民鉄の覇者 東京急行電鉄 92、第二次伊豆・箱根戦争⑩(伊豆急建設) | 犬と楽器と鉄道模型

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昭和34年、東急は、「伊東下田電気鉄道」を設立した。
この「伊東下田電気鉄道」、2年後には社名を「伊豆急行株式会社」と変更する。

工事は、伊東~下田全路線を10工区に分けて進められる事となる。
免許は下りたが、この伊豆半島に電車を走らせる為には非常に難儀な工事が待ち受けていた。
海岸沿いだが、実際に海が見える区間は半分程度である。
伊豆半島特有の地形で山、が海までせり出す地形の為、トンネルを多用しなければならなかったのである。

更に古くから温泉街が多く、トンネルを掘る際、地盤に源泉が染み込み、度々落盤事故を引き起こしていた。

この事故で、建設員が犠牲となった事もある。
これでは国鉄が建設を躊躇う筈であった。

こんな地形を45㎞の長きに渡り、鉄道を建設しなければならないのである。
それも僅か2年で・・・

更には、康次郎の邪魔や嫌がらせも始まった。
先ずは箱根ターンパイクで建設予定区域の土地を買い取った。
これで箱根ターンパイクは寸断されるのであった。

そして、伊豆急である。
図を見ると本来、伊豆急は海岸線の建設である。
しかし、河津~伊豆急下田間は山側になっている。

 

 

イメージ 1

 


これは西武側が一帯の土地を買い占めたから海岸線の建設が出来なくなった。
伊豆急建設阻止の一環である。
そして、その土地にはプリンスホテルが建つのである。


この為、東急は半島内陸へ向けて長大トンネルの建設を余儀なくされた。
しかし、これが蓮台寺となり、伊豆の要所となって行くのである。

 

 

この記事は2015-03-24
yahooブログにて掲載していました。