我が国でも有数の豪雪地帯であり、世界的に見ても人々が常時生活を営んでいるところではトップクラスに入るといわれるほどの豪雪地帯である信越国境。

 JR東日本信越本線(当時)妙高高原付近にて。

 かなり老朽化が進んでいたとはいえ、特急型車両の普通列車は長く乗車するには乗り得気分を味わえました。


 かつて特急「あさま」として走っていた頃には見向きもせずに通過していたスイッチバック駅の二本木駅にも丁寧にスイッチバックして停車します。




 JR東日本からえちごトキめき鉄道への移管を間近に控え、ホームは駅名標などがJRからトキ鉄のものに取り替えられていました。




 6年後の初夏…既に189系はすべて廃車されてここを通ることはなく、JR東日本から移籍したET127系がスイッチバックして停車していきます。








 再び6年前の冬景色に戻ります。
 新井駅で「妙高1号」から降りて後続で新井始発の新潟行快速「くびき野3号」に乗り換えました。
 秋田総合車両センターで大胆な改造を受けた通称「土崎顔」の3000番台R編成でした。
「くびき野」の485系は新潟車両センター所属。特急「北越」や「いなほ」にも使用されるため1号車は半室グリーン車化されたクロハ481が連結されていました。
 快速とはいえ、直江津までは先行する「妙高」同様各駅に停車します。この列車が「本気」を出すのは日本海側に出た直江津~新潟間です。
 直江津駅を出てからの停車駅は柿崎・柏崎・宮内・長岡・見附・東三条・加茂・新津のみ。宮内駅以外は特急「北越」と停車駅が同じで、位置付けが「普通列車」である快速列車なので最高速度が抑えられているぶん同区間での所要時分は「北越」より10分ほど余計に要していましたが、車両も同じ車両だったことや停車駅が特急列車並みに少なかったのでので乗り得感があった列車でした。


 かつて信越本線の優等列車の多くは新井駅を出ると高田駅に停車して直江津駅方面に向かっていました。北新井・脇野田・南高田は小さな駅だったのですが、脇野田駅は北陸新幹線との接続駅として破格の「昇格」を果たして「上越妙高」と駅名も改められました。あの小さな駅の面影はどこにも見当たりません。

 ここでピアノを弾いたら気持ち良さそうです。
 バイエルから始めなきゃ❗

 あの小さな脇野田駅が北陸新幹線の駅に生まれ変わり、在来線特急「しらゆき」の発着駅としても生まれ変わりました。
 富山・金沢方面から新幹線を使ってきた乗客はここで「しらゆき」に乗り換えて長岡や新潟方面へと向かうことになります。
 かつて急行列車も停車しない小駅が新幹線停車駅となった例は上越新幹線の浦佐駅にも見られるものの、ここまでの変貌ぶりは浦佐以上です。

 そして観光列車越乃Shu※Kuraの起点駅でもあります。


 6年前の直江津駅。新井までの深い積雪が嘘のように平野部で海に近い直江津駅には積雪は見られませんでした。
 北陸本線を金沢からやってきて信越本線に入って直江津の先の犀潟から北越急行に乗り入れる越後湯沢行の特急「はくたか」を先行させるため10分ほどの長い停車時間があります。
 当時はまだ名物の「鱈めし」を販売する立ち売りも健在でした。
 金沢からやってきたJR西日本の681系による特急「はくたか」。北陸新幹線金沢開業で廃止され、列車名は新幹線に引き継がれますが、車両は金沢から名古屋を結ぶ特急「しらさぎ」に転用されるため帯の色も変えられていました。現在では681系や683系をはじめJR西日本の車両を直江津駅で見ることはできませんが、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインではJR西日本のローカル列車用気動車をベースとしているのでかつての名残は少し感じられます。


 かつて信越本線と北陸本線のジャンクションとして日本海縦貫線の要衝だった直江津駅。
 多くの優等列車が発着していた長いホームと広い構内は健在ですが、かつてのように多くの旅行客で賑わうことはなくなりました。
 待合室を利用した学生専用の自習室も設けられており、このような部分でも長距離旅客が完全に北陸新幹線に移行したことを物語っている気がします。