以下、全くの絵空事です。
レイアウトの時代設定は昭和40年代初頭ですから、その頃の話だと思ってください。
少しまとまった休みがとれたので、連れはないが、内田百閒を真似てみることにした。
決まった目的地はない。このところ、寒い日が続くので九州辺りへ行ってみようか。
行先の自由がきく周遊券を購入し、西へ向かう夜行列車に乗る。
通り過ぎる駅のホームに勤め人の群れが見える。
数日の後、私も群れの一人に戻る。つかの間の非日常を堪能しながら飲むビールがうまい。
酔いのせいか夜が短かった。機関車を付け替える衝撃で目が覚めた。
右手に海が見える。九州に来た。
終着駅が近づく。時刻表の索引地図を開く。さて、どこへ行こうか。
それにしても、よくぞここまで線路を敷いたものだ。
筑豊は、まるで毛細血管じゃないか。石炭を積んだ貨車が行き交う様が目に浮かぶ。
他の地域にも、本線から枝分かれした支線が多い。
そんな支線の先に聞き覚えのある町を見つけた。
潜伏キリシタンの血を引くという教師に、大学で哲学を教わった。
確か、彼の生まれ故郷だ。教養課程の教師で、我が師というほどではないが、印象に残る教師だった。
「信仰を押し付けられることもなく、伸び伸びと育てられたが、ご先祖が信仰を守ってきた気持ちはよくわかる。翻弄されるだけの自然災害や抵抗できない藩の横暴に耐えながら生きていく術が、信仰だったのだろう。現実が厳しいほど信仰の喜びは深く、信徒の団結は強くなる。だからこそ、過酷な弾圧にも耐え抜いたのだろう。俺は、そんなご先祖たちを尊敬しているよ。」
いつか彼が話してくれた。
そんな人達が生きた土地を見たくなった。
乗換駅には、大正生まれの機関車と、草臥れたダブルルーフが待っていた。
山の麓に広がる刈田が美しい。
ポイントを過ぎる度に古い座席が軋む。列車は終着駅に入っていく。
その刹那、右手に城が見えた。二重の櫓が立っている。
ここは城下町だったのか。
ホームを歩きながら周りに目をやる。十字架を屋根に載せた古びた教会が見える。
前を行くのは地元の人たちだろうか。駅員と土地の言葉を交わしている。
私は、列の最後に周遊券を差し出した。
駅員は、驚いたような顔で券面を見つめ、やがて得心したように頷いた。
それから私に視線を移し、はにかんだ笑顔を見せ、わずかに首を垂れた。
私も会釈を返す。
「この町には城があるんですね」
「ええ、元々は城下町です。すっかり寂れてますけどね。藩が開いた港の方が大きゅうなって、こっちは汽車も通らんやったとです。そいでん、やっとかっと、ここまで軽便ば引いて、そいが国鉄になったとですよ。そいけん駅舎もこげん小さかとですたい。」
「そうだったんですね。ところでこの町に旅館はありますか」
思わず聞いた。
「広場の向こうに看板の見ゆるでっしょ。面白かことは何もなかとこばってん、私は良かとこち思うとるです」
今夜はこの町で過ごすことにしよう。
私は駅を出て、右手に見える城跡に向かって歩き出した。(つづく)
すみません。舞台設定を話し終えるまで、何回かこの調子で続きます。
ご訪問、ありがとうございました。