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松江、スポーツジムの風呂

これは、2013年7月の話。
※ 2021年、外出自粛をきっかけに過去の一人旅を振り返るシリーズです。時系列は順不同で気まぐれにお届けしています。
まとめはこちら「旅行ではない旅の記録」

横浜→沼津→静岡

この頃はフリーターで曜日に関係なく働いていたので、「休日=ほぼ旅」という生活であった。

これらの写真はおそらくガラケーで撮ったものだと思われ、なかなかひどいのもあるけど大切な記録なので載せておきます。

【夏の青春18きっぷ】で鳥取へ(ちなみに【冬の青春18きっぷ】で鳥取へ、は、こちら↓)

05:48 横浜
07:32 沼津
08:30 静岡

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浜松→大垣→米原→京都→園部→福知山

09:42 浜松
12:12 大垣
12:50 米原

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浜松行きは乗り換えがギリギリすぎて撮影ならず。1本でも乗り遅れたら今日中に目的地に着けないかもしれない。つまり乗る電車すべてが「終電」。それが鈍行の旅なのだ。

出ました!「新快速 姫路ゆき」!!今回は京都で乗り換え。

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14:07 京都
14:46 園部
16:10 福知山

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城の崎にて

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17:42、城崎温泉駅で途中下車。
20:08発に乗れば鳥取に着けるので、2時間ほど散策することに。「柳の感じが倉敷みたい」との当時の短絡的な感想あり。

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朝からずっと電車の冷房に耐えていた体を温めに、「城の崎にて」に名前が出てきた「一の湯」に入る。蝉時雨の露天風呂で湧き出る湯を見つめる。

男湯から聞こえてきた親子らしき会話で、どうやらカニが出没したらしいことを知る。

城崎温泉→鳥取

20:08発の浜坂ゆきは30分くらい遅れていたが、「鳥取行 連絡」と表示されてるから、接続は大丈夫だったのだろう。

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21:25 浜坂→鳥取
今朝から11本目にして最後の電車。蛾がいた。このあとどうやってごはんにありついたのか(または、ありつけなかったのか)記憶にも記録にもない。

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鳥取砂丘との対面

朝の鳥取駅。
平日の旅先で通勤通学の人を見るのが好きだ。

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鳥取はこのときが初めてであった。「とりあえず砂丘でしょ」と思った私は、行き方も調べず、それどころか位置も距離も調べず、鳥取駅から徒歩で砂丘へ向かった(それは「向かった」と言えるのだろうか)。とにかく、北の方へ行けば、日本海がある、つまり砂丘があると考えたのだ。

炎天下のこと。途中、鳥取県立図書館を見つけ、涼みがてらお邪魔する。明るくいい雰囲気の図書館で、隅のほうに展示されていた「鳥取県児童生徒地域地図発表作品展」なんかも結構じっくり見てしまった。

コンビニで1リットルの水を何度も買ってごくごく飲みながら歩いた。なかなかの上り坂があり、道路工事をしていた記憶がある。作業員さんたちの視線から、本来、人が歩くような道ではないのだろうと察する。

そして、ここからの記憶は私の中であまりにインパクトが強すぎてだいぶ盛られている可能性があるのだが、記憶のままに書くことにする。

長い上り坂の終わりと同時にトンネルがあった。トンネルの出口の明かりを目指して歩き続ける。果たして、「長いトンネルを抜けると」、雪国もとい、砂漠であった。

思わず声が出た。

人が一人もいない。広がる砂漠。ここを進んでよいのだろうか。恥ずかしながら、何の考えもなく素足にクロックスで来ていた。砂が熱く、足をやけどしながら歩くことになる。1リットルの水のペットボトルを胸に抱きかかえて。

本当に人が誰一人いなくて、視界には、ただただ砂しかない状況。進めば進むほど、砂以外のものが視界から姿を消していく。え、観光客は?砂丘ってもっとこう、観光地じゃなかったのか……?もしかして異界に来ちゃったの?遭難?

「不安」と「水」を抱えながら、どれくらい歩いただろうか。

遠くに……2ミリくらいの、人間と思われる黒い点がぽつぽつ見え始めた。「人だ!!」と思ってそちらに向かってさらに歩くと、どんどん点が増えていく。

あとでわかったのだが、私は、駐車場やレストランがある場所からだいぶ離れたポイントで「砂丘と対面」していたのだ。地図も何も見ずに適当すぎる徒歩でたどりついたからこその奇跡だった。

結局、そっちの「入り口」まで行ってみると、観光客はわんさかいた。ところが不思議なことに、波打ち際には誰もいない。「なぜ?海だよ!?」と思いながら日本海の水に触れようと一人下ってゆく。

