列車名が入っている歌謡曲は、1977年にヒットした「あずさ2号」が有名だが、実は自分もまだ小学生の頃の曲である。


1979年に初めて特急列車に乗ったが、そのときは下り特急は奇数号、上りが偶数号となっていた。


当時乗った特急つばさ(秋田行)は、3往復で下りが1、3、5号、上りが2、4、6号であった。

帰りは仙台経由で帰ったので、急行もりおか4号を使ったが、急行もりおかは2往復なので上りは2、4号しかなかった。


なので、のちに「あずさ2号」の曲を聴いて首をひねったのを覚えている。

8時丁度の(新宿発)あずさ2号、松本行き下りなのになぜ2号?と。


実は1978年10月のダイヤ改正で、特急、急行の号数について、今のように下りが奇数、上りが偶数となったのである。


それまでは、下りも上りも1、2、3号と発車順に番号がついていた。

つまり、あの曲がヒットしたときは「あずさ2号」は2本存在したことになる。(下りあずさ2号、上りあずさ2号、ただし時刻表などの表記に下り、上りはない)


もちろん当時小学生だったため、のちになって知った話である。


前置きが長くなったが、常磐線特急の号数については、大きな変更が後述するように3回行われた。


そのほか、常磐線特急などが影響を与えた例が一つある。

臨時列車の番号変更である。


1986年11月のダイヤ改正で、常磐線特急ひたちは26.5往復なり53号まで存在することとなった。


当時、臨時列車な50号台からとなっていたが、50号台の定期列車が登場したため、

臨時特急は80号台からに変更された。この原則は今も残っている。


常磐線に関しては、まず1989年3月スーパーひたちの登場により、従来のひたちは、新幹線のように3桁番号とされた。


ひたち147号とか、これまでの在来線では考えられない号数をもつ列車が定期列車となり、臨時特急は180番、190番台が使われていた。


ひたちの3桁号数は、1997年のフレッシュひたち登場まで続いた。


1997年3月にはスーパーひたち、フレッシュひたち、ひたちと3種類のひたちがはしることになったが、号数はスーパー、フレッシュに関係なく、発車順(上りは上野到着順)に1号、3号、5号…(下り)と通し番号となった。


この通し番号方式は、2015年3月までかなり長く使われた。


なお、同じ関東地方をはしる中央線特急「あずさ」は常磐線と少し方式が違っていた。


スーパーあずさが投入されたとき、あずさは50号台から始まり、短距離の特急かいじは100号台が使われた。


のちに、スーパーあずさとあずさは通し番号に変更されたが、特急かいじの3桁番号は、2019年3月にあずさが新型車両に置き換えられて「あずさ」に統一されるまで使われる。

現在は、あずさとかいじで通し番号となっており、常磐線のスーパーひたちとフレッシュひたち時代とおなじである。


2015年3月、上野東京ライン開業とともに、常磐線特急はスーパーひたち、フレッシュひたちが無くなり、かわりにひたち、ときわに分かれる。


このとき長く使われた通し番号をやめて、ときわは50号台から始まっている。


ときわの本数が多いため、定期列車でも80号を超えてしまい(最終はときわ91号、92号)、再び臨時特急の番号に深く入りこんでしまったが、臨時特急の番号については変更はなく、常磐線については使われてない90号台後半や40号台が使われている。

他線区は従来とおり80号台からとなっている。


なお、急行そうま(ときわ)1号(平→仙台)の筋を踏襲したため、長い間下りの上野発一番列車が3号だった時代が続いたが、スーパーひたちが投入されたばかりの1989年から数年間は平(現在のいわき)発の特急が「ひたち101号」となったため、久しぶりに1号がつく特急が上野発となった。

しかし、スーパーひたちが増発され、平以北特急がスーパーひたちに統一されると、再び上野駅から1号が消えてしまった。


余談だが、1978年10月のダイヤ改正で特急列車のヘッドマークに絵柄が導入された。


ひたちは青空を示すスカイブルー地に、偕楽園の梅をイメージしたデザインとされた。


なお、常磐線経由で青森まで走っていた特急みちのくは、赤地にこけしのデザイン、夜行特急ゆうづるのうち電車に関しては、赤地に鶴が飛ぶ姿をデザインしたヘッドマークを使っていた。


さらに追記

特急ひたちは、スーパーひたち、フレッシュひたち以外にも冠名がついていた定期列車などがあった。


さわやかひたち→平成初期に定期券で乗れる通勤特急として、早朝上りに1本設定された。1998年12月にフレッシュひたちに統合された。


なお東京への出張者輸送目的で、2000年代初期にもおはようフレッシュひたちが休日の次の日の早朝に1本運行されたが、2005年に定期化した。


ウィークエンドフレッシュひたち→2004年に東京から水戸、日立に帰る主張客用に夜間に設定された臨時特急で、週2日(金曜日下り1本、土曜日上り1本)運行、2005年に下りのみ定期列車に昇格する。



ホームタウンひたち→平成初期に深夜帯に定期券プラス特急券で乗れる通勤特急として下りのみ1本登場、のちにひたち号の深夜下り2本を定期券対応にして、ホームタウンひたちに加え、ホームタウンひたち1、3、5号と下りのみ3本に増えるが、フレッシュひたちに置き換えられた1998年12月には、全特急列車が定期券対応になったためフレッシュひたちに統合される。

なおこのとき、ホームライナー土浦もフレッシュひたちとなり、特急列車の最終が23時に繰り下がった。