京都鉄道博物館・梅小路機関車庫に静態保存されているC59-164号機。
糸崎機関区にて休車となり、奈良運転区で一時保管期間を経て、梅小路機関車館へと移されました。
仕様は糸崎機関区時代のまま今に至るので、164号機ならではの擬装も搭載されたままとなっています。
夕陽に照らされたC59164と50系 オハフ50の姿は、季節は秋なのに、蝉時雨が聴こえる夏の夕暮れの匂いのような、刹那的な侘寂の切なさと感じます。
そしてSLスチーム号の運転を終えて、給炭線へ入ってきたC622と。
撮影は2019年の秋なので、来館者は誰もマスクをしていませんが、そんな自然な光景に違和感を感じてしまうのは、このコロナ禍があまりに長期となっているが故の不自然です。
京都鉄道博物館によるC59164の説明板には『1941(昭和16)年から1947(昭和22)年にかけて173両か製造された大型の旅客用蒸気機関車で、最後のバシフィック機(軸配置2C1)です。
東海道本線が全線電化されるまで『つぱめ』『はと』『さくら』『かもめ』などの特急列車をけん引し、山陽本線などでも活躍しました。
本機は梅小路機関区と糸崎機関区に配属されました』と紹介されています。
糸崎機関区所属機 の数機には、セノハチでシェルパの運用をこなす為に、自動連結器解放装置が装備されていましたが、この164号機はその中の1機でした。
瀬野機関区へ配属されていた後押し機関車 8350形・8450形・3300形・2900形・9600形・D50・C52・D51・D52・EF59・EF61・EF67の内、現存しているのはEF59とEF67のみ。
EF67は100番台がまだ定期運用中ですが、走行中に強制解放は行わないので、自動連結器解放装置は装備されていません。
電気機関車は電気回路で制御するシステムですが、蒸気機関車は自動解放装置を備えた密着自動連結器ではなく、蒸気圧と油圧で作動する原始的なシステムで、C59164のそれは現存する唯一の自動連結器解放装置です。
運転席で操作すると、矢印のシリンダーからバーが伸びて、連結器解放テコを押し上げることによって、停車することなく走行中に連結器が外れます。
ところで、このC59164はもう1つ面白い存在となっていて、動輪が164号機のオリジナルのものではありません。
実は第1動輪と第3動輪がC62-49号機のもので、動輪には刻印も打ってあります←(確認できましたが写真は今回ありません)
C6249と言えば常磐線の女王で、平機関区に所属しており上野口の優等列車を数多く担当し、特急ゆうづるの写真はよく見かけ、尚且C62形のラストナンバーとして有名です。
1967(昭和42)年のダイヤ改正では、電化される前日の9月30日に下りの急行みちのくを牽引し、改正初日の10月1日には常磐線SL最終列車として、上りの急行第1十和田を牽引して有終の美を飾りました。
廃車後は静態保存が考慮されて、しぱらくは休車扱いで保管されていたものの、結局解体されてしまったのですが、まさかこんな所で生きていたとは驚きです。
C62は以前の記事で紹介した通り、終戦の混乱期にC59の足回りへD52のボイラーを搭載した形式なので、C59とは動輪は共通パーツですが、どういった経緯でC59164がC6249の動輪を履いているのか・・・・。
いずれにせよC621・C622・C6226に続く、京都鉄道博物館のもう1つのC62保存機と言えるのかも知れません。
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成田空港、行ったことある?

成田空港は1978(昭和53)年5月20日に千葉県の成田市に開港しましたが、日本初の空港は1911(明治44)年に埼玉県に建設された陸軍所沢飛行場で、基地ではなく民間の空港だと、その翌年1912(明治45)年に開港した千葉県の稲毛飛行場です。
2021(令和3)年現在も現存している現役だと、1917(大正6)年に建設された岐阜県の各務原陸軍飛行場で、現在は航空自衛隊の岐阜基地となっています。
そして一番新しい空港は、2013(平成25)年3月に移転開港した新石垣空港のようです。

余談ですが国産飛行機が初フライトをしたのは稲毛飛行機が開港した1911(明治44)年で、5月5日で110周年を迎えたそうです。
写真は海軍の零式艦上戦闘機 = 零戦六二型ですが、初フライトは1939(昭和14)年4月(一二試艦戦)で、今年で零戦誕生82周年だと言うのに、戦闘機としてではなくSports air planeとしては、今でも世界最高機の1つだと評されているそうです。
羽田空港は何度も利用したことがありますが、成田空港には訪問すらしたことが、ないんですよねぇ。