1993年7月19日の撮り鉄日記
(この日記は1993年7月19日の内容だが、ブログ投稿は2021年5月29日)
この日は、前日の夜、23:30頃に、新宿駅の埼京線のホームの北側の先端で、
桶川のテツの友人、オッペ氏と待ち合わせ。
そして、オッペ氏と合流したあと、新宿23:50発の、夜行急行『アルプス』で松本へ向かった。
(あずさ回数券を使用)
[ネガフィルムよりキャプチャー]
↑松本駅にて、自分達の乗ってきた夜行急行『アルプス』を撮る。
183系だった時代。
甲府・松本夜行で来たほうが安いのだが、SL信州アルビー号の送り込み回送に間に合うために、
わざわざ急行アルプスで行ったのだ。
松本駅から歩いて、途中、デイリーストアーに寄って、朝食にするものを買って、
村井~南松本の間の、田園風景の撮影地へ行った。
(当時は平田駅は存在していない時代)
7kmくらい歩き、撮影地で、さっきデイリーストアーで買ってきた食料を食う。
まず、EF64の重連単機回送が来た。
[ネガフィルムよりキャプチャー]
169系 普通列車
[ネガフィルムよりキャプチャー]
この塗装だとパッと見、115系と間違えそうになるが、側面のドアを見るとわかるように、急行型である。
SL信州アルビー号の送り込み回送
[ネガフィルムよりキャプチャー]
返しはどこで撮るか?なんて考えながら歩いて移動し、
他の踏切付近に着いたとたん、EF64-42牽引の12系和式客車『白樺』が通過してしまった。
鉄道ダイヤ情報誌を見ると、その『白樺』は掲載されていた。
それなのに、俺も、オッペ氏もそれを見逃していたのだ。
(ノ∀`)アチャー
少し移動した所で、上り列車側を狙った。
特急『あずさ』
[ネガフィルムよりキャプチャー]
さっきのオバチャンは、村井駅まで徒歩20分くらいと言っていたが、実際に歩いたら40分くらいかかった。
みどり湖で降りて、だいぶ歩き、東塩尻のスイッチバック(元 信号所)の所へ向かった。
歩いている途中、
俺の顔のニキビが潰れて、
オッペ氏が俺の顔を見て「顔から血ィ~出てる」とか言っていた。
さて、東塩尻のスイッチバック(元 信号場)へ行ってみた。
上り勾配なので、すごい煙が期待できるということで、テツがいっぱい集ったようだが、
この程度の煙だった。
ことあと、歩いて塩尻へ
塩尻のイトーヨーカドーの中のファミールでオッペ氏と晩飯。
このあと、オッペ氏はみどり湖でマルヨし、明日も撮影すると言うが、
俺は帰ることにした。
塩尻18:29発の『あずさ32号』に乗って、あずさ回数券を使って帰った。