そしてすぐに、なぜみんなが下りて来ないのかを思い知った。戻るのが大変!!踏んでも踏んでも足元が崩れて進めない砂の丘は、もはや「壁」であった。

足のやけどと、体中がぷるぷるするほどの筋肉痛を負うことになった。砂丘近くの食堂で働いたらどんなかなーという妄想を胸に、帰りはさすがに鳥取駅ゆきのバスに乗ったのだった。

このあと倉吉駅で降りて牛骨ラーメンをいただいたのが、今回の旅で初めてのまともな食事だった。忙しかったね……。

境港、米子

砂丘と同日。宿泊先に荷物を置き、砂と汗にまみれた服を着替えて境港へ散策に。ひぐらしの声と煙のにおいが印象的な静かな港だった。

境線の電車の車内アナウンスが鬼太郎と猫娘で、いつか富山で乗った電車の、忍者ハットリくんの車内アナウンスを思い出していた。

水木しげるロードでは「がんばるなかれ」っていう札を買った。どっちにしようか最後まで迷ったのは、「金はほしがると逃げる」だ。8年経ってかなり色褪せたけど、大切に持っている(2021年5月現在がコレ↓)。

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米子の街で「山陰の焼酎」。ここにも水木しげるの名言が。郷土料理「いただき」も食す。

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隠岐の海藻焼酎「いそっこ」。もちろん、ボトルで頼んだわけではない。ロックグラスで注文して、「どんな瓶か見てみたいです、写真撮ってもいいですか?」と言ったらお兄さんが笑顔で瓶を出してきてくれたのだった。飲むと、おせち料理のカズノコの香りがした(ちょっと苦手)。磯!!ってかんじ。

出雲大社との出会い

翌日、鳥取を離れて松江へ。どしゃぶり。だけど、ずっと晴れ女で生きてきた私、何事にもネガティブだが唯一、天気に関してだけは楽観的だ。「西の方はきっと晴れてる」と決め込む。

このときが初めての出雲大社だった。2021年現在、これを入れてすでに4度訪問したことがある。

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で、なぜか、この電車の写真しか残っていないという。笑

出雲大社はさすがの賑わいだった。

拝殿のお参りの列で、私の前に小さい子を2人連れたご家族が並んでいた。5才くらいの女の子がお父さんに「お願いごと、かなうん?」と聞いた。とても若いお父さんだ。その答えは……

「神様は、○○(その子の名前)ががんばったとき、足らんところを助けてくれるんよ」と。

えっ、、、なぜ、急な質問に対して、そんな返しができるんだ。すごすぎる。すごすぎるよ……。

がんばったとき、足らんところを助けてくれる。私も肝に銘じたのだった。このときを出会いとして私は出雲大社のとりこになった。

宍道湖畔

宍道湖畔。夕日がきれいで有名だが、曇っていた。

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当時の日記に「松江駅からこの宍道湖畔までのかんじと湖畔の整備のされ方が香川県の高松駅によく似てる」とあるが、ほんとか?ただそんなこと言ってみたかっただけだろうよ。

ただ、たしかに高松では、同じようにきれいに整備された海岸で海を眺めながらずっとお酒を飲んでいたっけ(高松→神戸の夜行フェリー待ちだったかな?)。

私の旅はいつも「乗り物の待ち時間」が長い。

米子→神戸の夜行バス

米子に泊まるかどうか迷うところだったが、朝を待たずに「神戸ゆきの夜行バス」に乗ることにした。

なぜって、帰りも青春18きっぷだからだ。明日は、また来たときと同じように鈍行を乗り継いでひたすら帰らなければならない。今夜ここ松江に泊まったとしても、めちゃめちゃ早起きをして朝イチの電車で帰路につくことになる。

だったら宿泊費と同じくらいの金額で夜行バスに乗って、翌朝、神戸から帰路をスタートできる方がいいというわけだ。賢いな。いや、賢い人は新幹線に乗るか。

夜行バスの前にはぜひともお風呂に入りたい。と思ったら、松江駅前のスポーツジムで、会員でなくても500円でお風呂に入れるところを発見した。シャンプーやせっけんも備え付け。テレビもサウナもあるきれいなお風呂に入ることができた。今日の私を待っていたとしか思えないサービスだ。

地元のジム帰りの人たちに旅人が一人混じっていた、松江の夜。

早朝の神戸

夜行バスは、朝4時に神戸に着いた。「疲れた!」ってなって、結局、勢いですぐに電車に乗って、米原まで。「すぐに」と言ったが、まだ電車のない時間だったので、三ノ宮の改札前で、1時間近く立ったまま初電を待っていたのだった。え、なんの修行?笑

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とにかく、もうこの度には思い残すことがなかったのだ。ありがとう青春18きっぷ!朝8時で米原だと何時くらいに横浜着くんだろう?と思いながら、もう帰るだけだからいいや、と、時刻表を閉じたのだった。



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