勇気づけの嵐
ベストセラー書「嫌われる勇気」で大ブレークを果たしたアドラー心理学では、困難を克服する活力を与える「勇気づけ」をとても大切なものと考えています。
本ブログは、夫婦関係、子育て等の困難から救われた自らの経験を活かす為、幸福を目指すこの心理学の案内役となり、各種ワークショップやカウンセリング等への橋渡しができればとの思いでスタートしました。
また、勇気づいた人の象徴的存在である嵐の活動、旅や趣味の世界等についても合わせて綴っていますので、同好の方にお楽しみ頂けたらと思います。
巻き起こせ!
勇気づけの嵐
<重要なお知らせ>
【記事再掲載のご案内】
本ブログに移行して来る前の記事も改めて再掲載して行く事にしました。
こちらの記事一覧に加わって行く事になります。
2017年6月1日の記事からからボチボチやってます。
今回、以下の記事を併合しました。
<日替り記事>
【ご近所様】
鯉・亀食堂。
【愛聴習慣】
前回に続き歪み特集。
ハープとボーカルの歪み具合が凄いパパ・ライトフットです。
究極のトレイン・ピースですね。
<シリーズ・勇気づけの暮らし・44>(復刻)
ウチのミニドックスくんには留守番をお願いし、生パラドックス等を期待して、家族ウチ揃って、名古屋最終日の、嵐LOVE魂に参戦して参りました。
グッズ購入後に時間を潰した隣接のイオンでは、商魂の嵐です。
ポッキーの日を前にして、デビルニノさんも貢献されてました。
開場前から、コスプレチックなファンが、あちこちで盛り上がり、こちらもテンションがMAXに近づきつつ入場です。
ネットを外したバックネット裏の超ナイスビューです。
札幌、国立、京セラと、地元に近づいて来るに従い、席も演者に近づいて来ていて、感謝カンゲキ席嵐です。
隣も同じ構成の家族連れさんでしたが、「怪物くん」コスプレお父さんにはびっくり。
私もドラマ「鍵部屋」を意識して、えんじ色カーディガンと黒縁伊達眼鏡のミニコスプレしましたが、完敗です。
ステージ配置は従来と大分変わってましたが、潤くんのアイデアも活かされてるんでしょうね。
オープニング曲は予想通り「愛を歌おう」でしたが、最後の締めも感激でした。
大ちゃんソロも、目の前のステージで魅せて頂きました。
ニノさんの母上ソロは、やはりギター弾き語りでしたね。
さて、「FUNKY」では、たった一曲でも、振りを覚える事の大変さを体感しましたよ、相葉さん。
でも、4万5千+5人で踊る一体感はハンパなかったです。
MCでは、大野さんから、来年の「鍵部屋」のロケが名古屋でも行われてた事が明かされました。
美術館設定で、階段を登り降りされたとか。
謎解きを残して頂き、有り難うございます。
(後日、豊田市美術館と判明。)
前にも聴いたと思いますが、翔くんの最後の挨拶で、「ここにいるのは味方ばかり。」
しみじみ、芸能界の大変さを考えさせられました。
大ちゃんは、「いろんな人、仕事の人がいるんだなあ。」と良い意味で言ってましたが、隣のおじさんの事か???
なにせフロートが目の前を通ったので、向こうからもナイスビューの筈。
ダブルアンコールでは「感謝カンゲキ雨嵐」に続いて「マイガール」でハモらせて頂きました。
本当に、愛、感謝の素晴らしい場、有り難うございました。
(続く)
<買収の旅・1>
新シリーズ「買収の旅」です。
予めのお断りですが、画像の方はところどころお借りしたものも掲載させて頂きます。
さて、近年では国鉄の分割・民営化とかローカル線の第三セクター移行と言う、鉄道事業者に関わる大きな動きがありましたが、長いスパンで見ると、それ以前にもこの様な大きなうねりが繰り返されています。
国による鉄道会社や車両等の買収が本シリーズのテーマです。
さらっと振り返ってみましょう。
首都圏通勤輸送の要、「まあるい緑」の一部や「まんなか通る」の国鉄路線が、かつて私鉄としてスタートした事をご存知でしょうか?
山手線は東北本線等と同じ日本鉄道、中央線のお茶の水-八王子間は甲武鉄道だったのです。
国鉄に於ける各車両の始祖は基本的に国によって発注されたものですが、例外があります。
関西鉄道の蒸気動車と甲武鉄道の電車ですね。
気動車や国電の始祖が買収車だったと言う驚愕の事実!
その初電車は廃車後、信濃、佐久、三河、南薩の各鉄道に、電装解除して客車として再譲渡されるのですが、信濃鉄道に入った車は、この路線が国有化される前に松本電鉄に再譲渡され、そこで奇跡的に保管されていたのを現在大宮鉄博で拝めると言う巡り合わせ。
関係各位に感謝ですね。
さて、銀行や華族等が出資していた日本鉄道。
その壮大な名前が示す様に、予定路線には九州までの途方もない範囲が含まれていました。
しかし実際には、関東・東北地方を中心に先ずは高崎線、赤羽線、山手線西側、そして幹線となる東北本線に当たる線区から開業しています。
その時、建設資材を運んだ善光号(1290型)も大宮に鎮座。
鉄道の有用性が国家的に認識され、政府の力で新橋-横浜間等にて産声を上げた黎明期でしたが、その後の拡張については、官業か民業かのはっきりとした方針がなかったので、西南戦争後の政府の財政枯渇もあり、日本鉄道の会社設立は容易に許可されました。
しかし、当初は、営業以外の業務に国が大きく関わり、官鉄予備軍と言った様相でした。
概ね海から離れたルートを選択していますが、東北本線では、八戸回りで青森までの海沿いルートに軍が危険だといちゃもんを付け、現・花輪線ルートを主張しました。
しかし、あくまでお金を出す強さで、八戸ルートで建設されたのです。
軍としては、板谷峠と言う難所を含み、海とほとんど接しない官設の奥羽本線でリベンジするんですが。
(続く)
<鉄道動画集>
YOU TUBE「スヌーピー1」からご覧下さい。