新幹線の乗り組み体制の話 | 鉄道きさらんど

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https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000041076.pdf

この事象で思うことは、車掌に運転を替われなかったことに驚いた。今は運転士1名乗務だが何かあった時のために車掌には必ず運転士経験者を1列車1名のせているというようにきいていたが実際は運転室で前方を見守っていた車両は運転免許を持っておらずハンドルを扱えなかったようだ。(TVニュースより)

 

『「証言」日本国有鉄道04 東海道新幹線1962-1987』(イカロス出版)によれば、「今は運転士1名乗務ですが、車両に必ず運転士経験者を1名入れているようです。これは運転士2名時代の名残で何かあったら対応できるようにしているわけです。」(112p)とある。この本が刊行されたのは2014年だが、その後は運転士経験者を車掌にを入れなくてもよくなったようにJR東海の考え方が変わったのだろうか。

 

国鉄時代は新幹線が開業して以来2人乗務だった。これは国鉄当局は新幹線開業当初から1名乗務にしたかったようだが労組が反発したからという理由が知られているが、具体的には中村信雄著『新幹線開発百年史』(成山堂書店)によれば乗務員の運用の関係もあって1名でいいという国鉄に対し組合は「実際に乗務員の仕業をつくり、要員をはじき出し、公労委(公共企業体等労働委員会)に提出」(255p)して「公労委の金子委員長は「組合は具体的な資料でできると証明しているが、当局委は具体的な資料が何も無いではないか」と叱責」(255p)した結果2名乗務になったと述べている。それでひかりは運転士2名と添乗検査掛1名、こだまは運転士1名、検査掛1名という事になったらしい。(国鉄時代は運転士と車掌の仕事がはっきり分かれているから車掌に運転をかわってもらえなかっただろうが検査係は運転士免許を持っていたらしい)運転士は下りは名古屋、上りは静岡で段落ちし検査掛は通し乗務だったらしい。

 

それが運転士1名乗務体制になったのは自分ははっきりと知らないが、100系が200系譲りのモニタリング装置を搭載していたのは省力化が目的だったので、100系がデビューして増備が進み国鉄がJR東海にかわってから1名乗務になったと考えてよさそうだ。

 

6/16追記

東海道新幹線が運転席での2人乗務から1人に乗り組み体制が変わったのはFNNの記事によると91年から。

 

やっぱり、1人乗務を睨んでモニタリング装置を搭載した100系の増備が理由といっていいだろう。ただ0系は引き続き1人乗務だったんではないだろうかと思うが…となると東海道新幹線の全列車の運転士が1人乗務になるのは0系が引退した99年以降かもしれない。