
みつみね号は、池袋から三峰口まで行く列車でした。1950年代に急行として登場した後、しばらくして特急となりました(変更年不明)。ちちぶ号とうらやま号と銀盤号も同じです。当初はかつての朝霧号のように、一列車ごとに別の愛称を付けていました。その後はみつみねにまとめられます。ながとろ号は、途中の上長瀞または親鼻(長瀞駅の近く)で終点となる列車です。車両はいずれも通勤型の8000系です。
しかし、利用者は少なく1973年に平日便がなくなりついに1983年に消えました。秩父鉄道直通は小川町発の普通列車で継続されます。
ですが、西武鉄道への対抗目的で1989年に再開します。
が、1992年に廃止されました。理由は秩父鉄道が東武鉄道とは異なる保安装置(ATS)を導入することで、専用車両の確保が難しくなったからです。
以降旅客列車が運転されることはありませんでした。
その後甲種輸送の牽引目的で8000系の一部に秩父鉄道の保安装置がつきます。ところが今度は東上線の池袋から小川町までがATCという別の保安装置に変更され、秩父鉄道対応車の8000系が池袋に入れなくなりました。現在東上線の8000系は一部編成が小川町から寄居までの短い末端部で活躍していますが、秩父鉄道対応車は定期運用を終えて事実上甲種牽引専用車となっています。。
これで対応車もいなくなり、寄居では渡り線だけが静かに佇んでいます。
寄居駅の渡り線
2つ目は意外なJRです。JRと秩父鉄道は、熊谷駅付近(2001年渡り線休止)・三ヶ尻貨物駅付近(2020年連絡線廃止)・寄居駅で繋がっています。
その中で、かつては寄居で八高線、熊谷で高崎線直通していました。しかし、直通していたのはいずれも臨時列車でした。充当車両は115系と211系です。E231系も準備こそされていましたが、使われませんでした。
ここ20年一度も運転されておらず、熊谷の渡り線も休止状態ということから、おそらく今後はないでしょう。
↑赤色で囲った部分が熊谷の渡り線
3.西武鉄道
最後は西武鉄道です。この鉄道は現在も直通を続けていますが、東京都には入りません。当初から秩父鉄道と連携することを前提に建設されていました。
直通は1989年に始まりました。直通列車は西武4000系と西武101系を使用し、池袋から横瀬までは8両で、横瀬から先は前4両が次の西武秩父でスイッチバックをして三峰口に向かい、後ろの4両は西武秩父ではなく秩父鉄道の御花畑駅は向かったあと野上駅に向かっていました(前後逆のケースもありました)。
西武秩父駅の横をかすめて御花畑駅に向かう長瀞行き。
種別は西武線内が快速急行(のちに池袋方面が急行に変更)で、秩父鉄道線内は各駅停車(当初は普通列車)でした。
(秩父鉄道浦山口駅にて)
西武秩父線には他にも池袋発の急行や準急がたくさん運転されていました。
その後、直通区間は野上から寄居に伸びました。
1989年に秩父線内の急行や準急が廃止されると、この秩父鉄道直通列車が特急以外で池袋から秩父へ直通する最後の列車となりました。
しかし、2020年に池袋から飯能は始発駅が変更され、種別は各駅停車に変更されてしまいました。代わりとして土休日に西武秩父から池袋方面のみの片道で快速急行が運転されますが、それと特急以外の池袋直通は無くなりました。
廃止になった理由として最も大きいのは、ドアの関係です。西武鉄道の車両で秩父鉄道の保安装置を搭載しているのは4000系のみです。この4000系はドアが2つしかないため都心部でホームドアの設置をする妨げになります。また車内がクロスシートのため混雑に対応することは困難です。他にも秩父鉄道はICカードに対応していないことから料金計算が面倒になることもあります。
はじめの2つに関しては4000系に変わる秩父鉄道直通車両を準備すればいいと思うかもしれませんが、2000系や101系がまだ残っている中で4000系を置き換えるとは考えられません。新型車両を作るにはそれなりの需要が期待できなければなりませんので難しそうです。
最後の1つに関してですが、秩父鉄道が現在ICカードに対応させるための工事を行っており完成する予定日も決まっています。そのためこちらはすぐにでも何とかなりそうです。
まとめ
まとめると、秩父鉄道に直通する列車が少ない1番の理由は保安装置のことだと言うことになります。ICカードについては今後対応する予定があり、車両も保安装置さえ問題なければ普通に使えます。秩父鉄道の沿線には観光地がとても多く都心からの直通を望んでいる観光客も多いと思います。直通列車が減ったのは残念ですがしばらくは対面乗り換えや徒歩での乗り換えに頼ることになります。僕としてはまたいつか東京都内から秩父鉄道に直通する列車ができるといいと思うんですけどね。ということで今回も読んでいただきありがとうございました。
撮影:CoolpixW100
熊谷駅の渡り線の写真を除き全て自分で撮影。熊谷駅の渡り線はAppleのマップアプリより。
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